黎明の双星 1
|
|
花田一三六氏と言えば、90年代中頃の「ザ・スニーカー」の短編小説コンテストで群を抜いたストーリーテリング能力を見せ、「野を馳せる風のごとく」「八の弓、死鳥の矢」「大陸の嵐」などのファンタジー路線で一世を風靡した作家である。作風としては過去の歴史物として、かつての関係者に事件を回想させるといったシーンが多く、当時「アルスラーン戦記」や「銀河英雄伝説」で大御所となった田中芳樹氏の作風を彷彿とさせた。順風満帆に見えた船出であったが、1997年、書籍「運命の覇者」が発表されて以後、忽然と姿を消す。あるいはそのあたりの事情は、斜陽になりつつあったファンタジーノベル業界とも関係があったかも知れない。今回、6年ぶりに発表された新作「黎明の双星」は、まさにカムバックと表現するのが妥当だろう。 本作品は中世から近世に移りゆく時代の中で、市民革命の立役者として時代を担う二人の若者にスポットをあてている。関係者の証言を集めてゆく語り口は変わらず健在で、第一巻では若者たちの動機が明らかになってゆく。最近珍しい歴史ロマンの王道をゆく作品である。
|
(この作品の書評を見る)
|
R.O.D 第8巻
|
|
大英帝国図書館のエージェントにして紙を自在に操る紙使い、読子・リードマン。読書狂にして学校講師。生活の全てを読書に当てる女。本に誘惑されるという言葉がぴったりとはまるシリーズ。 マクガイバー的な理系アクションヒーローに対して、文系アクションヒロインというのはどうだ? というコロンブスの卵的発想は、この企画にゴーサインを出した人のもっとも優れた判断だったといえる出ろう。原作はSME・ビジュアルワークス(現アニプレックス)が初めてヒットさせたアニメ作品で、TVアニメに押されてすっかり傾いていたOVA業界においても、かなり特殊な存在であった。 世界の裏側で行われている本をめぐった暗闘劇はこの作品の本流といえるところだが、また一方でいかにして本と関わり続けるかという本好きにとって切実な話題にも事欠かない。お金・時間・場所、あるいは読み手から書き手への転向、ファンとしての立場・主張。最終的には恥も外聞もなくというのが結論のようにも見える。 ある意味、本好きには基本の一本であるが、ノータッチでレビュー無しはさみしそうだったので最後の一本としてあげておきます。 |
(この作品の書評を見る)
|
ブレイクエイジEX ロアゾオ・ブルー 4
|
|
原作に相当する『ブレイクエイジ』は1992〜1999年にかけて掲載雑誌の休刊にもめげず、体調不良にも屈せず、絶大な人気とともに全十巻を持って完結した、体感ゲーム「デンジャープラネット」に青春をかけた少年少女たちの物語である。 データに手を加えることでカスタムか出来るロボットをあやつり、それを店舗に持ち込んで他のプレイヤーと対戦する。単純に考えて、そこに女の子が入る余地があるのか、という本作であるが、ところがどっこい『ブレイクエイジ』では女性の強さが半端でない。ゲームという男くさい、あるいはオタクくさいジャンルにおいて、他のどんなスポーツともホビーとも遜色のない表現で、出会うべくして出会った二人を描いてゆくのが、なによりもこのシリーズのおもしろさである。 これまでの『ブレイクエイジ』ノベルの主力としては、『イマジネーション・ブルー』、『ムーンゲッター』があるが、『ロアゾオ・ブルー』シリーズでは「デンジャープラネット」に対する愛情が最も薄い主人公の暮林明と、ベトナム人少女であるグェン・レ・ティ・カイ・フォンを中心に物語は展開する。ハーフ・クォーター・純血などなど、様々な外国人を登場させるのも『ブレイクエイジ』の特徴のひとつであるが、名前だけでなく言葉遣いや認識の違い、あるいは日本人以上に関西人なアメリカ人など、グローバルキャラの表現が実に味わい深い。いまとさほど変わらず、ちょっとだけリベラルになった世界を予感させる近未来物である。
|
(この作品の書評を見る)
|
フルメタル・パニック!(13) 安心できない七つ道具?
