創 世 記
第13回  「シタヨミ職人たちに花束を」




 いやーババアの話は長いですねぇ。そろそろ話題が「なぜわたしがコバルトにいたたまれなくなったのか、コバルト第一線で戦っていくことに意味を見出せなくなっていったのか」あたりにさしかかっていますが、そーいえば書き忘れていたことがあった! ということにいきなり気づいたので、またしても話が戻ります。

 わたしら世代の作家には、いきなり文庫デビューはありえなかった、とは以前に申しました。まず雑誌に短編を掲載してもらい、少しずつ実力?をつけていって、一冊分ぐらいの分量の作品を書いてみて、それを編集さま(おじさまたち)に読んでいただき、なんだかんだとダメだしを食らう。ダメだしにもいろいろありまして、そもそもその作品の存在意義(と作者が勝手に考えている部分)を否定されてしまったりすることもあり、そーなるともう「書き直し」で済む話ではない。しょうがないから、それはオクラ入りさせて、永遠に闇に葬って、まるで別なものを書く。というようなことを何年かやっていくわけです。
 いくらいまよりは日常の生活費が安かったとはいえ、これでは食べていけません。で、実際会社などにおつとめになりながら、「余暇」を利用して作品をコツコツ少しずつ書いたり、♪ほ〜れトコトンほれトコトンの他社に「バイト」の口をみつけたり、読者からの応募のハズの扇情的「告白体験記」をデッチあげてこっそり原稿料をもらったり、大学在学時代は寮生活なので親がかりだったりとか、まぁいろいろしながら糊口をしのいだわけですが、そんな中、もっとも美味しいバイトのひとつが「新人賞の一次選考」だった。

 コバルトに人気作家が誕生し、本屋さんにコバルト専用のタナができ、新刊はヒラヅミでセンデンしてもらえるようになると、青春小説新人賞への応募総数はウナギノボリに増えたのではないかと思われます。すると、編集部から電話がきて「一次選考やってくれる?」とたずねられるわけです。もちろんやりますと答えます。すると、数日後に、段ボール一杯の未開封の応募原稿が「どさっ」と届きます。だいたい50編ぐらいでした。そうです。未開封でした。いま、各社がやっている新人賞ではどうか存じませんが、少なくともわたしが「ド新人のぺーぺー」だった頃は未開封でした。
 たまさか偶然にもわたしのところに届いてしまった原稿は、わたしがハサミで開封し、読んで、「ハシにもボーにもかからんなコレは」と判断すると、その原稿は「二度と誰の目にもふれることなく」燃えるゴミの日にナカミがわかんないように(特に住所など個人情報が見えないようにして)捨てられる運命でした(だからひとつの封筒に二作品以上いっしょに入れるのはゼッタイにやめたほうがいいです。いくら送料が余分にかかっても。なるべく郵便局にもってく時期もズラしたほうがいいです)。
 もちろんレポートのようなものは作成します。たしか、応募者の年齢と性別はチェックして提出することになっていました。判断基準に関しては編集部からそのつど「おたっし」がありました。詳しい内容に関しては、うろ覚えなのですが

 Aランク ……即刻デビューできるレベル・作品
 多くても五編程度。全体のトップ5〜10パーセント。

 Bランク ……編集部がコンタクトを取って、はげまして、次作品をかかせてみるべきだと思われるもの。いわゆる「一次選考通過」で雑誌にタイトルと名前を掲載するもの。
 多くても五編程度。Aランクの次の10パーセントのレベル。
 
 Cランク ……いちおう読めるが、内容に問題がある(サベツ性が強いとか、文体が古すぎるとか、あきらかになんらかのパクリだとか)なもの。いちおう、名前と住所などは控えて編集部に送りかえしていたかも。

 Dランク ……読みにくい、あるいは読むのがあまりにも苦痛なもの。小説の暗黙のルール(会話はカッコで閉じるとか、「、」「。」を時々つけるとか、段落わけをまったくしないでぜんぶダラダラ続いているとか)を理解していないもの。中には、「右とじ」ということがおわかりになっておられなかったのか、学校の出席簿に使うような黒いぶあつい紙で表紙をつけてきっちり「本」のかたちに綴じてこられたのもありましたっけ……大切になさりたい気持ちはわかりますが、ここまで「へん」だと、すでに、読むほうは「ヤバイなぁ」と先入観を持ちますです。

