創 世 記
第14回  「嗚呼憧れのハードカバー」




 ふと思いついて、本棚を漁ったら、出た出た出てきた。
 コバルトノベル大賞の『入選作品集』その3。
 なんで「3」だけが、それも二冊もあるかというと、亭主のデビュー作が載っているからに他ならない。これは、コバルトの新人賞(名前は時々いろいろと変わっているが、いまも続いているアレ)の受賞作を三個ずつ掲載したものなので、一冊に「三人」入っている。

3巻  1987年3月15日発行、に収録されているのは
「青いリボンの飛翔」波多野鷹(←旦那さんです)
「独楽」島村洋子
「いつも通り」片桐里香

 の三作品。おおお。この三人は三人ともサバイバルしたな。ていうか、ウチの旦那さんの場合はちょっと特殊な生き残りかたかもしれないけども……。
 さるところに手を回して、他の『入選作品集』をチェックしてもらった。

1巻  1984.3.15
「未熟なナルシスト達」杉本りえ
「I MISS YOU」塩田剛
「卒業前年」藤本圭子

2巻 1985.2.15
 すまんみつからん。
 が、

コバルト・ノベル大賞 受賞作家一覧  (ありさとの蔵
(ありさとさま、またお世話になります)

 をみるかぎり、ここにはたぶん唯川恵さん倉本由布さん藤本瞳(あるいはもう「ひとみ」になっていたかもしれない)さんあたりの作品が収録されていたはずなんではないかと思われる。このサイトを見ると、文庫化されたのは必ずしも「全部」ではないのだなとか、うわぁ一藤木杳子さんや、竹内(岩井)志麻子ちゃんのが「入ってないじゃないか! なんてバチあたりな!」とか、「ウッ、東野司さん(←SF作家クラブ中でもかなり仲良し)って、ウチの旦那と同じ時にコバルトに応募してたわけ!? ひぇぇ」なんて、知らずにすめばよかったかもしれないことまでわかったりする。
 それにしても(他に応募先があまりなかったとはいえ)みればみるほど、すごいメンバーではないか! おそるべし、コバルト。

4巻 1989.2.10
「クルト・フォルケンの神話」図子慧
「眠り姫の目覚める朝」前田珠子
「祭りの時」夏川裕樹

5巻 1990.2.10
「Seele」五代 剛
「プレミアム・プールの日々」山本文緒
「お子様ランチ・ロックソース」彩河 杏

6巻 1991.2.10
「恋はセサミ」西田俊也
「一平君純情す」水樹あきら
「AGE」若木未生

7巻 1991.12.10
「つまづきゃ、青春」児波いさき
「行かないで――If You Go Away」三浦真奈美
「水になる」川田みちこ

8巻 1992.10.10
「我が青春の北西壁」涼元悠一
「水色の夏」赤木里絵
「春風変異譚」水杜明珠

 ときて、ここでしまい。
 このシリーズはこの8巻が最後なのだ。

 あまり売れなかったし、話題にもならなかったらしい。
 おそらく、次に応募せんと思うひとが「参考」にしてくれる需要、あーんど、のちにその作家のファンになったひとが「処女作」を読んでみたいと思ってくれることを期待したのだろうが、目論んだほどにはうまくいかなかったのだろう。間違いなくのきなみ絶版だろうが……とすれば直木賞作家の「マボロシの処女作」を含めてアッサリ抹殺されてしまった(もしかするとご本人の短編集とかで生き残っているかもしれないが)のかと思うと、もったいないなぁ。

 みなさま、それぞれに「見覚えのある名前」「好きな作家」「全然聞いたこともないひと」などあるだろう。
 そして、いかに、コバルトが、そして、その「雨後のタケノコ」である「若者向け書き下ろし文庫」のたぐいが、あまりにも凄まじい速度で「消費」される運命を背負わされたものであったか、わかると思う。
 コンビニやファストフードが生鮮食料品を「まだまだ十分食べられるうちに」(あらかじめ設定され表示された賞味期限を過ぎると……あるいは過ぎそうになると)すぐさま捨てて、新しいものを並べるスペースを確保する今日このごろ、その速度は、書籍分野においてもいやがおうにも増している。
 まだまったく腐ってもいないコンビニ弁当はホームレスのひとの空腹を満たすのには役立つかもしれないが(それにしても世界じゅうに飢えたこどもたちがおおぜいいるというのに……まったく、ニッポン、いつかバチかあたるぞ)、売れない文庫なんて抱えていても場所ふさぎなだけ。おまけに「財産」として保持していると税金がかかる。よって版元は、売れ残ってしまった本はあまり長いこと倉庫に保管などしておかない。「新古書」として古書店系に流すか、あっさり断裁する。
 こころある編集者は、あわれ捨てられることになった拙著を「こっそり」本人にくれたりする。何とはいわないが、段ボール箱いっぱい送ってもらってしまって、そのまましまってある本もあるのだ。

