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葛西伸哉『《X》の足音』感想スレッド

0 名前 : 極楽トンボ 投稿日 : 2004年05月31日(月) 06時13分19秒
葛西伸哉さんによるコラム『《X》の足音』に関するスレッドです。
お読みになってのご感想などをご自由にお書きくだされば幸いです。
よろしくお願いします。

1 名前 : ピエール 投稿日 : 2004年05月31日(月) 10時03分18秒
葛西先生、初めまして。私は読者の一人です。
さっそくコラムを読ませて戴きました。
いやぁ、先生が真剣にライトノベルについて考えている事が伝わって、
読んでて嬉しくなって思わずカキコさせて頂きいた次第です。
ラノベは、次世代の読者に送る
一つ次元の高い新たなフィクションのあり方なのだと思いました。
(誤読でしたらすみませんです。)


そういえば筒井康隆は「みだれ撃ち涜書ノート」で
こう言っていました。
「現実の鏡として虚構が存在した時代は終わっている。
その虚構をふたたび映し出す鏡としての現代がわれわれの周囲に満ち、
どこまでが現実でどこまでが虚構かの境界線がはっきりせぬ現在、
われわれの書くべきものは現実が模倣し得ぬ虚構独自のものでなければならないとつくづく思う。

超虚構性、虚構性の強調、どういう呼称でもよいが、
日本でもSFや笑いの文学によって培われ訓練された世代が
そうした文学の中に虚構性を再発見し評価する次代の知的読者層となってくれることを
われわれは期待するしかない」と


結果的に、現代は情報がリアルタイムと同じ速さで伝播し
情報それ自体が次代を引っ張っていく原動力になり得る時代となりました。
次世代に向けた表現手法の指標が錯綜し惑乱する中で
葛西先生の提示した「《X》」は新たな次元の手法として
小説という一つのジャンルに提示し得る重要な案の一つだと思います。

イラスト・漫画・アニメ・映画といった「見た目の情報量」が多いジャンルが入り混じる中で
そうした範疇と争うのではなく、協調する事で
小説をというジャンルを盛り上げ、作品それ自体のレベルを上げていこうという
先生の主張に胸が打たれました。


個人的に、《ライトノベル》というジャンルは御無沙汰でしたが
今回のコラムを機に、もう一度読んでみます。
無論、葛西先生の著作を中心にw

あと、今回のを書いたのが葛西先生で、本当に良かったです。
「熱死戦線ビットウォーズ」、あれ本当に面白かった。
憐の動機が自分の私利私欲ではなく、心から地球を救うをいう立場で動いていて
本当に良かったです。


読みにくく分かりづらい駄文で、済みませんでした。

2 名前 : ピエール 投稿日 : 2004年05月31日(月) 10時09分49秒
あと、最後の段落で「本当に」が意図的に連続して使っていますが
それは、初めて読んだときの感動がそうさせた物だと感じてくれたら嬉しいです。

あの本の作者がここでコラムを書いてくださり
天にも舞い上がる様な気持ちです。

3 名前 : 葛西 伸哉 投稿日 : 2004年06月01日(火) 05時33分36秒
ピエールさま

 拙稿に感想ありがとうございました。

 私はフィクションが一方的に現実の影響を受けるのではなく、少なくとも現代においてはフィクションと現実は互いに影響を与え合うひとつの「系」なのだと思います。
 個人の人格や価値観というのは体験や外部から与えられる情報によって形成されますが、これがかつては直接的な経験や家族、地域社会からの影響が圧倒的に大きかった。しかし、マスメディアの発達(それ以前には公教育の普及)によって、与えられる「情報」が占める割合が増大していったのではないかと。
 私の同世代や少し下の年齢の人たちと話すと「子供の頃どんな漫画やテレビに熱中したか」が共通の『体験』なんですよね。戦争や戦後の混乱と復興、あるいは学生運動というような大きなイベントを『体験』していない我々には。
 さらに現在では衛星などに見られる多チャンネル化、インターネットや携帯の普及などによって「みんなが同じ情報を浴びる」「共通の情報体験を元に集団や世代、社会への帰属意識を感じる」という事態がおきにくくなり、再び「個人の私的な経験」のウェイトが増しているようにも思えます。
(『エヴァンゲリオン』の大ヒットは携帯電話普及前、インターネット以前のパソ通文化時代だったからというのはうがち過ぎでしょうかね? 現状ではあんな風にみんなが「一斉に」作品論を戦わすのは難しいでしょう)

 恐らく《X》が成立したとして、それは現状の「ライトノベル」にとって替わるものではないでしょう。映画が生まれても舞台演劇が滅びなかったように、テレビドラマが映画を完全には駆逐し得ないように、そして「ライトノベル」が「従来の小説」の地位を奪っていないように、何らかの意味で独自の魅力を持つ新たな表現手段が生まれるという事は、作り手にも受け手にも選択肢が増えるというだけの事でしょうね。

4 名前 : くみにゃ 投稿日 : 2004年06月01日(火) 10時05分53秒
“X”という呼び方はカッコいいなぁと思っておりました。マウンテンバイクやスノーボードなどにも“Xゲーム”というジャンルがある。“X世代”みたいな言い方もする。
フィクションと現実がひとつの「系」だというご意見に諸手をあげて賛成します。「どの」傾向のフィクションを好んで選び取っていくかは、これからのひとびとにはわたしぐらいの年齢の人間以上に現実の人生に強い影響を与えるだろうと思います。オタクはオタク同士恋をし結婚して自分の血中オタ度をますます上げながら生活し、こどもさんには幼児オタ洗礼をさずけるわけで。
別の板で書きましたように、コトバの魔法を強く信じる種族にも、滅んでは欲しくないなぁと思っております。

5 名前 : ピエール 投稿日 : 2004年06月01日(火) 11時14分54秒
二度目の書き込みです。

くみにゃ様。
初めましてです。
貴女のコラム「“ライトノベル”ってなんなのさ?」を読ませて頂きました。

互いが是とする価値観が交差する中。
それでも良い作品、新人の方を見つけていく
久美様の、そして皆様の真摯な姿勢に感激致しました。
大変だと思われますが、どうか頑張って下さいです。

そうなんですよね。「X」って言い回し、格好良いと思いました。
このXって奴は、デカルトが1637年に書いた「Geometry」で
既知数をaから呼び始めるのに対して
未知数をxから呼び始めると定義したのが始まりだと思うのですけれど。

従来の小説を超えた、確実に近づいてくる新しい「何か」の概念に「X」を振るとは。
もう、凄く良いセンスですよ。最高っす。


フィクションと現実が「系」として影響を与え合うのならば、
読者は、その系の中での現実とフィクションにおいて
何を選び、何を指標にして生きていくべきか難しくなりますね。
バランス感覚と言いますか、妥協させずに両立する能力といいますか。
作家だけではなく、読者もまた次の世代の為に努力する必要がでてきますね。