 Eランク ……それ以下。

 ってな感じだったと思います。わたしら一次選考読み(シタヨミともいいます)が「編集部に返す」べきものはAとBのみで、たまに「すみませんがわたしには判断できないので、他のひとにも読んでもらってみてください」なものをつけたす、みたいな感じでした。

 でもって、アトのことはよく知りませんが、たぶんまず編集部で二次選考をやって、ある程度まで数をしぼりこみます。一次選考を担当する人間が少なくとも10人ぐらいはいますから、ひとり5編ずつ返送したとしても、50編のこっちゃいますからね。なにしろ未開封で、たぶん到着順でくばるので、一次選考担当者の全員のところに平均的に同程度のレベルの作品がバラけるとは限りません。やたらレベルの高いひとばかりが集まってしまってれば、点がからくなります。そうではないかたがたのが集まってしまえば「うーん……とてもAとはいえないけど、中では一番コレがマシかなぁ」というのなどが返送されることになります。この50編は、さすがに何人かでマワシ読みをし、評価をつける(たぶん)。そうして、ようやく連戦を生き残った最後の五編かそこらが「最終選考委員」のもとに届けられ、そのひとたちが時間をかけてていねいに読んで、集まって討議をし、大賞とか、佳作とか、今回は受賞ナシとかを決定するわけです。

 で。
 セチガライ話になりますが、この一次選考で「ひと封筒」読むと、1000円いただけました。たしか。途中で1500円になったかな? そりゃあもうあなた、助かりますよ!だって、文庫本一冊でてるかでてないかでゾーサツなんて夢のまた夢。雑誌に次にページをわりあててもらえるのかもわからない、まるでなんの保証もない、ほぼ無収入に近い身の上。それが、ただゲンコウを50編読めば5万円いただけるんですぜ。応募総数があがると、「今回はなんかすごくて、ヒマだったら、できるだけたくさん読んでほしいんですけど」なんて編集部からいっていただけることがあり、「読みます、読みます、あるったけ送ってください!」っていいますよ、そりゃ。
 毎月100通ぐらい、コンスタントにシタヨミがあったらいいのに……と、当時の(どビンボーな)わたしはホンキで思ってました。
 だってさ。
 ここからは、当時の応募者のみなさまから呪詛と憎悪の嵐をうけそうですが、正直に申します。
 経験というのはおそろしいもので、作品本文を二行読んだとたんに、いや、梗概(あらすじ。コーガイというのがアラスジって意味だって理解してないとしか思えないものがかなり多かったですねぇ。全体のアラスジじゃなく、「文庫のカバーのめくったとこ」にあるような、ヒキのとこまでしか書いてないとか)をみたとたんに、いや、タイトルをみたとたんに、いや、開封したとたんに……いえ、さらには応募原稿の「おもてがき」をみたとたんに、まるで占い師か超能力のように、「あ、これはC以下」ってわかったりするんですね。
 この確信は、99パーセントの確率ではずれません。
 なにしろ根はマジメなわたし、しかもチンピラのペーペー作家ですから、最初のころは、どんなに苦痛で目と脳みそへの暴力(だって手書き原稿なんですから)であっても、なんとか最後まで読みきろうとしました。ありがたいバイトでしくじりたくなかったですし。
(のちに超流行大作家になるかたの修行時代のやや未熟な作品をうっかり見落としてしまって、事情通の間ではひそかに「戦犯」扱いされているシタヨミあるいは編集者も皆無ではないようです。わたくしめの知っている例で申しますと、某社の編集のかたが、天下の内田康夫先生にはじめてお目にかかった時に『江戸川乱歩賞に応募してくださればよかったのに』と言ってしまって(しまったこれじゃ某社にした意味がないな)「応募したけど、あっさり落選させられたんだよ」と言われて、青ざめた、という話を聞いたことがあります)
 とにかく。
 あの頃の応募制限はたしか100枚ぐらいだったかなぁ?
 ワープロもパソコンもなかった頃、手書きで100枚しあげるっていうのは、それだけで、たいへんなエネルギーです。情熱です。たくさんの時間をお使いになっておられるでしょう。だから、できるだけ、どなたのどんな作品にでも、ひとつでもいいところをみつけようと必死になりました。
 でも、何回か体験してからは、すみません、告白します、あまりにもあまりにも読みにくすぎるものは、10ページぐらい努力をするのがせいいっぱいで「やっぱアカン……すまんけど」と見切りをつけてしまって、「ダメ」のハコにほうりこみ、サッサと次の封筒を開封するようになりましたです。なにしろいくら割のいいバイトといっても効率よく読まないと時間ばっかとられちゃうし、いっちゃなんですが、ヘタは伝染します。あまりにも難解というか意味不明な日本語をムリやり読むと、頭がウニウニになってしまって、自分のシゴトにすごい悪影響あたえちゃうってことにも気づいちゃって。
 わたししかみない、わたしが「ダメ」と判断してしまったら、その存在は闇に葬られる、その恐ろしさをじゅうじゅう自覚した上でも、読めないものってほんとうにどうしても読めないです。ムリに読もうとすると、マジ具合悪くなってくるんですねぇ。どうしてもニガテな食べ物をムリに口にいれて、飲み込もうとするのを想像してください。表現は過激ですが「おえっ」ってなっちゃう。ほとんど反射的な生理的反応ってやつが、きちゃうんですよ。ほんまに。
 ということはです。偶然にも、C以下の作品ばっかりを効率よく? 受け取っていれば、「アッ」という間にしごとすんじゃうわけです。ヘタすると、「ものの数分」で1000円稼げます。こんな割のいいバイトはめったにあるものでありません。
 でも、読書好き、自分もまた修行中・勉強中の新人作家であるわたしとしては、「読んでおもしろい作品」にめぐりあたるほうがそりゃダンゼン嬉しいんです。自分が発見(!)した作品がみごと大賞を取ったりすれば、まるで馬券でもあたったように嬉しいです。だってそもそも読むの好きなんですから。コバルトを愛してましたから。うまくて達者な作家のひとにどんどん仲間になってもらって、みんなで盛りたてていきたい! って。優等生ぶってるって思われるかもしれないけど、本気でそう思ってましたから。
 よく、強力なライバルになるかもしれない人間はツブそうとするに違いない、って疑惑をもたれるかたがあるみたいですが、そんなことはまずありません。つまんないモノを書くやつに腹をたてることはあっても、おもしろい作品はちゃんと評価します。ホメます。でないと、自分の「読解力」を信じてもらえなくなるし。どの新人賞でも全員が全員ぜったいにそうだとは言い切れませんが、ライバルを蹴落とそうなんてことを考えて選考委員をやっておられるかたは、たぶん、おられないと思います。ていうかそう信じたいです。

