ジュニアの系譜はざっとさらいましたが、久美沙織さんから、一つ宿題を与えられていたのでした。それは、ティーンズハートの全盛期に、コバルト文庫はどう対処したか、という問題です。
しかし、さあ困りました。コバルト文庫については、先に書いた通り秀作揃いだし、私がやらなくても、誰かがやるだろう、という期待があったからで、あまり冊数を集めていないからです。
案の定、やっていました。久美さんも参照している、有里さんの「ありさとの蔵」に、コバルト文庫の詳しいリストが載っています。私のように、乗りで書いているのとは違う、これこそ研究と言うべきものです。有里さん、これからもがんばって下さい。
そこで、花井愛子さんが社会現象になり始めた1989年辺りから、じっくりと見ていくと、コバルトで活躍していた作家が分かってきます。赤羽建美さん、久美沙織さん(久美さーん、久美さんも出してますよ)、倉本由布さん、小林弘利さん、島村洋子さん、下川香苗さん、田中雅美さん、日向章一郎さん、藤本ひとみさん、山浦弘靖さん、山本文緒さん、唯川恵さん……。
赤羽建美さん、日向章一郎さん、山浦弘靖さんは、ミステリを書いていらっしゃいました。コバルトのミステリも、いずれ研究しなければ、と思いながら、山積みになっています。ごめんなさい。小林弘利さんは、繊細なアーバン・ファンタジイの書き手でした。田中雅美さんは、少女小説のベテランですが、この頃は「赤い靴探偵団」などでミステリを書いていらして、私は愛読しました。
で、問題なのが、今名前を挙げなかった、若手のお二人です。前田珠子さんと、若木未生さん。
このお二人は、この頃から書き始めているのですが、作品は、ファンタジイです。
これが1990年になると、桑原水菜さんが加わり、1991年には榎木洋子さん、三浦真奈美さん、1992年には立原とうやさん、ひかわ玲子さん、響野夏菜さん、水杜明珠さん(急いでおりますので、若干の間違いがあったらご容赦下さい)とファンタジイ勢が加速していき、つまりコバルトは、ファンタジイに活路を見出すことになります。それまでにも、図子慧さんや、下川香苗さんの一部の作品などにも、ファンタジイはありましたが、現在のコバルトは、ファンタジイ中心の文庫と言っていいかと思います。
そしてこれは、なぜか、ティーンズハートの弱みだったのです。本格的な、特に剣と魔法の系統のファンタジイは、ほとんどなかった。
ティーンズハートの猛成長に、コバルトがいかにして対応したか、の答は、これなんじゃないかと思います。
そのため、剣と魔法、もしくはその系統のファンタジイが書けない作家さんは苦労されたようです。仄聞するところでは、コバルト・ピンキーというノヴェライズ中心のシリーズが90年代頃(ちょっと不明です、すみません)にでき、オリジナルも収録するようになるのですが、これは、ピンクの装幀と内容の低年齢化でティーンズハートに対抗しようとしただけではなく、ファンタジイの書けないコバルトの作家さんに、お仕事を発生させようという側面があったようで、繊細な小説を書いていた下川香苗さんが「ご近所物語」、ベテランの田中雅美さんが「ときめきトゥナイト」、新鋭の恋愛小説家だった竹内志麻子(現・岩井志麻子。ホラーの気鋭、という説明は蛇足ですか)さんが「花より男子」などを手がけています。
有里さんの、コバルト・ピンキーのリストを見ていると、必ずしもノヴェライズ一辺倒ではなく、また研究対象が増えたなあ、とため息をついてしまうのですが、そういう側面もあった、ということです。
このくらいで、お答になっているでしょうか? 久美さん。
最後に、蛇足を。
私は、先に書きましたように、1988年にアニメージュ文庫でデビューして、エニックス文庫も含めて4冊の本を出したのですが、その後、ある事情から、ほとんど小説が書けなくなり、漫画雑誌「コサージュ」の連作短篇だけを書いて、しばらく姿を消しているうちに、知り合いの紹介があって、1994年に「小説モルダイバー」で復帰、以来、ノヴェライズをしばらく書きながら、オリジナル小説を考えていて、1999年に、プランニングハウスの「ファンタジーの森」シリーズの一編「世界線の上で一服」でオリジナルにも復帰、最近は、富士見ミステリー文庫のシリーズを書きながら、ちょこちょこと、他社にオリジナルを発表していて、2002年から、ようやく年に2、3冊以上のペースになった、本当に遅咲きの作家です。未だに、原稿はなかなか通らず、このままだと、ジュニアで名前を上げる頃には、老人になっているかもしれません。
さすがに、20代の作者と張り合うには、体力が追いつきませんので、最近は、一般小説へ手を伸ばせないか、悪戦苦闘中です。行ったら行ったで、また苦労はあると思うんですが、いつまでも頭を10代にしておくのは、なかなか大変なものです。
しかし。それでも、私はジュニア小説が好きなんですね。
若い人に対して、語るべきもの、逆に若い人からすくい上げるものは、まだまだあると思うんですよ。
私のインチキな造語ですが、ジュニアの三要素は、「ピュア・フェア・レア」だと、今でも思っています。主人公の動機が純粋なものであること、主人公も、できればライバルに当たる役の人物も、フェアに行動すること、そして最後の「レア」は、生焼けです。
どこかに、小説の完成度を壊しても、生っぽい「叫び」がなければ、それはジュニア小説としてどうだろう、と、私は、あくまで私は思っています。
その「叫び」が、若い読者に共鳴する部分だろう、と。
ジュニア小説は、たとえ、ここを読む皆さんがどう思われようと、中高生に向けて書かれ、中高生が買い支えているのが、根本にある事実です。その感性と、対等にあと何年、向き合っていけるか、私はいつも、それを考えています。
中高生の真摯な問題と、同じ視線の高さで向き合い続けて行きたいんですね。
(ソノラマ文庫、ホワイトハートなどは対象年齢を上げている場合がありますが、例外を言い出すときりがありません)
これからどうなるのかは、私には分かりません。このサイトでも活発な議論がされていて、電撃文庫などは、大人もかなり読んでいるらしい、という話も聴きます。その数が、2万人を超えていれば、私も考え直します。
ただ、今のところ、私が仕事をしているいくつかのジュニアレーベルでは、あくまで中学高校生をターゲットにしているし、購買層の中心は、そこにあります。そして、そこを狙う限り、私は、若い読者のために、真摯な問題を中心にした小説を書き続けていくでしょう。
この原稿を、敢えて「ジュニア」の系譜、としたのは、そういう意味があったのだ、とご説明して、ワタクシの、拙い文を終わりにしたいと思います。
ご静聴、ありがとうございました。
原稿受取日 2004.5.22
公開日 2004.7.2
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