|
|
ぬるいイスラム教徒である宗介のキムチ鍋話とか、1クールのアニメとしては昨今まれのヒットを飛ばした『フルメタル・パニック? ふもっふ』の原作であるフル・メタ短編集の最新刊。もはや本編以上、そもそもずれた感覚を持つ戦場育ちが本領発揮しているという声も少々。 書き下ろしの『老人たちのフーガ』ではかつては歴戦の勇士であり、現在はただの下品で節操のない老人たちが、軽く一波乱起こす。オヤジの金時計話はなにげに『パルプ・フィクション』ではないかと……。というか全編クエンティン・タランティーノっぽい疾走感が。 |
(この作品の書評を見る)
|
プリンセス・プラスティック フリー・フライヤー
|
|
圧倒的な火力とそれを実現する時空潮汐機関をワームホール内に格納することで、戦艦でありながらサイズは成人女性サイズ並というバイオロボット、シファリアスとミスフィオス。人造の女神として生まれ、その強大な力ゆえにポリティックゲームの狭間で揺られながら、心をよりどころにして苦難に立ち向かってゆく。 森田浩之氏の『星界の紋章』に出会った頃を思い出す、キャラクター性に富んだジュブナイル小説。自分たちでは手に負えないものを作ろうとする発想は、例えば原子力爆弾を例に挙げるとわかりやすい。鉱石を組成することこそ出来ないものの、ほとんど人の技術と理論によって製作されながら、人が望むような完全な制御には今も至っていない。原子力爆弾は神ととらえるのにはやや難があるが、それに心があるとすればあるいは神といえるのではなだろうか。『プリンセス・プラスティック』シリーズに登場する二人のバイオロボット、シファとミスフィも無敵最強を欲しいままにする存在である。物理的にもバーチャルの世界に置いても、制約を課すのは人ばかり。そうした世界の中で、二人にとっての最悪の事態とは人に絶望して自殺すること。一段高みから人類を見下ろす女神の目線に、ついどう審判されるのかが気にかかる一品である。 |
(この作品の書評を見る)
|
バッカーノ!1931 鈍行編 The grand punk railroad
(イラスト評)
|
|
エナミカツミ氏はおもにゲームキャラクターで活躍されている方ですが、今年の三月に退社。はれてフリーランスに転向し、なるほどイラスト仕事が増えた状況に納得というところ。おじさん好きもさることながら、斜めアングルで画面を広くとるなど、動的な絵作りに引き込まれること請け合い。 |
(この作品のイラスト評を見る。)
|
七姫物語 第2章 世界のかたち
(イラスト評)
|
|
CGという画材を得て、新たに獲得された表現に、白さがある。重ねれば重ねるほど黒くなるという色の特性は、書き込みが増えればすなわち絵を暗くするというジレンマを生んできた。現在では薄い色もむら無く流し込めるし、透けさせることすらできる。そういった意味で尾谷おさむ氏のイラストは現代表現の先端をゆくと言えるだろう。 オリエンタルマインドの溢れるデザイン、丸みのあるラインに素朴さ、純朴さがにじむ。やはり和装の骨はなで肩である。
|
(この作品のイラスト評を見る。)
|
刀京始末網 ツキニホエル
(イラスト評)
|
|
金田榮路氏に初めてであったのは谷口裕貴氏の『遺産の方舟』の時。さび色の世界がかもしだす乾燥した重さ。そしてどこか諦観のある目線。書店で「この絵は」とつい引きつけられてしまう強さがあります。 |
(この作品のイラスト評を見る。)
|
まじしゃんず・あかでみい 3 魔王発生!?
(イラスト評)
|
|
ほとんど最強タッグ。榊一郎氏の描く情報技術的なニュアンスに、あの手この手のギミックアイデアぶち込んでデザインとして成立させてしまう、可愛い子にもメカ好きにも両対応のプロダクトデザインワークス。三頭身半から四頭身にかけての、バランスと動きにほれぼれ。 |
(この作品のイラスト評を見る。)
|
クラウド 1 雲海の逃亡者
(イラスト評)
|
|
『ストレイト・ジャケット』で登場して以来、着実に存在感を増しつつある藤城陽氏。はっきりとした輪郭、ドレープやしわに対する縁取り、ハイライトから地の色にいたる淡い変化が、実にシャープ。文から来るイマジネーションをいやが上にも盛り上げる。『クラウド』シリーズではイメチェンをはかり、ラインを隠す装いから肉体を引き出す面も紹介。扇情的なしわや淡さの表現が多い昨今、色気のある膨らみと陰影が強い印象を与えている。 |
(この作品のイラスト評を見る。)
|