やはり、ここ最近のラノベの波に注目ですね。

6 名前 : 葛西 伸哉 投稿日 : 2004年06月01日(火) 23時43分52秒
久美さま
 私の知り合いにも夫婦揃ってオタクという人はいます。現実とフィクションの相互作用という事を考えると、新生児の名前ランキングなんかはものすごく顕著で、あきらかにフィクションから材を取ったであろう名前がぞろぞろしています。
 あるいは『キャプテン翼』に影響されてサッカーを始めた人たちが選手として成熟する頃にJリーグが興り、そのJリーグ人気で『キャプ翼』が復活するとか。
 実は小説の未来について、個人的に楽観している材料があります。拙稿でも触れた通り狭義のライトノベルの誕生は富士見ファンタジア、角川スニーカーの創刊からだと思いますが、これらはマンガやアニメの隆盛の「後」だという事です。
 既にマンガもアニメも溢れかえっているフィクション市場に、敢えて「小説」が必要とされ、仇花で消えずに15年以上も続いているという事実です。既にマンガもアニメもあるのですから単に「アニメのようなもの」が求められているのなら、小説という絵も動きも音もないメディアが選ばれたりはしないでしょう。
 やはり「小説ならでは」の何かに需要があるからこそ「ライトノベル」は生まれ、今の進化(少なくとも適応)し続けているのだと、私は信じていますし、それを頼りに仕事しております。

ピエール様
《X》と名づけたのは、単に具体的な意味を付与せず「未知」である事だけを示したかったからです。まあ、デカルトの「X」にしてからがこの活字が余ってて使いやすかったから、だそうですが。
 フィクション屋というのは自分の脳ミソから出た、具体的な価値のないものに人様の大事なお金と時間を費やさせる仕事です。しかも、職業的に嘘をついて道徳に触れないほぼ唯一の職業。
 特に「ライトノベル」は主な対象が若い世代です。がちがちに硬直したモラルに忠誠を誓う気はさらさらないですが、書き手としては読者の「人格の栄養」になりたいですね。
「相手がそれを求めている」のを言い訳に有害な添加物を入れたりするのは、やっぱり供給者のモラルとしてまずいと思うので。


7 名前 : Surreal 投稿日 : 2004年06月02日(水) 21時24分10秒
> あきらかにフィクションから材を取ったであろう名前が

 ……そう言えば、私の知り合いの知り合いに、自分の娘を志保ちゃんにしてしまった長岡さんがおられるとかで……父親の方の命名で、しばらく後に由来がバレて思い切り怒られたとかなんとかいう話を聞いたことがあったような。


 こちらの掲示板への記入は初めてとなります。Surrealと申します。

 コラムを読ませて戴きました。
 こちらは生来大雑把なたちであり、コラムを読んで受け取った情報が果たして発信側が意図した通りに受け取れているかは相当自信がないのでありますが……。

 本稿の一番の対象物である「《X》」ですが。

“テキストによるフィクションの面白さを主軸に起きながら、それをより効果的にするためにビジュアルやイラスト、ブックデザインまでをも最初から総合的にコントロールし、構築されたもの”

 であり、

“単に小説を書くというスキルだけでは実現できないほどの「テキストとビジュアルの連動・融合」ができてこそ「小説」ではない《X》”

 であり、

“《X》においては従来の小説家は「テキストライター」として重要な位置は占めつつも、プロデューサーやトータルプランナーの支持を受けて物語文部分を担当するスタッフのひとりになるでしょう”

 と、それ自体が《X》の定義付けとは少々異なるのではありましょうが、語られておいででした。

 で、その辺りのくだりを読んでふと感じたのですけれど。

 問題の次世代型である《X》。それは少なくとも現時点ではゲームより発したテキストメディアであるサウンドノベルやヴィジュアルノベルの方が、より近い存在ではないか、と感じられるのですが。
 “《X》は本である”とするのであれば、また話は違ってくるのでしょうが、少なくとも私が今抜き出したところから想像されるものとほぼ同じ方向を目指しているメディアなのではないかと思えます。

 さて、その上で何が聞きたいのか、と言われると正直答えに詰まってしまうわけですが……。
 あるいはライトノベルとヴィジュアルノベルの延長線上に《X》は置けるのか。
 それとも、何か確固たる違いがあるものなのか。

 その辺りも含めて、さらにお話をうかがってみたいかと思いました。


8 名前 : 葛西 伸哉 投稿日 : 2004年06月03日(木) 08時22分36秒
Surrealさま

 ご意見ありがとうございます。
 実はあのコラムを書いた時点で、ご指摘いただいたビジュアルノベルの事は念頭にありました。ただ、私自身がビジュアルノベルの現状を知らないため、思いこみで的外れな事を書かない方がいいだろうと思って避けた次第です(何しろ私のビジュアルノベルプレイ体験は『痕』で止まってるもので。こうして詳しい方からつっこみが入ってくれて助かりました)
 ご指摘の通り、私論の中にある《X》とビジュアルノベルは比較的近い存在だと思います。ただ、目指す方向が似ていても本とコンピュータソフトという媒体の違いがあるため完全に一致する事はなく、共存・住み分け可能なのではないかとも。ちょうどアニメとマンガが共存しているように。今後、何らかの技術革新が起きれば別でしょうけど。
 例えばビジュアルノベルでは「敢えて音楽を使わない」というのは特殊な選択になるでしょうけれど、小説そして《X》では原則として音響効果を使用しないはずです。しかし、これはビジュアルノベルと《X》の差異であって、優劣ではないでしょうね。創る際に音楽が使える事を前提にするか、使えない事を前提にするか。それぞれに応じた作劇法が存在するかと思います。

9 名前 : むらやま 投稿日 : 2004年06月03日(木) 15時25分34秒
素人作家のむらやまと言います。
『《X》の足音』読みました。
ライトノベルという言葉の解釈から始まり、編集の力を説き、近年の小説作品から
《X》出現の可能性を論じてあり、とても読み応えがありました。

葛西さんが描く《X》の定義から、Surrealさんはサウンドノベルやビジュアルノベルを
イメージされ、私もまた同じ印象を受けました。
加えて《X》の定義は、昨今の雑誌およびムック(ガチャピンの相方でない方)にも
当てはまるなとも感じました。
“テキストによるフィクションの面白さを主軸に起き”
という点は、必ずしも雑誌の目的ではありませんが、
“ビジュアルやイラスト、ブックデザインまでをも最初から総合的にコントロールし、
構築されたもの”
という部分は、まさに雑誌の編集方法です。
これは、定義の元となった『奏(騒)楽都市OSAKA』や『撲殺天使ドクロちゃん』が、
コンピュータゲームや雑誌の文法(編集方法)に則って、生み出されたことに
起因しているからではないでしょうか。

他にも、本という形式から離れたトレーディングカードゲーム。
本の形式は残しつつも紙という材質からも離れ、PVC製(フタル酸エステル類を使用せず)
の人形を同梱したムック(最近『週刊わたしのおにいちゃん』という話題作が
発売されました)など。