 で、
 ウブだったですから、わたし。
 いま考えると、そんなことやっちゃいけないことだったのかもしれないし、少なくとも間違いなく「たぶんやらなほうがいいこと」だったんですけど。
 「惜しい……」と思うひとには、お手紙、書いちゃったりしたんです。個人的にコンタクトとっちゃったんですね。全員じゃないですよ。そこまでわたしもヒマじゃなかったし、優しくないですから。ただ、「ううううん、こいつ、なまじジブンを固めちゃってるから、このままだとこのアヤマチに気づかずにまた同じタイプのを応募してくるぞ!」と思ったりすると、つい、オセッカイをしたくなっちゃったりしたんですね。

 あなたの×××という作品を読みました。工夫もいっぱい感じられたし、情熱に感激しました。でも、ここがへんです。ここもおかしい。こういうクセはなんとかしたほうがいい。字はできるだけ丁寧にきれいに書いてください。判読できない漢字がたくさんありました。封筒の宛名もへんです。編集部「様」っていうのは、日本語レベルが低いのを露骨にしめしてしまいます。「御中」にしましょう。やぶれやすい封筒とか、大きさがあまりにギリギリでハサミで切るとゲンコウのハシッコが切れちゃう大きさの封筒とかはやめてください。原稿を書きながらポテトチップスやチョコレートをめしあがるのはいかがなものかと思います。蚊をつぶして血を飛ばしてしまったら、その紙はおねがいですから書き直してください。シメキリぎりぎりになってからあわてて応募するぐらいなら、もっとゆっくりあわてずに書いて、ちゃんと推敲して、誰かおともだちとか家族とかに読んでもらって、しばらくしてから書き直して、次のチャンスの時に応募してください。どうしてもギリギリになるなら、簡易書留にして速達にするのをおすすめします。原稿を大事にしているんだなぁって感じがしますからね。
 などなど。
 個人ごとに、その相手の個性をなるべく尊重しつつ、自尊心を傷つけないように配慮しつつ、でも「ここが欠点」と指摘してあげよう、としたのです(あーオセッカイ)。

