『第六大陸』 論 第六大陸
小川一水
ハヤカワ文庫JA/早川書房
ISBN 4-15-030727-X


 帰結という言葉がある。そもそもの前提に明確な結論が既にふくまれており、その過程は結論へ向かっての道筋であり、用意された結論が常にそこへ帰ってくるのを待っている。
 それが小川一水が実践する手法の最たるものであり、その代表作が『第六大陸』である。
 『第六大陸』と聞いて、それが何であるかすぐにぴんとくる人もあるだろう。地球には大きく分けて五つの大陸があり、その全てが人間によって発見・開発されてきた。それでは六番目の大陸とは何か? そう――月である。これは月面の物語である。しかも「大陸」という言葉が、その開発を意味している。
 この作品の秀逸さ、作者の特異な感性は、このタイトルに既に表れている。これまでライトノベルにしろ一般書籍にしろ、「大陸」と言えば冒険の舞台背景のことを意味していた。それ自体が目的となることなどなかったのである。たいていはその大陸に居住する人間社会の命運が物語の焦点となっていた。だがこの作品における「大陸」は、もはや舞台背景であって舞台背景ではない。それ自体が開発の対象――物語の目的なのである。
 ある施設を月面に建設するという計画を立てた少女を中心に、主人公をふくめ様々な職業に従事する者たちが、計画の実現に向けて奮起し、数々の困難に対処してゆく。
 予算は1500億円――果たして月世界に最初のその施設は建設されるのか? これがこの作品の前提であり結論である。この物語の過程を「予定調和的である」として批判するむきもあるようだが、この作品がアポロ13号であってチャレンジャー号ではないというだけの話だ。全てのビジネスには計画があり、目標水準がある。それはまた人間の行動の基本である。前提の中に少しでも結論がなければ人間はそもそも行動をしない。予定調和とは、人間が世界に対して果敢に挑むときの、命綱に等しい重要な概念である。
 このような物語作りの画期的な点は、世界背景を明確に物語と一体化させると同時に、人物造形における転換を果たすことにある。
 それぞれの人物の職種を書くことは、その人物が何者かを説明する上での、ごく一般的な手法である。ライトノベルは既存・架空のものもふくめて数限りない職業を物語に登場させてきた。剣士、魔法使い、僧侶、王様、博士、兵士、警察、学生……あるいは学級委員や生徒会長など準職業的な肩書きを積極的に人物造形の一部として用いてきたのである。そして同じ文脈で、様々な人種、人間以外の種族を表現してきた。
 これはTRPGにおける役割演技(ロール・プレイング)の発展であり、世界と社会と人との関係を端的に表すものである。それは当然のことながら、多くの未成年の読者が作品に求める「自分は何者で、他者とどういう関係を結べばいいかの指標」を提示する上で、最も効果的な手法の一つなのである。
 そしてそれは文体を工夫する上での手法でもあった。その人物にまつわる不可思議な現象や行動も、ある職業名をもとに説明したり、時には「神」「天使」「悪魔」「妖精」などといった言葉で端的に表現してきた。これによって文脈をかなり自由に調整することが出来るし、他の描写により多くの文章を割くことが出来る。
 これは三人称的手法というよりも、実は二人称的手法である。TRPGや数々のゲームが編み出した手法――「あなたは○○であり、それゆえ○○せねばならない」の文脈である。特定の職業にもとづいた人物描写を受け入れるとき、読者は自然とその人物の職業観を受け入れることになる。それはその人物の世界との関係、人間関係、行動原理を自然と理解し、受け入れることである。それによって「自分は何者か」という読者の自己の位置づけのきっかけを提示することは、まさしくライトノベル的手法と言えるものだ。
 『第六大陸』および小川一水の作品群は、そうした二人称的手法による人物造形/ゲームによって発達した文脈を、現実世界と地続きにする堅牢なる橋である。
 これまでのライトノベルの人物造形は「○○であるゆえに、○○した」ことを主眼にしてきた。剣士だから戦う、学生だから学校に行く、天使だからあなたの所に来た、という文脈である。あとはキャラが立つ立たないという職業とは関係のない人物造形になる。
 だが本格的に職業を描き始めると、これが逆転する。「○○したから、○○である」となる。ある人物が選択と意志を持ったのではなく、ある選択と意志を持ったゆえにその人物であるという人物造形になる。選択と意志が、そのままその人物の義務となり責任となり、行動原理となり目的となり、帰結となるのである。
 この手法が成立するのは、同じ職業を持った人物が他に大勢いる場合である。そしてその職業を通して、人物たちに差が生まれてゆく。優秀な人材、突飛なアイディアを思いつく者、マイペースな者、プライドの高い者、苦労人、バックに財力を持つか否かなど――いずれにせよ特定の条件下において何を選びどう意志したかが、その人物を決定する。
 一般書籍における軍事ものや警察ものの多くはこの手法を取る。周囲が同じ職種の人間ばかりなのだから当然である。だがライトノベルではそれがあまりない。様々な職業が乱立するため、職業それ自体が主題となりにくいからであるし、そもそもそこまで人物と社会の関係を深く問わないからである。
 『第六大陸』の意義は、まず第一に「その職業と世界の関係」を根本的に問うことにある。ある職種が定着するには、永続的な状況がなければならない。需要と供給が成立する以前の職業成立である。砂漠に木こりはいないし、ヒマラヤ山中にタクシードライバーはいない。なぜその職業があるのかということによって、その世界の状況や環境、一般常識や基本原理が浮き彫りになる。それは常に変化し続けてゆく人と世界の関係を問うことでもある。
 そして次に「その職業の本質」が問われる。そもそも軍人とは――警察とは――医療従事者とは――といった文脈である。その職業のあるべき状態、役割、信念、主義などが問い直される。これは人と社会の関係を問うことだ。社会を形成する無数の人々の中で、その人物がどのように生きるかということの表明なのである。
 そして人がある職業を通して疑問と答えを繰り返すことで「新たな職業の創出」が最終的に果たされる。それはたとえば環境や状況の変化に対する人と世界の関係の変化であるし、あるいは人と社会の関係の変化である。新しい生き方が提示され、将来に渡って社会がどのように発展していくかが示される。本当に全く新しい職業なのか、それともそれまでの既存の職業が新しい発展をみせるのかは、その職種によって分かれるだろう。技術者の地位が向上すれば、やっていることは変わらなくても、それはその職業の新しいステータスであり、明らかにそれまでの職業とは違うものになる。
 『第六大陸』では、多くの最先端技術者が集い、苦難を乗り越えることによって、かつてない職業を創り出すことになる。
 それは月面開発者であり――そして月面従事者である。新たに生まれた「月で働く人たち」が以後どんな呼ばれ方をし、どのような関係を世界や社会と結んでゆくのか――過酷なものになるにせよ喜びに満ちたものになるにせよ、思わず自分もその事業に参加したくなる。それは社会とともに歩むべき希望が見えるからだ。一人では不可能な地平が切り拓かれる喜びを感じるからだ。それこそ本来、人が職業を営む、根本的な動機ではないのか。
 『第六大陸』において何より輝くのは、人が社会で生きてゆく上で抱くべき「実現可能なロマン」の数々である。そしてその輝きは、ライトノベルの今後の発展において見据えるべき指標の一つである。果たしてライトノベルに、本当に職業が書けるのか――?
 それは、ライトノベルを職業とする者にとって、この上なく貴重な問いかけである。



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