こういうところにもまた《X》の影があるような気がします。

10 名前 : 木村 航 投稿日 : 2004年06月03日(木) 17時26分08秒
 はじめまして。ファミ通文庫で『ぺとぺとさん』を上梓しております木村航と申します。
 どなたも指摘なさらないようなので、ひとこと書かせていただきますが。
 葛西さんがおっしゃる《X》の定義を拝見し、あたくしは江戸時代の草双紙を連想しました。あれはまさに現在のライトノベルの形式の祖先であるように、あたくしには思えます。なにしろ毎ページごとに見開きの挿絵がついていて、余白にテキストがある状態。と、ものの本には書いてある。あたくしは実物を通読したことはありませんが、よーするに「一般の読者にわかりやすいように、テキストとイラストが相互に補い合う形式」として、草双紙というものは考えられていた。とくに江戸時代も半ば以降に現れた合巻という長編物語は、伝奇的な趣向がたっぷり、シリーズ化当たり前、人気が出れば脚色されて舞台にもかかるという、メディアミックスまで現在とおんなじノリで行われておりますな。
 ま、あたくしは資料調べの過程で知識として知っただけですんで、どなたか国文とか専攻してらっしゃる学生さんにでも、詳しいこと解説していただけたらいいんじゃないかなと思います。
 あたくしが申し上げたいのは……。

 ライトノベルは、日本の大衆文芸の正統かもしれない。

 ま、フツーはこんなこと言うと笑われますが。
 でも少なくとも、セル画が浮世絵との類似点を多く持つのと同じ程度には、信用できる着眼点ではないか。あたくしはそのように考えております。
 で、葛西さんがおっしゃる《X》の定義に関して、いろいろと思うところもあるんですけれども。
 あたくし別名でビジュアルノベルのシナリオなども書いておりまして、そうした経験から、おそらくヒントとなりうるだろうポイントを簡単に示唆させていただきますね。

▽形式は、内容を縛る。であるならば、内容は形式を十全に使いこなし使い尽くさねばならない。形式に最適化された内容は、形式が許す最大の効果を発揮する。

 ……なんのことだか、わかんないかなあ(笑)。
 たとえばね、文庫本あるでしょう。それは物質で、手触りと質量がある。1ページずつめくって読み進むというルールがある。たいていは縦書きで、右から順に、かなとカナと漢字が混じった日本語という複雑玄妙な言葉で書かれている。
 こうしたことのすべてを、あたくしは「形式」と呼びます。
 我々は、こういうものを本と呼び、読書体験と理解している。
 しかし、それは読書のすべてではない。
 だって昔は巻物だったんですからね、本って。
 我々が知る本の読書体験と、巻物のそれとは明らかに異なるだろうことは、どなたにも想像がつくだろうと思います。巻物には巻物なりの書き方があり、読み方もまたある。
 要は、いかに形式を使いこなすか。
 拙著『ぺとぺとさん』では、そうした試みを行ってみたつもりです。
 また、ビジュアルノベルとしては『Forest』という作品で、いろいろと新しい試みをやってみました。あなたが18歳以上で、この掲示板に書かれている話題に興味をお持ちならば、ぜひお確かめくださいませ。

11 名前 : 葛西 伸哉 投稿日 : 2004年06月03日(木) 18時35分53秒
むらやまさま

 ご意見ありがとうございます。
 拙稿で触れた《X》の方法論が雑誌的というのは自分でも気づいていなかった事です。一部のライトノベルでも口絵部分がマンガ仕立てのプロローグになっているものがありますが、ひとつのストーリーをムック形式で最適化するという試みもありうるかも知れません。マンガで表現したいシーンはマンガで、小説で描くべき部分は小説で……というように。もっとも、このやり方で完成度が低いと安易な手抜きにしか見えないでしょうけれど。
 それと、あくまでも拙稿での《X》は「テキストで表現されたストーリーの面白さを主軸に据える」ものだと考えています。むらやまさまの着眼点も面白いとは思うのですけど、あまり際限なく周辺に拡張していくと単なるメディアミックスと区別がつかなくなっていきそうで。

木村航さま
 
 ご意見ありがとうございます。ほんと、自分のコラムごときは単なる呼び水で、こうして現場でさまざまなアプローチを実践している方の声を引き出せただけでも、恥を忍んで世に出した甲斐があったと思います。

▽形式は、内容を縛る。であるならば、内容は形式を十全に使いこなし使い尽くさねばならない。形式に最適化された内容は、形式が許す最大の効果を発揮する。

 これはその通りだと思います。ですから自分なんかは「映画のようなゲーム」が我慢ならないたちでして。「映画的な感動が欲しいなら素直に映画観に行くわ、ゲームならではの快感が欲しいからゲームをプレイするんじゃ!」と何度叫んだことか。
 同様に面白い小説(ライトノベルも含めて)というのは「アニメのような」「マンガのような」快感ではなく、小説ならではの面白さを提供するものだとも思います。古くは新井素子氏、最近ではおかゆまさき氏の作品が「マンガ的な軽さ」を盛りこみながら、小説という形式に最適化されているように。
 ただ、内容と形式の関わりについて、小説に限っていえば多少の異論もあります。これは拙著の後書きでも触れた事ですが、小説というのは形式への依存度が極めて小さい表現だと思うのですよ。書体や段組、版型が変わっても内容が変質しない、抽象化されたコード体系に則って完全な保存ができるというのは小説の長所ではないかと。このあたりは例の「テキスト主義」の話とも関わってきますが。
(例えば京極夏彦氏のように版型や段組の変化に合わせてテキストも修正する方もいますし、初出の際にその時の形式に最適化するための努力は惜しむべきではないとも思いますが)

12 名前 : 葛西 伸哉 投稿日 : 2004年06月03日(木) 21時49分17秒
 重要な事を見落としてたんで補足。
 小説であっても都筑道夫氏の『猫の舌に釘を打て』みたいに「形式」とのマッチングが極めて高いケースもあるので、一概に「小説は形式へ依存しない」と言い切ったらまずいですね。
 アレはまさしく小説が「書物」である事、書店で売られる事までを作品の内部に取りこんだ傑作でした。唯一の欠点は「活字」で打たれている事くらいでしょうか。それも可読性との兼ね合いを考えれば致し方ない妥協と言えるでしょうが。

13 名前 : 木村 航 投稿日 : 2004年06月04日(金) 11時53分31秒
 都筑センセーは心の師匠と仰いでいる木村航でございます。
 ミステリ畑では、ご指摘のような例はままありますね。泡坂妻夫先生の『しあわせの書』なんか、べらぼうですわなあ。

14 名前 : くみにゃ 投稿日 : 2004年06月04日(金) 12時12分37秒
>自分の娘を志保ちゃんにしてしまった長岡さんがおられるとかで

??? 
ひょっとして有名ギャルゲーかなんかにそういうかたがおられるのかな?

