ババアの繰言がいったりきたりするのはこれはもう脳みそがそういうふうにしか動かないのでご寛恕くださいませねみなさま。
実際のところ、大半の読者のかたがたは、ほんとにありがたい、かけがえのないかたがただったのですが、一部の「特殊」で「凶悪」なタイプがみょーにめだって気にさわるってことってあるじゃないですか。けしてそういうタイプが全体の「代表」であるはずはないと理性ではわかっていても、つい、坊主にくけりゃ袈裟までになるというか、「それ」をさせるには、全体を遠ざけるほかに方法がないのよ! みたいな。 そもそも、ファンレターを送ってくれる層、アンケートに答えてくれる層というのは、「読者全体」の正確なサンプルにはなりえないのです(よそでも書いたことですが……たとえば、アンケートを送るとコレコレをプレゼントします! というプレゼントの「質」がそのアンケートを返送してくれるひとのタイプを限定します。ルイ・ヴィトンのなんとかをあげますよー、といえば、ルイ・ヴィトンのなんとかをほしがるようなひとが主にアンケートを返し、特定小説の特定キャラの特製非売品フィギュアをあげますよー、といえば、それをほしがるひとが主にアンケートを返す。そういうこと。プレゼントの設定によって、アンケート結果が「そのプレゼントに反応するタイプの読者にウケる」種類の作品を描くひとの順位をあげることは、火を見るよりもあきらかですね)。最近はネットでサイトをひらいてる作家なんかもいて、直接メールとかもわりかし気軽に打てるから、またちょっと事情が違うかもしれないけど、当時は、わざわざ作家に「お手紙を書く」というのは、かなり意志の力がいるというか、勇気がいるというか、へたすると「ずうずうしくないとできない」ことだったりしたわけね。 |
平井和正 作家。『8マン』『幻魔大戦シリーズ』等で大ヒット。犬神明は『狼の紋章』などウルフガイシリーズの主人公。 |
かくいうわたし自身、幼稚園年少組の時にはやくも『オオカミ少年ケン』の番組を作ってるオジサンあてに、番組の時間がかわってじぶんがもう寝なきゃいけない時間になってしまって悲しいからもとにもどしてください、と、幼いファン意識まるだしのワガママの極地みたいなお手紙をだして(いかにもこどもっぽいジキヒツで。もちろん宛名書きなどはハハオヤにやってもらったけど)「いつもケンを応援してくれてありがとう、イネコちゃんの気持ちはケンにつたえておくからね」とお返事をもらい、モリナガ(←スポンサー)のケンのシールとかなんとかの「非売品」グッズをやまほどもらって、すっかり味をしめた、という筋金入りのヲタだったり、13歳の時には、少年のほうの犬神明に熱烈に恋をしたと思い込んで、平井和正先生におもいのタケをぶちまけるお手紙をおくって「13歳の女の子はこんな本をよんじゃいけません」とお叱りのお返事をいただいてますますMな気分が盛り上がってしまったというヘンタイな経験などもこれあり、ひとさまを責める資格なんかまるでまったく皆無なんでございますが、それでも、「やるほう」と「やられるほう」では、そのことに対する意識の質がまったく違うということはこれは両方味わわないとなかなか「ズブリ」と胸にしみてはわからないものなのですね。
さてコバルトです。初期コバルトのわたくしめの作品を、発行順に並べてみました。88のAからJまでです。 本日はある件に関して、貴重な歴史的証言(じぶんでいうか)をしたいと思います。 |
新井苑子 イラストレーター。華やかで緻密な画風が高く評価されている。電通賞、朝日広告賞で金賞。日本広告主協会優秀賞等受賞。 オズの魔法使い 著 ライマン・フランク・ボーム Lyman Frank Baum 1974年からハヤカワ文庫で刊行された、子どもたちから大絶賛されているシリーズ。 |
