創 世 記
第4回  「輝く鬼才・新井素子」



 氷室さんは、ゆってみれば、ヒマラヤの高地に咲くという、伝説の青いケシでした。
 その神々しい存在は、過酷な冒険をなしとげ帰還したものたちにのみ語られた。
 語られていたけど、ほとんど神話とかマボロシと呼ばれ、実在を疑われすらした。
 実物を目にすることなど、ムカシはちょっと考えられなかった(その後、花博にアッサリでちゃいましたけど)
 しかし、ある日突然、それはわれわれの前に現れたのです。
 われわれはそこに確かにそれがあることを知ったのです。
 地球上でいちばん天空に近い場所に、誰にみられることもなくひっそりと咲いていた、可憐な花!
 清楚に青く、しかも、阿片戦争のヒキガネにもなった危険な毒草(独創って変換しちゃうとこでした)でもある、ケシ!(青いケシからもヘロインとかコカインが精製できるのかどうか、どーか実はよーしらんが)
 そんざいそのものが、二重三重の意味で衝撃。
 しかし、その花は、そんな空気の薄い栄養の乏しい環境の厳しいところでも、きっちり生き残ってきた、この上なき逞しさも、持っていたわけですね。

 ようするに、彼女は、もはや絶滅を危惧されていた「文学少女」が、いまだしっかり存在していることのアカシであり、内心そーでありたいと思うオトメたち、あるいは「そんなのは自分だけじゃないかしら」と思っていたひっこみじあんなムスメッコたちの、闇夜のみちしるべとなるべき北極星であり、実践的精神的実利的トップスターでした。
 北海道(という、本土からは想像もつかないほど寒くて、暮らしていくのがいかにもたいへんそうなところ)のご出身であられたということも、ヒマラヤに通じません?
 その「お育ち」の(傍目からの想像上の)過酷さは、「清らかさ」あるいは「凛々しさ」、「生臭くなさ」を想起させずにはおかなかった。
 たしかに北海道はイナカです。ドイナカです。しかし(非北海道人にとっては……また『鉄道員』などを見ることになるはるかに前の若者には)……一種の「別天地」であり、どこまでもひろがる大地や、なかなか消えぬ積雪の白さ、など、いってみれば「遠い外国」のごときイメージ(なにしろ海外! 青函トンネルもまだなんですから)の、フロンティアの土地であったわけです。
 ちなみに『北の国から』の放送開始が1981年です。






 そーいえば、氷室さんの名前も、かなりクールというか、サムくないです?
 いや「冗談がスカだ」というほうの意味ではなくて、マジな体感温度として。
 氷室ですよ。冴子ですよ。
 冴え渡って凍ってる。
 ちなみにご本名だって「碓井」さんですから(サエコは小恵子)。
 「かあさん、ボクの帽子どこにいったでしょうね」は西条八十ですが、角川映画の「人間の証明」は52年です。
 これで有名になった「碓氷峠」のウスイとは文字が違いますが、やっぱ「霧渦巻く、標高高い感じ」がするじゃないですか(そろそろカナリコジツケ)







(C)集英社 1999
『なんて素敵にジャパネスク』
著 氷室冴子
名門貴族の娘・瑠璃姫(16)の物語。現在は新装版となっている。
→bk1 →ama →楽天

 このようなペンネームをお選びになった時点で、
 「わたしは媚びない。甘えない。愛想ふりまいたりしない!」って決意がみえませんか。
 でもって「さようならアルルカン」(道化師になんかなるもんか)なんですから。
 はたまた、国文科の女子大生であられたわけですから、「古典文学に対する造詣」も、「日本語力」も、とーぜん、そんじょそこらのうぞむぞよりかはるかに高くかつ深くていらっしゃった(そのあたりは、のちのジャパネスクとかそーゆーあたりにも結実するわけですが)。