わたしの仲良しの某女子の母方の苗字は「碇」さんで、ご親戚の中にお名前が「ゆい」ちゃんというかたがおられるらしい(シンジくんのママですね)。アレが流行っていたまっさかりの頃に高校生だったので、それ「にちなんで」つけられたわけではない、そうです。

>個人的に楽観している材料

ほんとうだ。……そうだねぇ! なんだか元気でてきました。さんきゅーです葛西さま。

>『ぺとぺとさん』
わー。それ読んでみたいかも。メモメモ。木村さん、宣伝うまっ(笑)。

>「映画のようなゲーム」が我慢ならない

賛成です。CGも、そのすごさそのものがはじめの頃はおもしろかったけど、あっという間に見慣れてしまったな。

CGの発達と安価になったことには、もちろんいいところも多々ありますけれども、それはちょっとどうよ、みたいなものまでCGのおかげでどんどん映像化されちゃう部分もありますね。

ちなみに、わたしはまだどっちもみてないんですけど、こんどの『キャシャーン』を観てきたかたや『キューティーハニー』を観てきたかた、あんまり良くおっしゃらないみたい。キャ→「トラベリング」を延々見せられているみたいでしかもそれより薄い(そらプロモーションのほうが単位時間あたりのおカネのかけかたが高いだろう)とか、キュ→なんで七変化しないのさ! とか。リメイクは、元作品のファンを納得させるというだけでも、ハードル高い。『デビルマン』は大好きなのでがんばってほしいんですけど……でも、映画は観ないかも。ミキちゃんの頭部が槍の先にくっついてる絵とか、あれ、実はすっごいコワイじゃないですか。リアルに映像化されたりしたら、うなされそう。

>小説ならではの面白さを提供するもの

それって、どういうものだと葛西さんは思われます? わたしは、やはりテキスト……文章そのもの……に個性とエロス(快感)があるものではないかと思います。美空ひばりさまの声が、(どんなメロディでも、どんな歌詞内容でも、どんな曲想でもリズムでも)声自体、音そのものとして、多くのひとに快感を与えるものであるように。なんでもひばりさまの声からは、F分の1ゆらぎが検出されるのだとか。
いつか文体も、なんらかのデジタルスペックで(部分的にでも)分析検証される時代が来るかもしれないですね。








15 名前 : 海燕 投稿日 : 2004年06月04日(金) 14時10分47秒
>「映画のようなゲーム」が我慢ならないたち

しかし、いわゆる「ゲームらしいゲーム」のおもしろさというものは、多くの場合、プレイしてみないことにはわからないうえに、言葉で説明することもむずかしいものです。ずっくりとモニターの前に座って3時間やってみて初めてわかるおもしろさというものもある。それに対してビジュアルでばーんとバトルシーンでも見せればすぐに凄さをわかってもらえる。だからみんなCGにお金を使って、結果として「映画のようなゲーム」になってしまうということなのではないかと。ただ、あきらかにこの手法も限界にきていますよね。FFの新作を見てもむかしほど衝撃を受けなくなった。

この問題、「一般文藝」と「ライトノベル」の話にかぎりなく近いなにかを秘めているのではないでしょうか。小説の繊細な文体や緻密な構成のおもしろさは、基本的には読んでみないとわからないものです。まあ、慣れてくると自分でも説明できない第六感で直感的に判定できたりするんだけれど、それはやっぱり例外でしょう。だから可愛いイラストなどでインパクトをあたえることができるライトノベルが若年層に流行る。しかし、これだって小説の質に対し絵の出来だけが突出していたら、「イラスト集みたいな小説」になってしまうんじゃないかな。実際、あれとかあれとかあれとかは、ほんとに(以下検閲削除)。

>自分の娘を志保ちゃんにしてしまった長岡さんがおられるとかで

長岡さんちの志保ちゃんは、Leafのパソコンゲーム「To Heart」の10人ほどいるヒロインのひとりです。ちなみに僕のパソコンは「とうはと」と入れると「To Heart」と出ます。人間なんてららーらーらららら〜ら♪ あ、ちなみに「痕」はLeafが「To Heart」に先立って製作した作品で、この2本で美少女系ビジュアルノベルのシステムはほぼ完成したといって良いかと思います。その意味でまさに記念碑的な作品です。「痕」と書いて「きずあと」と読ませるセンスはいま考えてみても抜群ですね。でも、娘の名前に使っちゃダメだろ。

>いつか文体も、なんらかのデジタルスペックで(部分的にでも)分析検証される時代が来るかもしれないですね。

シェイクスピアの作品などはデジタル解析による「癖」の検出によって真贋を判定されているそうで、すでにそういう時代は来ているといえるかもしれません。もちろん、それで大シェイクスピアの作品を再現できるわけではないのですが。

16 名前 : 木村 航 投稿日 : 2004年06月04日(金) 17時35分38秒
 えーと。いろいろ書きたいこともあるんですが、ネタバレになっちゃったり、メシの種だったりしますんで(笑)、ヒントだけ提示させていただきますね。

▽ライトノベルのテキストは「文」であるより「音」であるというのが木村航の持論。たとえば『されど罪人は竜と踊る』は、あたくしは高く評価します。が、世間では地雷との評もあるらしい。この意識の差はなんなのか。大きな検討課題ととらえております。

▽舞台芸術との親和性を考えてみるべきではないか。とくにセリフの問題に関して。セリフは「小説」よりも千年単位で古く、そしていまなお新しい問題だと思う。……って、ちゃんと勉強してませんけどね(笑)。

▽子ども「も」読む。であるからには、常に「最初の1冊」となる運命を背負いうるという自覚、覚悟、矜持があるべき。われわれはひとりの人間の将来を左右するかもしれない。

 ……って、なんか謎々みたいですが(笑)。
 ところで久美先生。あたくしも岩手出身でがんす。お仲間、お仲間〜。

17 名前 : アメトラ 投稿日 : 2004年06月04日(金) 22時12分51秒
関係無いかもしれませんが、昔の少年雑誌には絵物語というやつがあったようですね。
少年向けの小説に、小松崎茂氏等ののイラストが合わさったものだそうです。
藤子氏の「まんが道」で知っただけの知識ですので全然詳しくないですが。
あれもラノベに関係してるのかなあと思ったので、書き込んでみました。

18 名前 : 葛西 伸哉 投稿日 : 2004年06月04日(金) 23時41分54秒
海燕さま
 売りやすくするための第一印象の操作という点では、確かに「アニメみたいな小説」「映画みたいなゲーム」というのは初めのうちは有

効かも知れませんが、それが飽和してしまったら意味がないんですよね。同感です。
 ただ、ゲームに関しては情報誌があり、完全な不偏不党は望むべくもないですが、ある程度参考にできるのが現状です。複数の雑誌があ

るのですから、自分の趣味・感性とマッチするものを選ぶ事もできるわけですし。
 ライトノベルはそういう紹介・評価の媒体が少ないわけですから「このライトノベルがすごい」のような企画も意義ある事だと思います


(これ自体が権威になってしまうようだとまずいのですが、第一回からあまりこういう苦言を呈するのは場違いですね。失礼)

アメトラさま
 以前、同業者知人と一緒に戦前戦中の少年雑誌の資料展を見学した際に、掲載されている小説群で扱っている題材が今のライトノベルとほとんど変わらない事に驚いた事があります。学園生活の中にほんのちょっと現実にはないような理想の友情が盛り込まれていたり、最新鋭プラスアルファのメカを駆使した壮大な活劇があったり。秘境冒険モノはちょうど異世界ファンタジーに置き換わっているわけですし。
 その辺りまで考えると「ライトノベル」というのが絵物語は少年小説、さらに遡って江戸時代の絵草子の現代的再生というのはあながち間違いでもないと、私も思います。

木村さま
 都筑氏は私も尊敬している作家です。氏のジャンルを選ばない作風の幅広さや華麗で自然なペダンティズムは憧れであり、理想と言ってもいいでしょう。
「ライトノベルが子供がよむ最初の一冊になる」という事に関してはまったく同意で、ひとりの人間が読書家になるかどうかが我々の手にかかってるのだという自覚は忘れてはいけないと常々肝に命じてます。個々の方法論に関しては同意できるものも、首肯しかねるものもありますが、それはお互い作品で示していくべきでしょうね。
 ちなみに私は青森生まれです。ひょっとしてこのスレッド、北奥羽比率が高い?

