スタッフの方から、自分の知らないジュニア小説について教えて欲しい、というメールがありました。この方がまた、作家を乗せるのが実にうまくて(こういう人が編集者に欲しいですね)、ほいほいと引き受けてしまったのですが、いざ取りかかってみると、大変な仕事です。ちょうど私はゴールデンウイークが休みなので、その間に書き上げてしまわないと、仕事に差し支えます。
そこで、細かいところはすっ飛ばして、正確な考証が必要なところはいいかげんなままで、私の見た範囲でのジュニア文庫の流れを、ざっと書いてみます。それぞれの文庫については、詳しい方がいらっしゃると思いますので、これをたたき台にして、大いに論議を尽くして、事実関係を明らかにしていただければ幸いです。
さて。
今、「ライトノベル」と呼ばれているジュニア小説の多くは、文庫の形で出ていますが、その始まりは、1973年の秋元文庫と私は考えています。今に到るジュニア文庫の要素が揃った、初めての文庫と思われるからです。中学・高校生を対象としている、レーベルとして独立している、日本の創作小説が多く収録されている、などですね。それまでにも、例えば「カバヤ文庫」などという子ども向けの文庫はあった(らしい)のですが、主に海外の名作ものでした。
この秋元文庫は、初め、少女小説からスタートしました。
秋元書房の本全体の研究をしていらっしゃる、miya-bonさんのサイトによりますと、秋元文庫の母体になっているのは、1955年頃から発行された、秋元ジュニアシリーズです。サイトを参考にさせていただくと、このシリーズは、「少女レベッカ」など、アメリカの少女小説の翻訳から始まって、次第に、赤松光夫、川上宗薫などの少女小説を収録するようになりました。中には、秋元文庫に、またコバルト文庫にも収録されたものがあるそうです。久美沙織さんがお書きになっている、いわゆる少女小説の流れの中にあったシリーズのようです。このシリーズはB6判ですが、文庫本ではありませんでした。
残念ながら私は、秋元文庫はあまり所有していないのですが、たしかに、後にドラマ化される学園青春小説「静かに自習せよ(マリコ)」、あるいは、ちょっとえっちな「中学・高校生 愛の体験記」(要するに性の本です)など、女の子向けのものが見られます。
それがなぜ、文庫になったかというと、推測の域を出ないのですが、1970年ごろの、文庫ブームが根拠と考えていいでしょう。角川文庫の担当になった角川春樹が(当時はまだ社長ではなかったと思いますが、この辺、曖昧です)、映画「ある愛の詩」の文庫本でヒットを飛ばしたのが、映画の公開年から考えると、1970年です。
これは書いておかないといけませんが、当時、文庫本というと、今も岩波文庫がそうですが、主に古典などの、文学の名作を、ハードカバーで買うのは大変なので、簡単安価に手元に置いておけるようにしたものでした。文庫書き下ろしなんてものも、なかったはずです。
それが、「ある愛の詩」のヒット、更に、続く1971年には、当時すでに人気の高まっていた横溝正史の「八つ墓村」を、角川文庫に入れて、これがまた大ヒットということで、文庫本はにわかに注目を集めます。ちなみに、それまで「ポケミス」こと、新書判に近いポケット・ミステリを続々出していた――今も出ていますが――早川書房がハヤカワ文庫を出したのが1970年、岩波・角川・新潮が大手だった文庫市場に、講談社文庫が乗り込むのが1971年。秋元文庫が生まれた1973年には、当時の中央公論社による中公文庫、更に、74年には文春文庫、ちょっとおいて77年には集英社文庫が創刊され、世は文庫ブームとなっていったのでした。
この集英社文庫の創刊には、おもしろい話があるのですが、それは次回へ回しましょう。
ともかくも、そういう文庫ブームの中で、秋元ジュニアシリーズも、必然的に文庫化されたのではないか、というのが、私の推測です。
さて、少女小説、あるいは少年向けの青春小説、「灘高受験記」といった学生向け読み物なども出していた秋元文庫ですが、かなり初期から、大きな柱ができました。
それは、SFです。
調べられる限りで古いのは、1974年に出た、眉村卓さんの「天才はつくられる」ですが、その後も秋元文庫はSFを出し続け、やがて、SFが秋元文庫を牽引していくことになります。この流れは、今のジュニア文庫にも影響しているのではないでしょうか。
それは、1970年前後のSFブームによって、生まれたものだろうと思います。