1・最初の『宿なしミウ』の時、「イラストレイターは誰がいいですか?」ときかれたので、まよわず、新井苑子先生! と答えました。ちなみにこのおかたさまは、あの『オズの魔法使い』シリーズの表紙をご担当なさったかたです。ハヤカワ文庫で。コバルト編集部は正直、イイカオしませんでした。「なんだかおとなっぽすぎないか?」とおっしゃるのです。 |
峯村良子 イラストレーター。三愛宣伝部に勤務後、フリーのイラストレーターとして子どもの本を中心に幅広い分野で活躍。 (C)集英社 1984 『抱いて、アンフィニ』 著 久美沙織 |
2・二冊目と三冊目は、峯村良子先生です。実は小説ジュニアのほうの短編デビュー作の時にも、峯村さんをつけていただいたのです。「こいつの文体には、このポップで明るい感じ」と編集部が思ってくださったのでしょう。そのご判断にはわたしも異論はありませんでした。ちなみに8冊めの『抱いて、アンフィニ』(←実はこれじぶんでいうのはなんですが傑作です)の時にもう一度峯村さんが描いてくださっておられますが、あきらかに内容に即して意識的に絵柄を変えてくださっておられるのがよくわかりますね。
ここで問題です。 あえてどなたとは申しません。ここに並べたうち言及しなかったイラストについて、わたしは「……違う……」と思ってしまいました。「こういう絵はわたしらしくない」……わたしの、わたしだけの、わたしらしい表紙がほしい! わたしは熱望するようになりました。 |
風見順 翻訳家。『世界SFパロディ傑作選』(講談社文庫)など多数。 |
さて、『ガラスのスニーカー』が小説ジュニアに二ヶ月かけて半分ずつながら「一挙掲載」されたことで、よーーーやく、わたしも、「幕下」ぐらいのセキトリになったかもしれないような気がしてきました。編集部のほうでも、多少はわたしの希望とか願いとかそういうものを聞いてくれるようになってきました。 |
『漫画ブリッコ』 大塚英志が編集長をつとめ、岡崎京子、藤原カムイ、かがみあきら、白倉由美など多彩な才能を世に送り出す。 |
ある日……次に書く作品の相談をしながら、さりげなーく、言ってみました。
「えーっ!」石原秋彦さん(当時はまだ副編集長だったかなぁ?)は、いつものとおり細面の顔じゅうをシワだらけにして笑いました。 |
毎日中学生新聞の... 「初恋によろしく!」のこと。当時の紙面はここで見られます。 第1回 ・ 第2回 第3回 ・ 訃報 | 後日談その3・かがみさんとの「ツーカー」な(なにしろなんにも説明しなくてもこちらがこうだったらいいのにと思う以上の絵を描いてくださるので)関係にすっかり味をしめたわたしは、その直後にきた毎日中学生新聞の「一週間に一回」の連載においても「イラストおねがいー」とおねだりをして……その第三話(84年8月19日発行)の原稿をおくったあとで、彼の急死を知ったのです。 あぽ こと かがみ・あきらさんが亡くなったことについて。 (漫画ブリッコの世界)
8月12日発刊の「第ニ話」の時点では、彼はもうこの世のひとではなかったのだ。 |
藤原カムイ 漫画家。大作「ロトの紋章」「雷火」などが代表作。久美作品では「3時のおやつに毒薬を」「碧い宝石箱」「ありがちのラブ・ソング」のイラストを担当。 公式 : KAMUI'S NOTE 佐藤道明 SFデザイナー。「ラーゼフォン」「絢爛舞踏祭」などでメカニックデザインを担当。久美作品では「KINGの頬をはりとばせ!」のイラストを担当。 公式 : ななめの音楽 |
ビリビリにビビッタはずのわたしは、それでもそれからものーのーと日常を生きていき、やがて、めるへんめーかーという「好敵手」にめぐりあい、「藤原カムイ」にめぐりあい、「佐藤道明」にめぐりあい、そのへんの道筋がようするにだんだん「コバルトの王道」から遠ざかっていく方向に傾いていくのである。 原稿受取日 2004.4.2
公開日 2004.5.5 |