総合受付過去ログ倉庫 》いーからライトノベルとか読んでみろって。 総合受付 | サイトマップ | 連絡先・サポート

いーからライトノベルとか読んでみろって。

電車に乗ると小説を読んでいる人を見かけます。それでもそう多くない。大部分が何もせずに電車に揺られていて、他に漫画(雑誌)を読んでいたり、携帯電話でメール打っていたりしている人ぐらい。あぁ、音楽聴いている人もいますね。

小説を読む人は周りにいますか?
いきなりで何なんですが。
出版関係に携わっている方なら読んでいる人が近くにいてもおかしくないでしょう。教育関係とかもいそうだし、サラリーマンにだっている。もうちょっと年齢層を低くして、学生の中で読んでいるひとはどうなんでしょう。では生徒の方は?段々と少なくなっていくのではないでしょうか。いるとしてもその人の周りだけと言い切れます(同じくいない人も同様)。
僕個人の話ですと、全くと言っていいほどいません。たまに読む程度、ってやつでしょう。そういう人たちにとっちゃ、僕程度の読書家でさえ、「文学青年」なんちゅうレッテルを貼られます。こっちとしては別に文学とかそんな大層な事で読んでいる訳じゃないってのに。単に娯楽として読んでいるのになぁ。そう言ってもなんだか違う次元の人間にしたがっているような雰囲気がちらりと見えるときがあります。僕の被害妄想であれば良いんですけど、それでもなんか人間自分に理解できないものがあれば拒否反応の壁を作りたがるときがありませんか?
そんなことは兎も角として、小説を読まない人にとって、本を読むということがなんだか別に意味になっている気がします。上にも書きましたが、あくまで僕個人は娯楽として読んでいます。面白そうだから読んでみる、そんな単純な動機で読んでいるだけ。

偉そうなことを書いておいて、自分こそが昔はそんな事を考えていた時もありました。もっと酷いことです。「小説読んでいるなんて、知識人ぶった偉そうなヤツだ」とか「文字だけ読んでてどこが良いねん」とか、控えめに書きましたが当時はもっと差別的な事を思っていました。今では全く考えられません。時の流れは恐ろしい。昔は文字だけと言うのが凄く苦痛でした。一時期シャーロック・ホームズのハードカバーが学校の図書館にあった時は読んでいたことがありましたが、脳の中身が幼すぎたために(今もほとんど変わらない)何を書いているのかよくわからなく、意味が理解できませんでした。それで漫画ばっかり読むようになったときもありました。今のように小説を本棚に積んでまで読むきっかけになったのは、小学校5年ぐらいだったでしょうか。本屋でたまたま『白銀の魔獣 スレイヤーズ 5』(神坂一/富士見ファンタジア文庫)が平積みされていました。sfcでゲームになっていたことで知ったそれに興味を持って買って読んでみました。もうお分かりの通り、シリーズ物なのにいきなり5巻から読んでいます。これも今からでは考えられませんが、昔はそういうことを平気でやってのけていました(いや、初京極夏彦作品が『どすこい(安)』だったし、今もあまり変わらない)。ともかく買って読んでみたら見事にハマっていました。軽快な文章に、ハラハラドキドキする展開に魅了されました。次の日から小遣いを使い、足りなくなれば親にせがんで神坂一さんの著作を買えるだけ買いました。これがライトノベルの、今の本読みとしての第一歩でした。そこから中・高には電撃文庫を読み出し、『ブギーポップは笑わない』(上遠野浩平/電撃文庫)で加速がついてきました。『リング』(鈴木光司/角川ホラー文庫)がきっかけでライトノベル以外にも手に出すようになり現在に至る、といったところでしょうか。かなり端折りましたがそんなものです。今まで至って思ったことは、やはり「小説ってオモシれぇ」と快感を覚えたからでしょう。だから今でも続いている。もし知らなかったら、本にお金かけなくて少しは良い暮らしできたかもと、とは考えたくない…。考えたってしょうがないです、小説なしの生活なんて考えられないですしね。

小説を読まない人って「小説ってオモシれぇ」という快感を知らないんじゃないだろうか、という印象を受ける時があります。別にそれがその人にとって最大の不幸とは思いませんし、そんなの大きなお節介というやつでしょう。だけど、そういう人が増えていくと、本の売り上げが少なくなると言うことに繋がりかねないです。そうなれば、好きな出版社からの作品が無くなってしまいかねない。なんて今から危機感を抱いていたりします。いや、マジで危ないっすよ、出版社、と言いたい。最近では『蹴りたい背中』(綿矢りさ/河出書房新社)がめっちゃ売れて、韓国や中国にまで出版されるらしいじゃないですか。なんだかその売り方が、すっごく怖い。まるで一時的なバブルって印象を受ける。それで売り上げ伸ばして、次に?げられるか、というとこれが?って感じで。流行だけで読んでいる人をリピーターとして獲得しようという戦略が無いって印象を受けざるをえない。一時的に潤ったって、しかも綿矢りさだけじゃアカンだろと素人が何故か心配してしまう。他の作家を売ろうとしている気があるの?こっちとしてはそれがわからない。古くからの読書家頼みじゃ、持たない時期に差し迫っているのに。しかも作家志望者が反比例して多いと聞きますし。どうすんのよ、って思います。