初期のジュニア文庫には、久美沙織さんが詳しくお書きになっている少女小説の歴史、戦前からある、講談社の雑誌「少年倶楽部」に代表される、怪奇・ミステリ・冒険小説の流れ、そういうものが入っていましたが、その中でも気を吐いたのが、SFでした。眉村卓さん、光瀬龍さん、さらには筒井康隆さんといった、すでにSF作家として一流だった人たちが、学習雑誌や、まだ文庫判ではなかったジュニア小説のシリーズに、子ども向けのSF、それも力作を次々に発表し、それが文庫に収録されていきました。
なぜ、そういうことになったかというと、答は簡単だと思われます。1970年に、大阪で日本初の万国博覧会があったからです。
大阪万博については、最近、「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」でかなり詳しく描かれましたが、このイベントと共に、21世紀ブームというものが巻き起こりました。
その頃に、政府が出した「2001年の日本」という本には、子どもたちの無邪気で、ぴかぴか輝いた、21世紀への夢が詰まっています。道路は動く歩道、電話はテレビ電話、人びとは気象コントロールされたドーム都市、あるいは宇宙や海底に住み、家事用ロボットがいて……。
一部は、ある程度実現しているものもありますが、あの頃子どもだった私から見ると、21世紀への夢は、「夜空ノムコウ」の歌詞のように淋しいものです。第一、エアカー走ってないし、誰も銀色の未来コスチュームじゃないし。
それはまあいいとして、そういう21世紀ブームの気分に、SFはぴったりだったんですね。
当時発行されていた、たとえばソノラマ文庫の前身に当たるハードカバーの「サン・ヤング・シリーズ」には、昔ながらの雰囲気を残す「妖怪紳士」(都筑道夫)や「怪人くらやみ殿下」(山村正夫)と並んで、光瀬龍さんの「北北東を警戒せよ」や、福島正実さんの「地底怪生物マントラ」などのSFが入っています。この頃には、他にも、毎日新聞社(だったと思う)のシリーズには手塚治虫さんや「ゴジラ」の原作者・香山滋さんがSFを書いたりしていたのを、おぼろげながら憶えています。手塚治虫さんの作品は、アリ人間の登場する、小説でした。
そして、SF専門のシリーズも現われました。今のスクウェア・エニックスEXノベルズと同じぐらいの判型で、後にSF雑誌「スターログ」を出す鶴書房盛光社から出た「SFベストセラーズ」シリーズ。このシリーズはたいへんよく売れ、全10巻だったのが、好評につき、第二期が出ましたが、今、手元にある眉村卓さんの「なぞの転校生」を見ると、奥付に発行日がありません。しかし、1970年前後であることは、はっきり分かります。
というのも、このシリーズの1冊(の中の中編)、筒井康隆の「時をかける少女」が、1972年、ドラマ化されたからです。これも、ジュニア文庫の推進に力を持ったのではないか、と私は思っています。
そのドラマは、NHKの「少年ドラマシリーズ」第一作、「タイム・トラベラー」でした。
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少女レベッカ
ケート・D・ウィギン作(1903)。アメリカ家庭小説の古典として今なお愛読されている。
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ある愛の詩
「愛とは決して後悔しないこと」という名セリフを残したラブロマンス。
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少年倶楽部
(1914〜1962)「のらくろ」の田河水泡、江戸川乱歩、井伏鱒二、東条英機などが寄稿。
参考:津久井郡郷土資料館
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妖怪紳士
都筑道夫作(1969)。朝日ソノラマから出されたジュブナイル長編。
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なぞの転校生
近年はスニーカー文庫(1998)、青い鳥文庫(2004)に収録されている。イラストは緒方剛志。
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時をかける少女
筒井康隆作。角川コミックス・エースからツガノガクによる漫画版も出ている(2004)。
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