 コレに対して、
 新井素子ちゃんはというと、……あのー……タンポポ?
 黄色くて丸くてかわいくてまんべんなくそこらを明るくして春のおとずれををあらわしてくれるもの。
 珍しくはないけど、でも、アレをきらいなひとってめったにいないでしょう。
(外来種セイヨウタンポポがニホンタンポポを絶滅させつつある、というのはさておき)
 踏まれても踏まれてもへーきで生き延びるばかりか、カフェインレスのコーヒーのもとになったり、『たんぽぽのお酒』にもなったりする……。食ってもうまいらしい。

 とういか、彼女の場合は、そーゆーいかにも危険じゃなさそうなタンポポに擬態して地球征服をもくろんでいるうちに、こどもたちに花冠に編まれたり、「ふー」とかされて綿毛飛ばされて、そこら飛び回ってるのが嬉しくなってしまって、なんかここでこうしているのっていいなぁと思ってしまって、それで当初の(地球征服という)目論見をもうどうでもいいやと思ってしまったエイリアンだ、というほうがアタリな気がしますが。

 なにしろ練馬です。生まれも育ちもどっぷり練馬です。火星植民地にも練馬をつくっちゃうひとで、練馬でも、自分のふだん歩いてる道から一本はずれると、間違いなく迷子になると、本人が断言ジマン?してるぐらいにきっちりと練馬原住民です。
 ただし、練馬というのは、ダイコンもさることながら、そうそうたるマンガ家さんたちの産地でもあるんですが……

 いくら70年代だって、都内出身にして在住の女子高生で、自分の住んでる町からほとんどまったく出たことがないやつなんて、めったにいなかったでしょう。
 江戸時代の町民じゃないんですから(江戸では、暮れいくつだかになると大木戸がしまって、住民は好き勝手に出歩いたりできなくなりました。つまり、みんなに門限があったんですね)。いや、江戸のひとだって、一生に一度ぐらいはお伊勢参りとか、善光寺参りとかいきましたよ。新井さんだって、修学旅行とか、取材旅行とかにはそりゃーいったことなくはないでしょうが、それにしてもあくまで両足がずぶりと練馬の大地にくいこんでいる。そして精神が宇宙を駆けている。まったく、……かわってます。風変わりなひとです。
 モノカキなんて多かれ少なかれ変人ですが、新井さんほど「テンネン」にとっぴょうしもなく、なんら他者の影響をうけつけないように見えるひとはなかなかいないですね。これ悪口じゃないですからね。ねんのため。

 ちなみにわたしは小学校で四つ中学で二つ転校を経験したので、モノゴコロついたときにはイッパシの「渡世人」「無宿人」気分なやつでした。小学校六年生の時には、当時すんでいた田園都市線(当時)の北千束駅から大岡山だったかなに出て、目蒲線にのりかえて目黒に出て、山手線にのって新大久保のロッテの裏のほうにある進学塾『学増』まで、毎週セッセと通ってました。目黒で降りてそこらほっつきあるいたり、自由が丘まで遠征してそこらほっつきあるいたり、やってました(たんにウィンドウショッピングしたりしていただけでグレていたわけではありませんよ)。「知らない町」自分の町じゃない町を、誰でもない通りすがりの人間として歩く、ということが,わたしにはあたりまえだった。
 そーゆーわたしには、生まれた町でずーっと暮らして、ずーっとそのまま大きくなるひとたち、幼い頃からお互い知り合いで、家族もみんな知り合いどうしで……みたいなのは「知らない世界」なんですね。
 わたしにもし「地元」といえるものがあったとしたらそれは親の故郷である盛岡市ではありましたが、狭い盛岡市内でもあっちこっちテンテンとし、学区がかわると知り合いなんか皆無な中にとびこむわけで、ちっちゃなころからずーっとツルんでた「おさななじみ」っつーもんが、わたしには存在しなかった。(転校してももとの学校の子と文通とかはするわけですが、しだいしだいに疎遠になるし。平均的にいって、その年代の女子にとって、ともだちっていうのは、毎日いっしょにトイレにいく、お弁当をいっしょにたべる、相手のことですからねぇ)
 そーゆーわたしにとっては、「どっぷり地元」でダンコとして揺るがない新井さんの感性というのは、ものすごく新鮮で、ある意味ではうらやましいものであり、ある意味ではぜんぜんうらやましくないものであったりします。

