3 : ソノラマとコバルト

 私は今、ソノラマ文庫とつきあいがあるので(「精霊海流」絶賛発売中。宣伝宣伝)、暇があれば、詳しい成立事情を聴いてみたいのですが、編集者も私も忙しくて、裏を取る時間がありません。ですので、あくまで手持ちの資料で書きますが、朝日ソノラマはもともと、ソノシートというものを作る会社でした。ソノシートというのは、ぺらぺらの薄っぺらいレコードで、それに、テレビの人気番組のお話が、オリジナルストーリーで入っていて、ソノシートを保護するための、やや厚めのジャケットにはイラストが描いてある。つまり、今のドラマCDみたいなものと考えていいでしょう。
 それが、「サン・ヤング・シリーズ」で少年小説を出すようになったきっかけは、分かりません。しかし、どうやら編集者の中に顔のきく人がいたらしく、小林信彦「オヨヨ島の冒険」(これも少年ドラマシリーズになりました)や、井上ひさし「ブンとフン」などの、歴史に残る傑作が入っていました。
 しかし――ここからは、私がライターデビューした雑誌「SFイズム」のインタビューを参考にしますが、「サン・ヤング・シリーズ」の売れ行きは、どうも悪かったようで、中断していた。ところが、角川文庫がジュニア小説に目をつけて、「夕ばえ作戦」などを文庫で出し始めて、ソノラマの作品にも引きが来た、というんですね(ソノラマ文庫・石井進さんのインタビューによる)。
 ジュニア文庫の歴史から考えると、角川文庫の、当時はまだレーベルになっていなかったジュニアシリーズにも注目しなければなりませんが、これも残念ながら、まだ研究していません。とにかくそういうことがあったので、それでは自社で出そうということになり、初期の10冊のうち9冊が、「サン・ヤング・シリーズ」からの再録だったというのです。ラインナップを見ると、光瀬龍「暁はただ銀色」「北北東を警戒せよ」などのSF、怪奇から青春、ユーモアまで幅広い作風のミステリ作家・加納一朗の「イチコロ島SOS」(ブラック・ユーモアの大傑作です)などが見られます。ちなみにソノラマ文庫の初期には、やはり前の少年少女小説の流れを引き継いで、吉田としの少女小説や、横溝正史の怪奇冒険ミステリなども入っています。
 で。
 残る1冊が、実は大問題だったんです。SF以上に、ある意味ではジュニア文庫の流れを決定づけたかもしれません。そのことは、ソノラマ文庫の石井さんも認めています。
 ソノラマ文庫の第1番(当時は通し番号でした)は、豊田有恒原案・石津嵐著の、「宇宙戦艦ヤマト」でした。
 私はアニメ雑誌の草分け「アニメージュ」にもいたので、よく憶えていますが、今のようにある程度年齢のいった人が、アニメについてのファン活動を始めたのは、「タイム・トラベラー」と同じ1972年の、「海のトリトン」が初めてでした。それまでは、アニメはあくまで子どもが、あるいはご家族で見るものでした。しかし、そのファン活動が爆発的になったのは、1974年の「宇宙戦艦ヤマト」がきっかけだった、と言っていいと思います。この作品について、熱心なファン活動が行なわれたのは、また今では分からないことですが、視聴率不振で打ち切られたからなんですね。事情は簡単、裏番組に超人気アニメ、「アルプスの少女ハイジ」があったからです。
 その打ち切りによって、熱心な「ヤマト」ファンは活動を開始、再放送がされて、今度は大人気、ついに映画が作られ、ヒットしました。そして、時間は多少前後するかもしれませんが、そのファンの熱気を受けて、「アニメージュ」が「ヤマト」を表紙に創刊、そして、最初はサブカルチャー系雑誌だった「OUT」が「ヤマト」特集をきっかけにアニメ雑誌に変わっていくわけです。
 「少年ドラマシリーズ」に続く、今度はSFを中心とするアニメブーム。それがジュニア文庫を加速させました。詳しい人は、秋元文庫のSF路線が拡大したのは、アニメに関する本を出してからではないか、とも言っていますが、たしかその第一弾、それまでなかった、アニメのスタッフ・キャストや作品紹介を載せたデータブック、「テレビアニメ全集」が出たのは、1978年のことですから、ちょっと後の話だと思います。とにかく、
 「文庫自体が『ヤマト』に引っ張られてかろうじて命脈を保ってたんです」
(「SFイズム」の石井進さんの談話)
 という状態だったようです。
 そこへ、1976年に、集英社文庫・コバルトシリーズが参入して、1980年までは、この三つの文庫によって、ジュニア文庫が世に広まっていきます。コバルトシリーズについては、久美沙織さんにお任せします。何しろ、少女小説には、本当に興味がなかったもので。