くみにゃさま
 小説ならではの特質ですが、木村さまではないですが私もこの場で全部バラすわけにはいかないもので、多少のヒントだけ。
 私自身、文章の美醜に関しては感度が低い生き物なのであまりそこにはこだわれないです(苦笑)。ただ、私なりの突破口として考えているのは小説はいまだに「主観」を描ける唯一のメディアだという事。この言い方が大げさだとしたら「主観の絶対性を描くのに最も適しているのはテキストである」という事です。ビジュアルノベルなど、恋愛ゲームやギャルゲーと呼ばれるジャンルが隆盛なのは、テキストによる表現と恋愛という精神活動が「主観の絶対性」という点で親和性が高いからではないかと。
 他にもいろいろ小説ならではの長所はあるでしょうが、個人的にはこれが最大のポイントですかね。
 余談ですが『キャシャーン』も『ハニー』も友人と誘い合わせて見てきました。ほぼ共通の感想として、前者は原作との比較以前に映画としてダメ、後者は映像は実はそれほどでもないけど、演出やプロットが上手い、というあたりでした。

19 名前 : くみにゃ 投稿日 : 2004年06月05日(土) 12時01分23秒
矜持。
ひさびさにみたなぁ、このコトバ……。忘れてましたです。
木村さま同郷だったのかぁ! なんか嬉しいな。こんごともよろしくです。ちなみに早見さんも(いまはオキナワ在住ですが)青森のひとだし、ウブカタさんのほうは、ご出身は違うようですが、いま福島に住んでおられるとか? なんなんだこのトーホグ率の高さは……???

すみません他の板にも書きましたが、婆はちょっと湯治にでかけて留守にします。すばらく居ねが許スてけろでゃ。ットコラショト。


20 名前 : 木村 航 投稿日 : 2004年06月05日(土) 16時49分53秒
 むおお。いままさにビジュアルノベルのお仕事に取りかかりつつあり、とたんに修羅場突入確定の木村航でございます。
 なので、しばらく書き込めなくなるかと思われますが、つーかそーしないといかんのだが、やばいなーこの掲示板。麻薬だ麻薬だ。

 葛西様
 主観の問題に関して、ビジュアルノベルの現場では悲観論もございます。そもそもプレイヤー(読者)が「読まない」「考えない」という……。そこをなんとか盛り上げるのが技術っつーことになるわけですが。

 アメトラ様
 絵物語、紙芝居、その他「絵」を伴うメディアは種々ありますが、ひとくくりにして考えるのはちょっと待ったほうがいいかもしれません。絵物語は、テキストまで自分で書く作家以外は、挿絵の延長という意識が強かったのでは? って、ごめんなさい、これはきちんと調べず、印象で言ってますけど。

 で……。
 東北率高いですなあ(笑)。
 SFは大阪が産地だけど、ラノベは東北名物なのだろーか(笑)。

21 名前 : くみにゃ 投稿日 : 2004年06月05日(土) 19時50分01秒
「ぺとぺとさん」別板でもホメられてました! わたしもさっき地元の本屋さんに注文のFAXいれましたです! 楽しみにしてますです。



22 名前 : アメトラ 投稿日 : 2004年06月06日(日) 11時28分25秒
葛西さま
 確かに昔の少年小説は、今のライトノベルと似ていますね。柴田錬三郎氏が書いていたりして、少年向けもやっていたのだと驚いた記憶があります。

木村さま
 レスありがとうございます。ライトノベルの中にも挿絵が重要な役割を持たされているものと、そうでないものもあると思うので難しいですね。
 絵物語については、個人的に色々調べてみたいと思います。

 そういえば少年小説の位置づけとして興味深かったのは、今は子供の読み物はマンガが主流ですが、昔は小説だったということです。
「まんが道」の主人公も、「漫画ばかりにページはさけない」と断られたりしますし。
 で、こういった変遷もライトノベルを考える上で面白いかなと思ったりします。今はただの感想で、自分の頭できっちりまとまっているわけではないのですが。

23 名前 : 木村 航 投稿日 : 2004年06月06日(日) 16時56分43秒
 こんなことやってる場合じゃないのに、のぞいてしまうよーう。おろろーん。

 アメトラ様。
 んーと。絵物語に関しては、あたくしの言葉が足りませんで失礼を致しました。前回のあたくしの書き込みは「ラノベ(的)な表現手法として最適化された存在としての絵物語」に関して、作者の意識のあり方として、どうなのか。という意味でございます。
 つか簡単に言うと、あんたらマジでやってます? お客さん、なめてません? ということ。ってこれ、ますますわかりにくいし恣意的かな。まあいいや。
 そしてあたくしにとって藤子両先生は、神!(笑)
 実は『ぺとぺとさん』はミズキ度よりフジモト度が高かったりします(笑)。

 久美先生。
 お買い上げありがとーございますー。営業営業っと。
 ご感想は、もう、ビシビシと(笑)。

 葛西様。
 あのー、せっかくだから『パメラパムラ』も宣伝しません?
 舞台のお話だし。

24 名前 : 葛西 伸哉 投稿日 : 2004年06月07日(月) 18時20分15秒
アメトラさま
『まんが道』の時代に比べると「少年雑誌」「児童雑誌」そのものが減ったという事はあるかも知れませんね。
 子供向けの「マンガ雑誌」などは存在してもマンガはもちろん、小説や読み物記事などを網羅した文字通りの「雑」誌というのはほとんど姿を消しているのではないでしょうか。
 これは子供向けに限らず、もうちょっと上の世代に関しても趣味の細分化が進んでいるように思います(あるいは私が不勉強で知らないだけかも知れませんが)。
 これはこれで豊かさの現われであり、選択肢が豊富なのはいい事なのですけど、あまり若いうちに細分化された狭い世界にはまりこむのもどうかなぁ、という危惧も。マンガやライトノベルなど、中高生をターゲットにしたフィクションの役目のひとつとして、読者にさまざまな世界への興味を持たせる窓口になる事もあるのではないかと。

木村さま
 むぅ。既に現場では「主観」についても危惧論がありますか。
 ただ、それでもこれが小説(テキスト媒体)の大きなメリットである事は変わらないと思いますし、何とか作品自体の力でカバーするというか、読者を引きずりこみたいですね。
『パメラパムラ』の宣伝をしたいのもやまやまなんですが、まあ、本題はあくまでコラムなので(苦笑)。
 それに『パメラパムラ』は前作の『アニレオン!』に比べると「普通に小説らしい小説にする」事を念頭においたので、このコラムの話題とは絡めにくいんですよ。

25 名前 : 海燕 投稿日 : 2004年06月08日(火) 06時15分16秒
>「このライトノベルがすごい」のような企画も意義ある事だと思います

今回もおおむね成功したと思いますし、スタッフの皆様のご尽力には掛け値なしに賛嘆しますが、今後も5、6回続けるうちにだんだん規模が大きくなっていくのではないかと。あとはここに参加した作家さんたちが著書のあとがきなどでちょっと触れておく(笑)。これで次回も成功間違いなし。本の帯で「「このライトノベルがすごい!」第3位獲得」などと書かれるようになれば完璧ですが、まあそれはさすがに遠い目標でしょうか。