 その新井さんで、いっこ、すごいサイトみつけました。
 なにしろ全作品に対する本人のコメントがあります。すごいです。その文体を読んでいただけると、素子未体験のかたにも、彼女の「ビミョーにヘンな感じ」が伝わるかと存じます。

新井素子全著作リスト

「さよならジュピター」
小松左京他の日本SF界が総動員され「2001年宇宙の旅」以上の映画をめざし製作された作品。

 新井さんとわたしがはじめて会ったのがいったいいつなのか?
しいません、まっっっったく記憶がねーっす。
 よほど消したいような記憶だったのか……よほど印象に残らない記憶だったのか……
 それはさておき、
 「はじめて一緒に仕事したとき」のことは、よーーーっく覚えてます。
 下北沢パラレルクリエーション(パラクリ)で、小松先生の『さよならジュピター』のムックのための対談をやったんだな。土屋裕さん司会で。1984年なはずだな。昭和59年か。


 ここでパラクリのことを説明するべきなのもかもしれない……んだが、パラクリはすでになく、その「正史」みたいなもんも、グーグル検索をちょっとかけたぐらいではみつからなかったです。
 とりあえず、読みやすいのはこのへんです。わかりたいひとは参照してください。
 パラクリとか火浦さんとか、その他そこに集まっていたひとたちについてはまたあとでたぶん出てくると思います。

 えっと。新井さんでした。

 新井さんってのは、なにしろムチャクチャよーしゃべるひとやなぁ、と、その時(ジュピターのしごとのとき)わたしは思いました。
 わたしも口はまわるほうだと思いますが、素子ちゃんのしゃべくりと身体言語(彼女はしゃべりながら両手をひねり、ふりまわし、目をつぶり、目をまわし、頭をふり、のべつ全身で感情や意図を表現します)の総体についていくには、かなりの集中力を必要としました。それに話しがどんどんズレてって、どんどんふくらんでいくし。はっきりいって、はじめて「対談」した時には、わたし、ほとんど、目を回しておりました。
 対談なのに、口はさむスキがない! どうしても口をはさもうとすると、素子がわずかに言いよどんだ隙をすかさず狙って「だからそれは!」とやらないとならない。
 まとめた土屋さんも苦労をなさったことと存じます。
 たぶん、彼女の頭のCPUは、人類の限界に近いほどものすごいスピードで動いてるんだと思います。

 ちなみに新井素子が注目されたのは、その奔放な想像力(でもどこでも練馬)もさることながら、そのよどみなく流れゆく饒舌体の完成度の高さゆえです。
 その例文として……

 うわぁ……まってくれ、なんてこった。証拠物件が出てきてしまった。

 とするとわしらは、すくなくとも昭和56年9月11日からのつきあいになるんじゃのう。
 対談はそれより三年もあとになるか。
 ……9・11?……どっかで聞いたことのある日付だなぁ。

 えー、作家のみなさん、誰かに自著にサインをたのまれたときには、かならず、相手の名前と日付を書きましょうね。
 するとのちのちこうやって「歴史」の物証になったりしますからね。
 うっかり古書店にうったりすると「あー、このひとってば」ってわかりますからね。
(わたし古書店で買った本で、知り合いの作家アテのサインをみつけたけど、武士のナサケでだまっていてあげたことあります。)

 話があっちとんだりこっちとんだりしてしまってすみません。
 なにしろ新井さんのことっつーのを考えようとすると、そうなるのよ。

 だって彼女って……いつ見てもほとんど変わらないんだもん! だからそれが「いつ」だったかを区別する指標がない。(わたしには誰かのきてたものやじぶんのきてたものを割とオボエてて、それで、それがいつのどんなときだったかを区別するクセがあります→おかみき冒頭はまったくもってこれの告白です)