 久美さんの原稿にないことを補足しておきますと、コバルト文庫は、実は、集英社文庫・コバルトシリーズとして、集英社文庫そのものより一年先に、創刊されています。この辺の事情は、私もよく知りません。ただ、角川のスニーカー文庫も、70年代には普通の角川文庫でジュニアを出していて、それが、1985年ごろ、ようやく「角川文庫・青版」という、それでも角川文庫の一部としてレーベル化し、やっとスニーカー文庫になったのは、その後のことでした。
 集英社文庫そのものよりも先に、コバルトシリーズが出ていた、というデータは、なかなか興味深いものがあります。
 ちなみに、コバルト文庫からも若桜木虔さんによる「宇宙戦艦ヤマト」が出ています。「ヤマト」への熱狂的な人気は、ちょっと今の若い方には分からないのではないかと思います。
 さて、少年ドラマシリーズと「ヤマト」の余韻を引っ張りつつ、その中で例えばソノラマ文庫では、ベテランアニメ脚本家の辻真先さんに、今も語り継がれ、また復刻されるという「仮題・中学殺人事件」のような傑作ミステリを書かせたり、今では大作家の清水義範さんの新鮮なSFがあったりする――とさらっと流すと、当時の作家の方々に失礼ですが、とにかく「ヤマト」の影響は大きかったようで、SFが大きな柱になります。そのうちに、1979年、またしても、打ち切り−ファン活動−再放映で爆発、というアニメの小説化が、ソノラマ文庫から出ます。「機動戦士ガンダム」です。「ガンダム」が打ち切られたことなど、もう知らない人もいるかもしれませんね。
 このように、ジュニア文庫、少なくとも少年文庫は、映像とからみ合いつつ、進んできたのですが、やがて、それがとても露骨な形になったのは、1980年代です。
 なお、ソノラマ文庫の大きな功績に、新人作家を多数輩出した、ということが挙げられます。中でも今に関係してくるのは、夢枕獏さん、菊地秀行さんです。
 菊地秀行さんは、ソノラマが別シリーズとして出した海外SFシリーズ(現在、とても入手しにくいシリーズとして、古本者が目を光らせています)の翻訳をしたため、代わりにオリジナルを書いていい、ということになり、「魔界都市<新宿>」でデビューしますが、当時の、大人のSFファンは、ジュニア文庫には目もくれなかったので、しばらくは知る人ぞ知る、という状態が続きました。ジュニア文庫に垣根を持たなかった「SFイズム」は、いち早く菊地秀行特集を組み、そこに参加できたのは、私のひそかな誇りです。
 現在もソノラマ文庫は、新人を積極的に輩出していますが、他の文庫も同じことを始めたので、あまり目立たなくなっています。
 蛇足ですが、個人的なことを一つ。私も今年、ソノラマ文庫から「精霊海流」を出しましたが(宣伝宣伝)、世の中では、私が沖縄に引っ越して、ソノラマで書いていた神野オキナさんに紹介されてソノラマで書いた――というような俗説が流れているようです。実は、私がソノラマ文庫とおつきあいを始めたのは1990年でして、いろいろあってなかなか企画が実現せず、やっと今年出せた、というわけなのです。
 神野さんとは、沖縄に住むジュニア作家同士ということで仲良くしていただいていますが、たぶん神野さんがまだ文筆業を始める前から(確認していませんが)、ソノラマさんには不義理を重ねていたのでした。

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第4回
ノヴェライズの時代
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精霊海流
序文参照。









オヨヨ島の冒険
小林信彦作。あらゆる「笑い」をミックスした傑作コメディ。

ブンとフン
井上ひさし作。
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吉田とし
「生きるとは」「青春とは」「性」「愛」「平和への願い」について書き続けた。


































集英社文庫コバルトシリーズ
そうです、そうでした! うっかり「コバルト文庫」というと怒られ、「集英社文庫コバルトシリーズ、と正しく表記しなさい」と毎度注意されたのでした。そういった意識が「ぼくらがやっているのは文学なんだからね」(『創世記』第9回)なんて発言にもつながるわけですね。しかし……集英社文庫そのものより早く創刊されてたなんて知りませんでした。それって、へんだよねぇ。
(by 久美沙織)
























夢枕獏
ベストセラー「陰陽師」の著者。
公式:蓬莱宮
菊地秀行
「魔界都市<新宿>」は1982年。他「吸血鬼ハンター」などの人気シリーズがある。










神野オキナ
「シックスボルト」「あそびにいくヨ!」などでお馴染み。
公式:三人共用名刺