 ちなみにもちろんジバラです。ふうとうびんせんゆうびん切手などなどは。そしてもちろんわたしの時間も。
 ただ、一作品1000円の「判断料金」があまりにも高額でありがたくて申し訳ないので、せめて、なんらかのかたちで誰かの役に立ちたい一心だったのです。
 ホラ、自分の「拾ってもらった」作品が、規格外だったために、もうちょっとで闇に葬られる運命だったでしょう? だから、恩返ししたかったっていうか。地球規模のエネルギーの無駄遣い(紙だって資源ですから)がもったいないとも思ったし、ほんとに「ここが肝心なのに」なとこがわかってないまま、書き続けるとしたら、そのかたがあまりにもあまりにも気の毒で。

 するってーとですね……返事が来るんですね(いちおー編集部の住所を書いて出しているので直接ウチにはきませんが)。
 たいがいのかたは、「感想ありがとう、嬉しかったです。具体的なアドバイスに感謝します、まだがんばります」みたいな、そーゆーお返事だったんですけど、中には「ケンカ売ってくるひと」とか「脅迫してくるひと」とか「賄賂をもちかけてくるひと」とかがいました。「合格させてくれたら賞金はみんなあなたにあげますから」とか。シタヨミを脅迫しても買収しても、ぜんぜんなんにもならないんですけど……。

 自作をけなされると自我がキズつくんだなぁ。
 あきらかな欠点でも、指摘されるとムッとするんだなぁ。
 いくら親切で(大きなお世話のオセッカイで)言っても、ぜったい自分を曲げない、キクミミもたないひとっているんだなぁ。
 このときわたしは痛感しましたです。

 と、いうような経験が何年かあったので、いつか書きたいなぁと思ってました。

 小説新人賞に応募するために最低限理解しておくべきことがら、把握しておくべきルールの参考書みたいなものを。受験産業があれだけ旺盛なんですから、小説新人賞に応募してくるひとがこれだけ多いんですから、それがあったっていいだろう、と。
 世の中にすでにあった『文章読本』のたぐいは、たいていの場合、純文学系の大家のかたが、ご自身の思想とか美学とかをお書きになっておられたもので、Cランク以下のひとたちには関係ないというか、あきらかに必要だったのは「そういうレベルまでいってない」かたがたにむけての話だったし。
 『なぜきみは一次選考を通過できないのか』タイトルもきまってました。
(のちに担当に却下されて、オビ文句にされましたが)。
 大賞を獲る獲らないってレベルじゃない、少なくとも、一次選考を通過するためのノウハウ、シタヨミ委員に「……またか」とガックリさせない程度のことがらだけはわかってから書こうよ。じゃないと原稿用紙も、青春の(書き手の大半は若かったですから)貴重な時間ももったいないよ。できれば、シタヨミのわたしたちも、少なくともある程度のレベルをクリアしているゲンコウだけを読みたいよ。そう思って。いわば、小説新人賞応募希望者における「デルタン」というか、「基礎からの小説創作」みたいなのを、やってみたいなぁ、と。


川又千秋
作家。『火星人先史』で星雲賞、『幻詩狩り』で日本SF大賞を受賞。

 そんなこんなのある日、川又千秋先生からお電話がかかってきました。
 池袋西武のコミュニティーセンターで、幻想小説関連の創作講座をやっているんだけど、受講生の中にコバルトに応募したがっているコたちが何人もいる。そっち方面のことは自分にはよくわからないから、よかったら、一度ゲストにきて、彼ら彼女らの質問に答えてやってくれないか。
 いいっすよー、と気軽にお引き受けして、いって、しゃべくりました。
 なにしろ、言いたいことはたまってたし、具体的な「こういうとんでもないゲンコウがあった」みたいな話もできました。
 すると、その時間が終わったあとで、コミュニティーセンターのひとに「ちょっとちょっと」と陰に呼ばれ、「講習、持ちませんか?」と言っていただいたのです。
 当時わたしは新宿にすんでましたから、池袋まで通うのは、そんなにたいへんじゃありませんでした。ただ、「どんな生徒さんが来るか」は、正直、すごい怖かった。なので、たまさかファンレターをいただいたりしておともだちになってつきあっていた当時早稲田の学生さんだった男子二名に「サクラ」になってくれないかとたのみ、(彼らの実力は知っていたので、牽引車となって、クラス全体をひっぱってってもらいたかった)幸いにも快くオッケイしてもらったので、よし、じゃあ、やろう、と決意したのです。
(ちなみにこの男子二名は講習代金をしっかり払ってきてくれてたんじゃないかと思います。育ちのよい坊ちゃまたちだったからゆるしてくださったことじゃったなぁ。講義のかえりには、飲みにとかもつれてってもらって……だってわたしより、彼らのほうがずっと遊びなれてたもの……たまにはオゴッたかもしれませんが、そうでもなかったような気もする。ほんとに、ほんとに、優しくて頼もしいふたりでした。彼らがいなかったら、いまのわたしはありません。ありがとう!)


