氷室さんは、ゆってみれば、ヒマラヤの高地に咲くという、伝説の青いケシでした。
ようするに、彼女は、もはや絶滅を危惧されていた「文学少女」が、いまだしっかり存在していることのアカシであり、内心そーでありたいと思うオトメたち、あるいは「そんなのは自分だけじゃないかしら」と思っていたひっこみじあんなムスメッコたちの、闇夜のみちしるべとなるべき北極星であり、実践的精神的実利的トップスターでした。 |
そーいえば、氷室さんの名前も、かなりクールというか、サムくないです? |
(C)集英社 1999 『なんて素敵にジャパネスク』 著 氷室冴子 名門貴族の娘・瑠璃姫(16)の物語。現在は新装版となっている。 →bk1 →ama →楽天 |
このようなペンネームをお選びになった時点で、
コレに対して、 とういか、彼女の場合は、そーゆーいかにも危険じゃなさそうなタンポポに擬態して地球征服をもくろんでいるうちに、こどもたちに花冠に編まれたり、「ふー」とかされて綿毛飛ばされて、そこら飛び回ってるのが嬉しくなってしまって、なんかここでこうしているのっていいなぁと思ってしまって、それで当初の(地球征服という)目論見をもうどうでもいいやと思ってしまったエイリアンだ、というほうがアタリな気がしますが。
なにしろ練馬です。生まれも育ちもどっぷり練馬です。火星植民地にも練馬をつくっちゃうひとで、練馬でも、自分のふだん歩いてる道から一本はずれると、間違いなく迷子になると、本人が断言ジマン?してるぐらいにきっちりと練馬原住民です。
いくら70年代だって、都内出身にして在住の女子高生で、自分の住んでる町からほとんどまったく出たことがないやつなんて、めったにいなかったでしょう。 |
ちなみにわたしは小学校で四つ中学で二つ転校を経験したので、モノゴコロついたときにはイッパシの「渡世人」「無宿人」気分なやつでした。小学校六年生の時には、当時すんでいた田園都市線(当時)の北千束駅から大岡山だったかなに出て、目蒲線にのりかえて目黒に出て、山手線にのって新大久保のロッテの裏のほうにある進学塾『学増』まで、毎週セッセと通ってました。目黒で降りてそこらほっつきあるいたり、自由が丘まで遠征してそこらほっつきあるいたり、やってました(たんにウィンドウショッピングしたりしていただけでグレていたわけではありませんよ)。「知らない町」自分の町じゃない町を、誰でもない通りすがりの人間として歩く、ということが,わたしにはあたりまえだった。
その新井さんで、いっこ、すごいサイトみつけました。 |
「さよならジュピター」 小松左京他の日本SF界が総動員され「2001年宇宙の旅」以上の映画をめざし製作された作品。 |
新井さんとわたしがはじめて会ったのがいったいいつなのか? |
ここでパラクリのことを説明するべきなのもかもしれない……んだが、パラクリはすでになく、その「正史」みたいなもんも、グーグル検索をちょっとかけたぐらいではみつからなかったです。 えっと。新井さんでした。
新井さんってのは、なにしろムチャクチャよーしゃべるひとやなぁ、と、その時(ジュピターのしごとのとき)わたしは思いました。
ちなみに新井素子が注目されたのは、その奔放な想像力(でもどこでも練馬)もさることながら、そのよどみなく流れゆく饒舌体の完成度の高さゆえです。 |
うわぁ……まってくれ、なんてこった。証拠物件が出てきてしまった。
えー、作家のみなさん、誰かに自著にサインをたのまれたときには、かならず、相手の名前と日付を書きましょうね。
話があっちとんだりこっちとんだりしてしまってすみません。 だって彼女って……いつ見てもほとんど変わらないんだもん! だからそれが「いつ」だったかを区別する指標がない。(わたしには誰かのきてたものやじぶんのきてたものを割とオボエてて、それで、それがいつのどんなときだったかを区別するクセがあります→おかみき冒頭はまったくもってこれの告白です)
いつだったか、毎度まったく同じシャツ(チェックの、ワイシャツスタイルの、よく言えばほどよくコナレテる、悪くいえばヨレヨレの)を着ているのに気づいて「ねぇ、モトコちゃん、他の服って、もってないの?」とたずねたことがあります。
文体でした。 |
(C)集英社 1981 『星へ行く船』 著 新井素子 →bk1 →ama →楽天 |
まず空港の混雑した情景が描写されます。一人称の主人公は、どうやら地球脱出を試みているようです。パスポートやチケットをチェックされながら、正体がバレないかとびくびくしていてます。最高に上等な
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うううう、あまりの流れるような美しさに中略しつつも長引用してしまいました。 ここで、「ちょいと森村拓、アンタは、どこの誰にむかって喋ってるのさ?」と問うのはカンタンですが、それは、こーゆーものが「はじめて出てきた」時に、ぶつけるべき壁ではありません。
ちなみに。
女子高生が、自分のコトバで語り始めた! |
(C)紀伊国屋書店 2004 『文学的商品学』 著 斎藤美奈子 →bk1 →ama →楽天 |
大衆の……特におとなの……大半は、とってもとっても「現実的」です。
一般的おとなにとっての「奇跡」は、せいぜいが、たんなる幸運な偶然の一致にすぎません。
そーゆー話を読むと、ふつーのおとなは「コドモダマシ」と思うらしい。
でも、夢みる女コドモは、コドモダマシイを、なにより大切なものと感じる。
というような意味で、SFと、「そのへん」には、かなり近いところがあるんですけど……
次にはそーゆー話をしようかなと思います。 原稿受取日 2004.3.24
公開日 2004.4.23 |