 いつだったか、毎度まったく同じシャツ(チェックの、ワイシャツスタイルの、よく言えばほどよくコナレテる、悪くいえばヨレヨレの)を着ているのに気づいて「ねぇ、モトコちゃん、他の服って、もってないの?」とたずねたことがあります。
 「あるわよ!」モトコは憤慨しました。「これ、こないだのと違うわよ。ただ、同じ柄なだけ。私、同じ柄のシャツとか、同じタイプで色違いのとか、それぞれ5・6枚もっているもん」
 これきいて絶句し、目をパチクリするのはわたしだけではあるまい。
「……なぜ?」
「だって着心地いいし、安かったし、洗濯しても丈夫だし、まるでおんなじかほとんどおんなじなら、いちいちスカートとかとのコーディネイトに悩まなくていいでしょう? なに着てくかまよって遅刻したりしなくてすむじゃないの。ていうか、そもそもうちの母がね、大量におんなじのを買ってきたのよ。これはいいって思うと、ドサッとまとめて買ってくるひとなの」
 ちなみに新井さんの母上は大日本雄弁会講談社、いや、当時はすでにただの講談社ですか、の、校正のかたです。

 文体でした。
 新井さんの発明?した、キラキラの文体。
 典型的と思われるヤツ、引用します。『星へ行く船』(←いいタイトルです!)です。


(C)集英社 1981
『星へ行く船』
著 新井素子
→bk1 →ama →楽天

 まず空港の混雑した情景が描写されます。一人称の主人公は、どうやら地球脱出を試みているようです。パスポートやチケットをチェックされながら、正体がバレないかとびくびくしていてます。最高に上等な個室コンパートメントの切符をもっているので驚かれたりします。

「お荷物は……?」
「これ一つです」
 黒の旅行鞄を示す。
「予防接種は? すべて済ませてありますね?」
「はい」
「結構です。ダフネ18号ユキの小型宇宙艇乗り場は、七番ゲートです。ライト・グリーンの表示にそっておすすみください。あと六分で第三便が出ますので」
「はい、どうも」
 俺は、係官に紙幣を握らせる。彼はそれこそ顔全体がほほえみ、といういささか不気味な表情を作り、おじぎした。
「よいご旅行を。」
 は。多少気が抜ける。世の中万事金次第っていうのはほんとうだな。

[中略]

 小型宇宙船のシートベルトをしめ、サングラスの奥の目をつむる。何も考えないことにしよう。考えることが多すぎる。だから。
 そして、軽い振動。小型宇宙艇は地球を離れた。

 本来ならこで自己紹介なんてのをする筈なんだけど……俺、森村拓、二十一歳。本当はこれ、兄貴の名前なんだけど、この先ずっとこれで通すつもりだから、たった今から、これが俺の本名。
 ……実はね、俺、ちょっとばかりわけがあって、家出してきたところなんだ。家出ついでに故郷の星−−地球からも出てゆく処。あん? たかが家出なのに、地球出て他の星に行くこともないだろうって思う? ま、そりゃそうなんだけどさ。
(新井素子著『星へ行く船』より)

 うううう、あまりの流れるような美しさに中略しつつも長引用してしまいました。
 おわかりいただけます? このスゴさ。シンプルさ。よどみのなさ。完結さ。そして「は。」です。「あん?」です。「本来ならここで自己紹介」です。
 われわれは、新井素子作品においてはじめて、「自分たちがふだん使っているしゃべりコトバで、書かれた小説」を目にしたわけです。(ま、ゲンミツにいうと、非常に繊細にコントロールされたそれであって、口語そのものではないんですが。っつーのは、口語というのは、口から出た瞬間に消えていって、再検証されないものであり、だから強調のために何度も同じことをまわりくどくいうとこがあったり、本来なるべき語尾が消えてなくなったり、日本語能力が高くないひとだと、主語と述語がとっちらかったり、他動詞と自動詞が混在したり、必要なはずの用語が省略されたりなど、いろいろと「まちがい」を犯していても、へーきで通用していますから)

 ここで、「ちょいと森村拓、アンタは、どこの誰にむかって喋ってるのさ?」と問うのはカンタンですが、それは、こーゆーものが「はじめて出てきた」時に、ぶつけるべき壁ではありません。

 ちなみに。
 口語一人称饒舌体というのは、必ずしも新井さんが嚆矢ではありません。
 こないだ参考に名前だけあげた庄司薫さんの「カオルくんシリーズ」がすでにそうでした。
 はたまた、橋本治先生の桃尻娘もそうでした。
 しかし!
 このおふたりは男性です。庄司薫さんとその同名の主人公の個性はいわゆる男性的な男性ではなく、当時としては革新的に「フェミニスト」だったし、橋本先生のバアイは、生物学的にはともかく、ジェンダーとしての男性の範疇にいれていいのかどうか迷うところなんですけど……ともかく!