『小説新人賞の獲り方おしえます』


『もう一度だけ新人賞の獲り方おしえます』


『これがトドメの新人賞の獲り方おしえます』




小説あすか
角川書店刊。現在は廃刊。

 その時の講義を、その二名がまとめてくれたのが、あの『小説新人賞の獲り方おしえます』です。蛍光オレンジ色の一冊目ね。版元の徳間書店さまにも、すでに退社なさってしまった某女性編集担当者さまにも、たいへんたいへんお世話になりました。おかげさまで、この本の評判がよかったので、こんどは、「講義録」ならではのメチャクチャさをある程度整理したかたちの、蛍光ミドリ色の二冊目を出しました。なぜなら(ミドリの本でイイワケしていますが)、「よし、これでイケたろう。これでもうだいじょうぶなはずだ」と思った一冊目を「読んで」応募してくれたはずの、初版発行後一週間以内限定270通「必ず目を通してアドバイスして返送します」内作品が「……な、なんじゃこりゃあ!」なレベルだったからです。
 ひとが、まさにこの本で「やるな」っつーてること、やってるやんけ!
 やりまくってるしー!

 そうか、あれでもまだわかりにくかったのか。じゃあ、もうちょっと整理して、いくらなんでもここまで懇切丁寧に説明したらわかってくれるだろう! と書いたのがミドリので……でも、やっぱわたしは小説化で理論家ではないからかなぁ、どーしても、どーしても、うまく説明できなかったみたいで。なんで通じないのだろう、なにかもっとうまい方法はないのだろうか。忸怩たるキモチでいたら、今度はカドカワさまの小説あすかが「新人賞応募者へのアドバイスをくれませんか」っていってきてくださったのです。それを、一年間限定の連載にもっていく経緯そのものも、三冊目(一冊だけ未文庫化)なピンクの本に書いてありますけど、未読のかたのために繰り返し言うと、ようは「マナイタの鯉」があればもっと具体的にできる! と思ったわけです。お料理番組でもそうじゃないですか。ただ口でいってるだけじゃなくて、実際に、材料を切ったり、煮たり、焼いたり、盛り付けたりしてみせますよね。あれをやろうと。
 しかしここまで徳間で出してきたものを……しかも世の中、まとめるというとたいがい「三部作」になるのがあたりまえなのを……いきなりカドカワさまに鞍替えするのもどうよ? というわけで、いろいろとスッタモンダもあったんですが、ま、とりあえず、スタートした。
 すげかったですよー。
 あとからふりかえると。
 あの時、なんの因果か、小説あすかを読んでてくださって、みずからマナイタの鯉となることを志願してくださったかたがたは、まるで「さだめに導かれ、おのずと集まった」伝説の勇者たちみたいでした。あそこで、わたしのワガママによってかってにキャラづけされ、あたかも「架空の登場人物」のごとくに好き勝手にイジられながら、落伍することなく最後までついてきてくださったかたがたの大半とは、その後も多かれ少なかれコンタクトが続いています。既にプロになったかたがたも何人もおられます。SF大会創作講座にはいまも多くの「あの時いっしょに戦った仲間たち」が集まったりして、ちょっとした同窓会みたいになったりします。
 しかもです。あれを……ネットが完備していなかった当時、いくら隔月刊とはいえ、郵送とFAXと電話でやりとりして連載いちども中断せず、頓挫もせず、成立させちゃったんですから……いま思うと、無謀というか、強引というか。よくやったよなぁ。
 内容があまりにオタク寄りなため(だって小説あすかだし)いまだ文庫にならず、元本はすでにゼッパン状態なんじゃないかと思いますが、のちに出会った新人さんで「一番参考になったのは三冊目」とおっしゃってくださるかたが何人もありました。
 そうなんだって。
 どっちかというと、鯉のみなさんを好き勝手に切り刻んで、イタブッて、おもしろおかしく楽しいヨミモノを目指したのがねー。不思議なもんです。