>「さよなら妖精」

やっぱり青春小説の雰囲気がライトノベル的なんじゃないでしょうか。「世界の中心で、愛を叫ぶ」の主人公は一応高校生なんだけれど、妙におとなびていて、達観しているように見える。それに対して「さよなら妖精」の主人公は、一見すると悟り澄ましたような態度をとりはするんだけれど、じっさいには内側はがたがたで、目標と呼べそうなものはなにもなく、すがるようにして目の前にあらわれた「異世界」に飛びつく。そして拒絶される。

よく考えてみればこれって小野不由美主上による「十二国記」外伝「魔性の子」と同じパターンかもしれない。また主人公の内面のその空虚さはたぶん西尾維新「戯言遣いシリーズ」のいーちゃんとか、乙一「GOTH」の「僕」にも通じる現代的なもので、つまり米澤穂信のなかには隠しきれない現代性がある。片山恭一のなかにはあまりない。そこらへんの違いかと。佐藤友哉、西尾維新、乙一、冲方丁、米澤穂信、滝本竜彦、北山猛邦などの新世代作家を僕は勝手に「78年組」と呼んでいます。

70年代後半から80年代初頭にかけて生まれたこれらの作家は、作品内容的にもどこか共通点があるような気がしますし、しばしばライトノベルと一般文藝のあいだを遊泳しながら作品を発表する立場にあることも共通しています。だから米澤さんの作品は「ライトノベルの空気」をなんとなく漂わせているのではないかと。

26 名前 : 葛西 伸哉 投稿日 : 2004年06月08日(火) 10時32分46秒
海燕さま
 前の発言でもちょっと触れた事ですけれど「このライトノベルがすごい!」が有意義な企画であり、その成功は祝福すべき事なのですが、忘れてはいけないのは「これはあくまでも少数個人の自発的意思で生まれた趣味的なもの」だという点ではないかと。
 第一回が形を成したばかりでこんな事を言うのは無粋なのは承知ですが、これ自体が一種の「権威」になってしまうのを私はほんの少し心配しています。他のスレッドでも指摘している方がいましたが、熱心な読書家であり、ネットで感想・書評サイトを開いている読者と、売り上げの数字にダイレクトに反映される大多数の読者の間にはけっこうな温度差があります。ましてや若い世代を対象にするライトノベル。読者の中には自前の回線・ネット環境を持っていない人も決して少なくないでしょう(ネットを日常的に使っていると、つい忘れがちになってしまいますが)。
「権威」としてではなく「あまたある信頼できる指針のひとつ」として「このライトノベルがすごい」が育っていく事が、私の望みです。それは即ち、同様のものが他にも現われてほしいという事ですが。

 コラムでも述べた通り「ライトノベル」というのは実質の伴わないパッケージングというのが私見ですが、それでも敢えて区分する必要があるとしたら、あくまでも「形式」「レーベル」で分類すべきだろうと考えています。
 例えば「非ライトノベル」の小説をある読者が「ライトノベル」だと感じたとして、それがその小説の中に本当にライトノベル的な何かが存在しているのか、読んだ当人が自分の好みに合致する何らかのファクターを「ライトノベル的」と認識したのかは区別が困難だからです。一歩間違うと「これは面白いし、ライトノベル好きの私の琴線に触れたのだからライトノベルだ」という話になってしまうでしょう。これは「この小説はマンガ絵がついているけれど内容が高度で私が読むに足るからライトノベルではない」という、ライトノベル排斥の論法の裏返しです。
「ライトノベル(の中の一部作品)」と共通する何かを有している事と、ライトノベルである事は決してイコールではありません。
 それは小説の中だけではなく、アニメやマンガ、ゲームなどでも時代の空気、世代の気分を敏感に反映した作品が似た傾向を持つというだけの事なのではないでしょうか。
 定義論が形式から遊離し、個人や小さなグループ内での明文化困難なセンスに頼るようになったら、その名で呼ばれる「ジャンル」は下火になっていきます。80年代の「ガンダムはSFではない」論争が、結局SFに足を運ぶ新規顧客を減らしてしまったように。

27 名前 : Surreal 投稿日 : 2004年06月08日(火) 21時33分30秒
 前にお答えいただいてから、何か言うタイミングを逃してしまって失礼いたしました。


 まあ、「このライトノベルがすごい!」の権威化、その是非は、まあ敢えてさておいて。
 権威化させたいんだったら、実は簡単……いや、考えようによってはものすごく難しいのですが。
 原意の方の“転石、苔を生ぜず”のつもりで、最低10年以上、無事に継続すればいい。
 30年も超えてくれば、うまくすれば星雲賞ぐらいにはなれます(笑)。

 まいじゃーの方でも極楽トンボ賞(敢えて極楽トンボ氏を取りあげたのは草三井氏や白翁氏らこのラノの達成に尽力なさった諸氏をないがしろにする意図があるわけではなく、あくまで元々まいじゃーの掲示板でガンパレネタで冗談するつもりでした話だったせいです、為念)って冗談をやるためにちょっと星雲賞を引き合いに出して話題にしましたけど、まあそれはそれとして。


> 熱心な読書家であり、ネットで感想・書評サイトを開いている読者と、売り上げの数字にダイレクトに反映される大多数の読者の間にはけっこうな温度差があります

 所謂、アンケートの特殊性ですね。
 ですがまあ、これはそういうものであるという自覚さえしっかり出来ていれば、あんまり重視しません。
 なんせ“あなたの知らない傑作あります”ですから(爆)。

 もちろん、温度差があることを承知しつつ、冷えてる方を少しだけ温めることさえ出来ればいい……え、抽象的な言葉に逃げてるだけだって? ごもっとも(爆)。


 んでも、権威っていうのは、信頼できる事を継続して行えば自然と付いてきてしまうものなんじゃないかなーとも。継続に伴う信用、というか。
 現時点のこのラノに対する信頼感っていうのも、各書評サイトが自分の意見を提示し続ける中で積み重ねて築き上げた上に立ってるモノでしょうし。


> ましてや若い世代を対象にするライトノベル。読者の中には自前の回線・ネット環境を持っていない人も決して少なくないでしょう

 星雲賞の有権者たる条件のSF大会に参加する、よりは遙かに軽いとはいえ、読者層を考えると確かに考慮に値しますね。
 一時しのぎなら、携帯電話でも楽々参加出来るように……いや、やっぱ一時しのぎですが。


 まあ、でも、なんにせよ。
 このラノがその役割を負うべきかは別として、自分たちが読んでいるのはライトノベルというもんなんだ、と思ってしまった身としては、自分たちが読みたいと思っているモノを書いて下さる皆様に対する「俺たちはあんたが大賞と思ってる」という言葉と共に“ファンから贈る精一杯大きくしようとした花束”の一つぐらいはあってもいいんじゃないかな、とは思ったりもするわけです(笑)。
 あくまでも、ちゃんと花束でありさえすればいいわけですけどね。