 女子高生が、自分のコトバで語り始めた!
 というところに新井さんの第一の意味がある。
 それは確かです。
 そのあまりの衝撃に、彼女のストーリーテリングの力とか、想像力のすごさとか、そういうことが隠れてしまった部分もなきにしもあらずですが。

とり・みき
漫画家。ギャグ、エッセイ・コミック、シリアス物と幅広く活躍。94年『ダイホンヤ』98年『SF大将』で星雲賞コミック部門、95年『遠くへいきたい』で文春漫画賞を受賞。



大和真也
SF作家。第一回奇想天外新人賞に「カッチン」が佳作入選。代表作に『ジュゼシリーズ』『スターゲイザーシリーズ』『蜜柑山綺譚』などがある。




(C)文藝春秋 1982
『大いなる助走』
著 筒井康隆

 そして、その頃のわたしなどにとっては「くそー、いいなぁ、ズルイなぁ」だったのは、新井さんは女子読者よりもむしろ「青少年男子読者」に、超人気だったのです。とりみきさんに聞いてください。あの、ピンの甘い写真に「クラクラ」してしまったとどっかで告白なさっておられましたから。星新一先生や小松左京先生にも注目された。「素子ちゃん、素子ちゃん」とチヤホヤされた。これはけっしてヒガミではなく事実です。小松先生なんかいまだにわたしと大和真也の区別がついてないに違いないですから。
 それは彼女が、最初からSF作家としてスタートをきったからであり、SFというところは、一般大衆娯楽小説とは、いまもむかしも「ビミョー」にしかし厳然と隔たっているからだと思います。あの筒井先生が何度も候補に挙がりながら実は直木賞をとっておられない! ということを、お若いかた、ご存知です? 『大いなる女装』じゃねぇ『助走』をお読みになると、そこらへんの詳しい事情と、筒井先生の忸怩たる思いがよーくよーくよーくわかります。
 誰とはいいませんが、筒井さんよりずーっとずーっとつまんないくだらないどーでもないなくてもいいような小説とその作者が、たーくさん、受賞しているのに! です。

 世の中には、SFがわかんないひとが、いっぱいいるんですねぇ。
 たぶん、SFというのは、ニューロンかどっかに、SFホルモンを受け取める受容体をもってるひとともってないひとがいるような種類のものなんでしょう。受容体をもってるひとは、少しのSFにもすぐに感染します。新しいSFには熱だします。もともとそういう受容体をもってないひとは、わざわざ擬似受容体でブロックして予防するまでもなく、SFに感染しないんですね。そーとーに濃厚なSFでも。

(ちょっとまてスターウォーズはどうなのか、エイリアンは、ターミネーターは、マトリックスは、ユビワはどうなのか、ヤマトは、アキラは、エヴァは???? ……とつっこまれそうですが……ここでは映像メディアのもっている「直接的な快楽」と、ありえぬアクションをあたかもゲンジツにあるものであるかのようにみせる迫力に惹かれるのはあたりまえで、「真のSFが必ず内包せずにおかない思弁性」に耽溺せずにいられなくなるためにはそれなりの経験値や特殊なシュミが必要なのだ、と申しておきましょう。野田テレワーク昌弘元帥が『SFは絵だねぇ』とおっしゃったのは確かです。SFモノだって、すっごいSF画像には感動します。しかしその絵は、CGやマット画でみせられるものではなく、本来、脳みそで、架空のものとして、想像力を駆使することによって、より鮮やかにみるべきものなのではないだろうか、とわたしはおもうのです。このへんには異論もあるだろうし、わたしとしてももっとつっこんだ話をいずれしなければならないと思いますが、とりあえずいまはここらへんで)