 そうそう。
 二冊目だったかな、わたしは「もしあなたがこれを読んで、それまで書いていた原稿に関してなるほどと役にたったことがあって、デビューすることができたら、ビールの一杯もおごってちょうだいね」みたいなことを書きました。おかげさまで、過去何名ものかたから、珍しいご当地ビール1ケースとか、ビール券とか、いっぱい頂戴しました。もちろんブツヨクというか「酒飲みの酒欲」を満たしてもらえて嬉しいというのもありますけれども、そーゆー「強欲」なことを書いておいたおかげで、「ボクは○○といいます。このたび、×××からおかげさまでデビューしました。だから約束のお礼を送ります」って、ちゃんと連絡がいただける、パーティーなどでバッタリ出会って「あの『聖典』(←おこがましいですが、ありがたいー)何度も何度も読み返しました。いまだにツマると読んでます」っていってもらえて「あーら、じゃあオゴッてくれなきゃでしょ、ウフ」と言って名刺交換したりとか、そーゆー「つながり」が実感できるというウマミもありますです。

 もちろん、あんなものなくったって、実力がじゅーぶんあって、いずれデビューしたに違いないかたがただってたくさんたくさんあるわけだけど。

 「『新人賞の獲り方おしえます』シリーズが、その後の文芸エンターテインメント業界に輩出したおおぜいの若者に多少なりとも影響を与えた」ってことは、これは、すみません、自分で言うのはエラソーですみませんが、事実だと思います。
 これと、おかみきを、あるいは小説ドラクエを、MOTHERを、読んで「うまれてはじめて本に夢中になりました。小説を好きになりました」って言ってくださったかたがたの少なくないこと。
 これが、わたしの、こころの支えです。
 いつも。
 いまだに。

 次の作品がなかなかうまく書けなくてオチコンじゃう時も。
 これはこんどはまちがいなくイケるだろうと思って書いた作品がイマイチ評価していただけず、ちっとも売れず、ガックリきちゃう時も。
 過去を振り返ってばかりいるのはよくないけれど、少なくとも、わたしのやってきたことには意味がなくはなかった。わたしってやつがこの世にいて、小説とかそーゆーものに関係した存在意義はあった。そう思える。そう思うことのできるプロジェクトにめぐりあえた(そういう時代にそういう立場にたまさかあった)ことの幸運に、感謝しています。

 ……もちろん……
 『新人賞の獲り方』シリーズ等を読んだのに、それをきっかけに、いっしょうけんめい考えて、努力して、それでもまだご自身の最高の力を発揮する方法をみつけられないでおられるかたもあると思います。チャンスにめぐまれず、強力なライバルにたまさかブチあたってしまい、家庭の事情経済的事情その他いろいろあって、「まだ」イケてないかたも。
 もしかすると、あれで、「あきらめた」かたも。
 あきらめてないけど、一生かかるかもしれないなと思っておられるかたも。
 あんなもんさえなきゃ、自分の「限界」を思い知らされずにすんだのにコンチクショウと思っておられるかたも。
 あんなのは古いリクツで、クソで、いまはもう全然違うよ、バカヤロウと思っておられるかたも。
 それはそれでいい。
 過去の「原則」なんて乗り越えられるためにあるのだから。


ライトノベルの「かきかた」...
例えば大塚英志氏の「キャラクター小説の作り方」はそれにあたるのかもしれません。
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 ライトノベルにはライトノベルの「かきかた」があるのかもしれない。
 誰か、それ、書いてくださいよ。
 あしたの作家たちのために。これから先、いまよりもっとたくさんのメディアが溢れる中に生まれてくるこどもたちが、ゲームとかDVDとかアミューズメント施設ばかりじゃなく、本を読むことの楽しさをみつけてくれるように。いつかおはなしを作るひとになってみたいと、思えるように。

 そして、もし、いつか、あなたのなかの若さや文芸的熱情や創作意欲が死んでしまったら、どうか裏庭の『結局ただの一度もどこの賞でも第一次選考を通過することができなかった星の数ほどの作品たち』のお墓に、ちっちゃなジミなそこらへんに生えている野の草でいいですから、たむけてやってください。


原稿受取日 2004.4.15
公開日 2004.5.19

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