 で、と。
 今回たびたび引き合いに出したんで、今年度の星雲賞参考候補作リストぐらいは紹介して……うーん?

http://www.sf-fan.gr.jp/awards/2004.html

 ……まあ、なんというか(苦笑)。


28 名前 : コウ 投稿日 : 2004年06月09日(水) 02時45分56秒
 51票。
 このライトノベルが凄いで1位に輝いた、イリヤの空の得票数です。

 個人のHPで同等の企画を行っているところがないので、似たようなランキングの
 比較例として2ちゃんねるのライトノベル板で行われた「2003年下半期
 ライトノベル大賞」を参照すると、イリヤの空(4巻)は59票を集めて2位を
 獲得しています。
 1位は、「バッカーノ1931 特急編」60票。
 3位は「マルドゥックスクランブル 排気」56票。
 4位は「灼眼のシャナ 后廝苅栄次
 5位は「Dクラッカーズ7-1 王国」37票。

 こちらで2位の七姫物語は、2003年上半期の9位、16票。

 比べてみると、2chの1位バッカーノが、こちらでは7位、
 19票と3分の1以下に落ちているのもそうですが、4位のシャナが
 こちらでは79位、たったの4票と10分の1。
 ここで高く評価されている作品は、ほぼ2chでも相応の票数を集めているのに対して、
 2chで高位にありながら、こちらではランクが一気に下がっている作品がちらほらと
 見かけられます。

 ランクの大幅に食い違う作品に共通するのは、「個性的な登場人物の活躍をメインにした、
 キャラクター中心型小説」ということ。
 ぶっちゃけ、「わかりやすい萌えキャラ」の出ている小説。
 いわゆる、世間一般的な「ライトノベル」のイメージですね。

 この比較で、このライトノベルが凄いの一般投票では「技術的にれている」と思われる作品が上位に、
 萌えキャラが出てきてドタバタ系の作品は全般的にランクが落ちる傾向が分かります。
 どちらかといえば「ライトノベル大賞」ではなく「ライトノベル文学大賞」というところでしょうか。
 この結果を見ると、ここの投票は、一定の方向性の評価基準を持っている人が集中しているのは分かります。

29 名前 : アメトラ 投稿日 : 2004年06月10日(木) 17時56分25秒
葛西さま
確かに少年、児童向けの総合雑誌が無くなってきているというあたり、失念してました。
今あるのは「小学○年生」ぐらいなのでしょうかね。
マンガがあって、怪しい科学読み物や、小学生の悩み特集とかのある雑誌が廃れるのはつまらない気がします。

私もライトノベルというものを、無理に区分、定義する必要は無いと思います。
パッケージング、レーベルでの分類が、今のところは無難かと。
「このミステリがすごい」なども厳密にミステリとは呼べないジャンルのものまで内包しているからこそ、魅力的だと思います。
「このライトノベル〜」もごった煮でいったほうが、盛り上がってよい気がします。
私が適当な性格で定義づけが苦手ということでの意見ですが。

30 名前 : 葛西 伸哉 投稿日 : 2004年06月10日(木) 21時52分35秒
Surrealさま、ご意見ありがとうございました。
コウさまも興味深いデータありがとうございます。

 いわゆる「ライトノベル」の裾野が広いだけあって、やはりあちらとこちらでは結構違いが出てますね。さらに実際に売り上げ上位の本となればまた別なデータが出てくるわけですし。
 あまり「権威化」などと取り越し苦労をしなくても「このライトノベルがすごい」自体、さまざまな意見の集合体なわけですし、あまり票数にこだわらず、取り上げられた作品の幅広さに注目していればいいのかも知れませんね。今回、こういう形で結集したのとは別に、個々のサイトは日々更新されているのですし。

31 名前 : 木村 航 投稿日 : 2004年07月09日(金) 17時09分44秒
 おひさしぶりでございます。最近はROMっておりました木村航でございます。
 こちらで「X」に関する言及がございます。

第弐齋藤 土踏まず日記
http://sto-2.que.jp/tutihumaindex.html

 この書評家さんはただ者じゃないとお見受けします。

32 名前 : 葛西 伸哉 投稿日 : 2004年07月11日(日) 22時18分47秒
木村航さま

 面白い話題を振ってくださりありがとうございます。
 別スレの話題とも関わりますが、ツールの普及によって映像作品もアナログフィルム時代に比べて第一歩を踏み出す事が容易になり、才能を持った人間が出てきやすい一方で受け皿は足りない状況らしいですね。
 ただ、ライトノベルとの組み合わせとなると難しいのではないかと思います。
 ゲームの現場にいらっしゃる方には釈迦に説法でしょうが、紙という媒体の共通性以上に、小説とイラストというのは本質的にスタティックな媒体という共通性で相性が良いわけで。これが動画作品や音楽など「強制的に時間の流れを生じさせる」表現手段と連動させるとなると、現在のイラストの使い方とは異なるアプローチが必要でしょう。
 例えば、一案としてこういうのはあり得ますね。現在の口絵というのは本編の重要シーンを抜き出して紹介する、映画の「予告編」に近い機能を有しています。これを文字通りの「予告編」として、映像作品に置き換えるという手法。効果的に連動させる手法となると私のアタマには余りますが、独立したモジュールとしてなら比較的簡単に活用できるかも知れませんね。

33 名前 : 木村航 投稿日 : 2004年07月22日(木) 17時19分39秒
 どもども。
 モノグラフさん経由で知った、定金伸治さんの日記です。
 7月21日づけ。
http://www02.so-net.ne.jp/~sadakane/cgi-bin/kinkyo/kinkyo.html

34 名前 : 葛西 伸哉 投稿日 : 2004年07月27日(火) 14時20分11秒
木村さま

 ちょうど先日、同業者某氏と似たような話をしたばかりでした。
『ライトノベル完全読本』で平井和正氏が電子出版の話をしていましたが、ベタなテキストだけではなく、コンピュータ上という特質を活かした方法論は実のところ未だに開拓途上なのではないかと思います。

35 名前 : kswb 投稿日 : 2004年08月06日(金) 02時12分56秒
えー、脇から失礼致します。
特に持論というほどのものもありませんので論議には参加できませんが、
ちょいと参考になりそうなものを。
テレビドラマをやっている関係からか、森村誠一さんの「人間の証明」が
新装版で出ているのですが、これの新装版あとがきで、氏がメディアミックス
について言及し、「小説は一人で書くものとは限らない」というようなことを
述べておりました。
ライトノベル以外のところからの考え方というのも面白いのではないかと思い、
紹介させていただきました。
失礼致しました。