 SFが「ほんとうの意味では」わかんないのと同じように、世の中には「わたしらの小説」のわかんないひとも、いっぱいいてはります。あいにくながら。
 ここで「わたしらの」というたのは、このヨタバナシの最初でいった「ライトノベルとか、ヤングアダルトとか、ジュブナイルとかうんぬん」のアレのことです。

 では、一般大衆娯楽文学と、「そのへん」の違いって、いったいなんなんでしょう?

 正直、わたしにもよーわかりません。
 でも、「もしかすると」コレではないかと思っているものはあります。
 それはエロスの質です。
 エロスというても、エロとちゃうよ。快楽。快感。官能。そうには違いないんだけど。
 「美的感動」というと、ちょっとわかるかな。

 いってみれば、恋愛小説やポルノと「萌え」作品の違いです。

まことより嘘が愉しや春灯。
 この句に「ああ、そうよ!」といえる感覚をもっているかどうか。そこです。




(C)紀伊国屋書店 2004
『文学的商品学』
著 斎藤美奈子
→bk1 →ama →楽天

 大衆の……特におとなの……大半は、とってもとっても「現実的」です。
 身の丈にあったモノか、それよりちょびっとだけ「上」なもの、世間から見て羨ましがられるようなものを指向する。
 そこらへんをオチョくって楽しく分析してくださっているのが斎藤美奈子さまの名著『文学的商品学』です。笑えますぜー。
 しかし、こどもは……コドモダマシイは、「夢」を指向します。
 この世にはありえないもの、ほんとうじゃないもの、でも、「別の空間、別の時間、別の物理法則のもとでなら、あるかもしれない」もの。そういうものを、キレイだと思ったり、カワイイと思ったり、すきだと思ったり、ホシイと思ったり、憧れたり、熱望したりする。

 一般的おとなにとっての「奇跡」は、せいぜいが、たんなる幸運な偶然の一致にすぎません。
 しかし、こどもには「魔法」がみえる。
 「魔法」がある世界が確かに感じられる。
 サンタは確かにいるし、ドラゴンは空を飛ぶし、伝説の勇者は16歳のお誕生日になるとお城に呼ばれて冒険の旅に出発しなければならないのです。

 そーゆー話を読むと、ふつーのおとなは「コドモダマシ」と思うらしい。
 どうせお話なんつーのは虚構で嘘で架空で、なんら現実的なものである必要はないのに、です。
 マニュアルじゃあるまいし、実際の人生や生活で「役にたつ」知識にならないものには、興味をもたないのですね。どうやら。

 でも、夢みる女コドモは、コドモダマシイを、なにより大切なものと感じる。
 せせこましいつまんない現実なんかより、すごい夢をみせてもらえるほうが嬉しいのです。この自分の貧弱な肉体を越えて、精神の力でどこまでも飛びたいのです。
 たとえゲンジツには、マンションのちっちゃな一室でぴこぴこコントローラーをうごかしているだけだとしても、こころは、アレフガルドに飛んで、魔王の軍勢と戦っている。その自分のほうがずっとリアルに感じられ、その自分のほうがすきで、その自分でいたい。できればずっとその自分でいたいけど、まぁ肉体はこの世に属してますから、ごはん食べなきゃおなかがすくし、トイレにいかなきゃたいへんだし、社会人なら生活費をかせがないとヤバい。

 というような意味で、SFと、「そのへん」には、かなり近いところがあるんですけど……
 必ずしも「同じ」ではない。
 ちなみにわたしなんかは、最初「そのへん」にいて、SFに関してはただの読者だったのですが、その後「SFの応援団」みたいな気分になり、ついには「SFにしか居場所がない」と感じるようになってしまった。それは「そのへん」のほうが変容したからです。

 次にはそーゆー話をしようかなと思います。


原稿受取日 2004.3.24
公開日 2004.4.23
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