話はまた変わって、小学生の頃に何で「小説ってオモシれぇ」と思わなかったんだろう。きっと国語の教科書がつまらなかったんだろう。確かに名のある作家の作品が掲載されていたんだろうけど、意識して読んだって記憶がない。ほんの数作品だけは本を買って読んだ事があるけど(『彼らの流儀』(沢木耕太郎/新潮文庫)とか)、後は全く読んだ事がない。はっきり言って、大概の子が国語の教科書で「小説ってオモシれぇ」って思わないだろうし、作者の(と言うか作成者の)意図が何か推測しないといけないから疲れるったりゃありゃしない。そんなんで活字離れを防げると考えられるお偉いさんは、一体何を学んでいたんだろうか。というか、防ぐ気が無いとしかいいようがない。要するに魅力的な話を読ませれば良いのに。だったらそれに相応しいものがあるじゃないか。ライトノベルだ。教科書にライトノベル載せちゃえ。つーか、ライトノベルを教科書にしてやればいい。
アホだ、と思ったことでしょう。まぁ、実現は難しいでしょうね。反対意見は圧倒的そうだし、ライトノベルに対する姿勢が肯定的ではないですしね。ですが、まだその学年では習うことがないからという理由だけでひらがなの多い教科書を読むより、難しい漢字にはフリガナをちゃんとつけているライトノベル読んだ方が漢字に触れる機会が多くなるのでためになるのは確か。ストーリー性もあり、さらに軽快で読み進めやすい。しかも主人公達は大概読者に年齢的に近いから、感情移入しやすい。それだけで読書の癖を付けれるとは思わないけど、あくまで「小説はオモシれぇ」って思わせることが大事だと思うんですよ。読む気がしないものを読ませるよりも、読んでみたいと思ったものを読ませたほうが少しは読書を習慣づけしやすいんじゃないでしょうか。某あらすじ本という、日本文学の名作のあらすじだけを掲載した本があります。元々中高生に知ってもらいたい、と思って作られた物ですが、実際は中高年にブレイクしたという本です。売れてもそもそもの企画としては失敗している点から、若年層に古典への関心が無いのは確かですし、古典じゃなくても刺激となる本が(本以外にも映画や音楽も)世に多く存在している以上、古典にそう求心力があるとは思えない。古典がお偉いさんにとって大事でなんとしてでも読ませたいなら、誘導の仕方の工夫を考えろと思う。それ以前に、その姿勢は今の個人を成長させる方針とは思えませんけどね。子供を社会が考えた「子ども」という枠に収めようとしすぎてい て、彼らを同じ人間として扱っていないような気がします。子供はこうあるべきだ、と。
人間幼くても、自分の意思ぐらいはありますし、嗜好だってある。その点をつけば良いのに、自分達の枠に収めようとするから拒絶反応が出てもおかしくない。活字離れの原因って、文部科学省(旧・文部省)にあるんじゃないの、って思ってもしまう。読書感想文で推奨本なんてありますが、それだって社会の枠で捉えた「子ども」像で勝手に決めている。あくまで大人の視点で捉えようとするから、子供が見えているものが見えていなかったりする。そこに気付かずに行うのは、ある意味無謀だったのかもしれませんね。それに比べれば、ライトノベルは読者層の事を考えて、作品は書かれています。イラストもあるから活字だけというわけじゃない。イメージを補ってくれる。ゲームが好きな子なら、ゲームのノベライズを読ませてみれば案外いけるかもしれない。『神は沈黙せず』(山本弘/角川書店)でそのことに触れたところがありまして、それを読んで尚一層そう思いました(そっちの方がこれよりも説得力がある)。活字に触れやすくなるきっかけとなるもの、そういう役割になりえるのがライトノベルでしゅう。

ていうか、読んでみろって、と思うんですよ。読んだこと無いのに、あれやこれやと偏見で判断しているだろ、って思う。面白いものもあればつまらないものもあるのは、どれにだってあるんだから。何とは書けないけど。読まなくても新しい読者を獲得する戦略ぐらい練らないといけないでしょう。そういうのをやっているのは、ミステリ系サイト「ウッドストック1979」(http://members.jcom.home.ne.jp/gurenma/)で拝読させてもらった日記から講談社かな、と思います。

読む事が楽しい、ということ。それを教えてくれるし、今尚それを主眼においている作品が多いライトノベルは、決して侮れるものではないでしょう。笑ってしまうものもあれば、感動するものもあったりと、読者に訴えかける作品としての力を証明していますし、ラノベ出身者で高い評価を受けている作家もいます。さらにミステリ系サイトでもちらほらと注目されだしただけでなく、「このライトノベルはすごい!」なる企画まで出るんだから、結構愛されているんだなぁと思うとこれからも読み続けていきたいと思ってしまう。
文学ではなく文『楽』という考えが、活字に関る人にとってのキーとなるものなのかもしれない。
ただ、ラノベだけ読んで作家になろうと言う人がいると、それは疑問ですね。ラノベだけ読んでいたらラノベは書けるでしょうけど、面白いラノベを書けるとは限らない。言葉使いにも限界が出そうですし、一定の力はついてもそこから抜きん出る力がつくとは思えない。決してラノベを軽く見ているのではなく、視野の限界またはアンテナの問題なんですよ。ラノベから始まって様々なジャンルの小説を読んで、それをラノベ創作の糧にして欲しいと思うんです。作家の質がさらに上がっていけば、ラノベの扱いも良くなっていく。扱いの悪かった大型書店でもちゃんと置いてくれるようになれば、より一層楽しみの幅が増えるでしょう。そうなってくれると嬉しい。いーからライトノベルとか読んでみろって、と平然と言われるような世の中になって欲しいなぁ、ホント。
 

[top]


▼プロフィール

しょう