36 名前 : 木村航 投稿日 : 2004年08月06日(金) 17時24分12秒
kswbさま

 どもども。反応ありがとうございます。
 森村さんのコメントの真意がどのへんにあるのかは原文を読んでいないため判断できないのですが、少なくとも「作者と読者がいなければ完成しない」のが小説であると、あたくしは考えております。読み手の「読む行為」がなければ、小説は完成しない。そしてそれは当然ながら多様なかたちを取るわけですね。
 イラストは、読者の「読み」を、ある方向へ向けてコントロールしたい場合に大きな効果を発揮します。「一様な読み」を促すことができる。それをツールとして使いこなすことができれば、ラノベの書き手としてはスキルアップが可能だろうなあと思います。まあ実際問題としては、予算とか、スケジュールとか、発言権とか、いろんな問題が絡むので、なかなか思うようにはいかないんですが。
 で、映像というのは、イラストとはまた違った効果を与えられるわけですけれども、これについてはあたくし自身にディレクションの経験がないため胸を張って「こうだ」と言えませんな。
 ただ、リンクを貼った書評サイトさんが指摘しているような考え方で「X」をとらえるのは、あたくしの考えとは異なります。あたくしは「正しい読みを提示したい」わけではない。「圧倒的な情報量で物語または意味を語りたい」わけでもない。まあ映像の製作をスキルとして身につけられたならば、きっとそれに応じたものを作りたくなるでしょうけれども、現時点ではそうではない。
 まあ、そのうちお目にかけられると思いますんで、皆様お楽しみに。 ← 大風呂敷

37 名前 : 葛西 伸哉 投稿日 : 2004年08月30日(月) 06時00分40秒
永らく放置していて申し訳ないです。話題もひと通り収束しているようですし、多分これがこのスレッドでの最後の書き込みになるでしょう。
(もちろん、今後何かネタが出れば話は別です。別に撤退宣言とかじゃなく、状況を鑑みての「区切りの目安」だとお考えください)

kswbさま

 森村氏の後書きが意味するところは「いかなる作家でも、己が生きる時代や社会から切り離されているわけではないし、作品そのものが生まれ、世に出るにも作家個人の力ではなく、さまざまな人に助けられている」という事だと私は解釈しました。そして、その意見には同意します。このスレッドの最初の方でも触れた通り、現実とフィクションはフィードバックしあうひとつの系なのですから。
 思えば、今のライトノベルに見られるメディアミックスの源流は80年代の角川映画や雑誌『バラエティ』の連動に見る事ができるかも知れません。
『バラエティ』という雑誌は角川映画のPR誌という性格はありましたが、それと同時に「情報紹介雑誌」としても楽しいものでした。今で言うトリビア的な連載記事やさまざまな古典マンガや古典SFの紹介……今ほどオタクとそれ以外が隔たっていない時代の、幸福な産物だったと思います。私が都筑道夫氏を知ったのもこの雑誌のおかげでした。
『バラエティ』よりはマイナーで短命でしたが、徳間書店の『YYジョッキー』なんて、近い性格の雑誌もありましたっけ。

 これは「このラ」全体への注文というか希望ですが、今必要なのは「よき紹介者」だと思うのです。
 ライトノベルは毎月の刊行点数が多いため、読者も全作品をチェックし、内容を吟味して選ぶのは困難です。そこで自然と作家やレーベルで選ぶ傾向が強くなり、せっかくの作品と読者が出会わずにすれ違ってしまう事も珍しくないでしょう。例えば、戦記もの・航空ものが好きでもコバルトを最初から無視している読み手は『天翔けるバカ』と出会う事はできないのです!
 ちょうど雑誌の映画評が評論以上に封切り作の「紹介」として、どんなセールスポイントがあって、どんな趣味嗜好の観客に向くかの判断材料になるような、気取った評論や単なる感想ではない「紹介」があれば、と願います。
(複数の「感想」を集約すれば一種のクロスレビューとして「紹介」の機能を持つ事もあるでしょうが)


木村航さま

 お互い頑張りましょう。結局、私たちは最終的には作品で語るしかない立場を選んだわけですしね。
 

38 名前 : 木村航 投稿日 : 2004年08月31日(火) 11時49分31秒
 10月25日を楽しみにしております。

 書評・紹介の必要性はあたくしも感じます。まあ、あちこちの書評サイトさんを飛び回っては新しいもの、隠れた優れものを尋ね歩くというのも楽しいんですが、それってマニアックな作業ですものね。
 ごくふつうの、言ってみれば「ヌルい」人たちに、こんなのどうかしらとお薦めできる場というのがあれば、いいんですけどねえ。

39 名前 : 新居 投稿日 : 2004年09月13日(月) 19時07分30秒
はじめまして。
僭越ながら感想など述べたいと思います。
どうやら、これから先のライトノベルはだんだんと
関係者の数を増やしていく形になるのでしょうか。
ヒットメーカーの漫画家さんや小説家さん達が、
編集者に恵まれているように、
そこにプロデューサーが係って、
他にも次から次へ役割が与えられて。
私は小説の良い所は、少人数でも成立しやすい事だと考えます。
確かにたくさんの人間がチームを組み、
目的に向かって努力すれば良い物が産まれるかも知れません。
また、現状に満足せずに努力し続ける人が新境地を開くでしょう。

…つまるところ、何が言いたいかというと、
ジャンル分けの話なんかは常々思っていたので同意ですが
小説だったりライトノベルを創りだす役職がむやみやたらに増えていって
一人の人間を直面できなくなるのなら、
それは私の求める所と相反するものです。

40 名前 : くみにゃ 投稿日 : 2004年09月14日(火) 06時23分35秒
新居さんこんにちは。はじめまして。

うーん。そういう方向も確かにあるかもしれないけど(たとえば、松久淳さんと田中渉さんのコンビのやりかたっていうのは新しいのかも)ギョーカイピラミッドの底辺で大半である部分はまだ「ひとりでできるもん」をやる状態だと思いますよ。売り出しとか、営業をハデにやろうと決めて以後はじめて(そのような対応を決めた編集者を媒介として)イラストレイターさんとかブックデザイナーさんとかいろんなかたが「順繰りにチームにくわわって」きてみんなでいろいろ考えたりなんかするわけですが、あくまで簡単に「安価にあげよう」と思ったら、いくらでもコスト削減できます。良い編集ソフトさえあれば、レイアウトとかも全部自分でやることだってできるしね。いちばん安上がりなのは、使用料が発生しないサイトにテキストを載せちゃうこと。それで、人気がでて、大勢がダウンロードしてくれるようになったら、十分商売なりたつわけだから。

つまり

A・メイクさんやスタイリストさんがきっちりついて有名なスタジオとかすてきな海外ロケとかですっごい写真家のひとにとったもらった写真

B・本人がセルフタイマーでとったテキトーな写真
が並立しているようなもん。
どんな素材でもがんばってAしてもらえばそれなりに商品として成立できるものになるけど、
モトがじゅうぶんよかったらBでもそのよさはけっこう伝わってしまう。
だから、まぁ、素顔に自信があったら、とりあえずBしてみて、「この子をつかっていろいろやってみたい!」とプロのひとたちにおもっていただいて、思う存分、Aもしてみてもらう……っつーのが、いわば理想ですかねー。

41 名前 : 葛西 伸哉 投稿日 : 2004年09月14日(火) 10時54分51秒
新居さま

 以前にも何度か念押ししていますが、ライトノベルの現状も私が述べた仮想の《X》にしても、取りうる多様な可能性のひとつに過ぎません。
 映画の出現が舞台演劇を滅ぼさなかったように、テレビの普及が映画を駆逐しなかったように、今後新たな表現が試みられ、成立したとしても「今のままの小説」を求める読者と送り出したいという作者がいる限り、完全に消えてなくなるという事はないと私は思うのです。
 あまり心配必要はないと思いますよ。
Black Goat BBS3 Ver2.01