 わたしはテキスト主義である、と、ずいぶん前のところで言った。デビュー当時、短編一作ごとに名前を変えようとして担当にいさめられたというアレだ。
 ここでテキスト主義というのは(ああドイツ哲学的文章)小説の、いや、「おはなし」の本質は「内容」だろう? ということだ。紙質とか、版形とか、カバーイラストとか、帯とかはあくまでその本質であるテキストの「衣装」であって、第一義的に重要なものではない。テキスト(データ)こそが「著作ブツ」なのであって、たとえば、オンラインでデジタル化されて流通されても、目の見えないひとのために音声訳されても、ベッドの中で寝る前におかあさんに一日何ページかずつ『読み聞かせ』してもらっても、受け手が十分楽しんでくれるなら、それで充分、かまわないではないか、という考えである。






日本文藝家協会
作家に限らず、評論家、随筆家、翻訳家、詩人など文藝に携わる者の職能団体。1926年「文藝家協会」として創設、1945年現在の名称で再発足。会員数2479名。
公式:日本文藝家協会



図書館での利用...
文化庁は、公共図書館が無料で貸し出す本の著者に国が著作権料として補償金を支払う「公共貸与権(公貸権)」の制度を2008年にも導入する方針。

 が、むろん、ヒトが生まれたままの姿でそこらを出歩くと猥褻物陳列罪に問われるように、本もフツーはハダカでは売らない。なんらかの衣装をつける。現代のテクノロジーでいって、もっともハダカのテキストデータに近いのはたぶんPDFファイルで、……いや、ケータイとかで読める「データ」そのものもあるか。文藝家協会などは教科書への転載や図書館での「利用」に関しても著作権者の利益を確保し保護してくれと運動をはじめている。「データ」の重要性はそのうちちゃんと保証されるかもしれない。逆に、法が整備されるまえに、あるいは法が整備されても抜け道をみつけられて、いくらでもコピーされ、それを、苦心惨憺生み出した人間にはなんら補償がされぬままじゃんじゃん流通してしまう可能性もまたある。

 そもそも、この世に手に触れることのできる物体として存在している以上、そこには必ず「質料」と「形相」がつきまとう。本にもそれが……「おはなしのなかみ」と、「それを物質として定着させるときに選び取られたなんらかのカタチ」が……ある。
 だから、紙質とか、版形とか、カバーイラストとか、帯はもちろん重要だし、活字フォントや活字の大きさインクの色、行間字間の設定だってとてもとても重要だ。そのへんがタコだと、おっそろしく読みにくくなるのはみなさまご存知のとおり。
 もっと言えば、漢字やカナの使い分け(バカということばひとつをとっても「馬鹿」「莫迦」「ばか」などなどいろいろあるというアレ)、句点読点(「、」「。」)や段落のつけかたによる文章の区切りのリズム、ページ変え、などには、作家の「センス」や「癖」が出る。京極夏彦さんが、「形相」としてのBOOKにものすごくこだわって、ページをまたがった文章をぜったいにお書きになられないようにしているのはよく知られているとおり。ミステリ作品の中には、「形相」をサカテにとった驚天動地のトリックを使ったものすらある(なにのどういう利用のしかたがそうなのかをここでバラすわけにはいかないから、説明できないが)。はたまた、一般的に長いこと現役で書き続けている作者の場合、老齢化してくるにしたがってセンテンスがだんだん短くなり、「、」や「。」が若いころにくらべて多くなるのが普通である。肺や呼吸器の性能が落ちてくるから、ひといきに描ききれる分量が減る。こう、ぶつぶつと、やたらに、小分けになって、きたりする。
 はたまた、章ごとに扉をつけるかつけないか、どこに挿絵をいれるか、カラー口絵をいれるかいれないかなどなど、「本」という物体にはあまたの「衣装」があり、みな、予算や編集者のセンスあるいは上司サイドとの力関係などによってかわってしまうものである。ノベルスや文庫の場合、もともと「その」シリーズの典型的なフォーマットに則った上での狭い幅の選択しか許されない。
 あるテキストに対してどの程度までこまやかな「配慮」がゆきとどくか、これはかならずしも「作品内容」の責任によるところではないが、「作者の実力」(ようするに人気や過去のウレユキ)には、かなり寄りかかってしまうものであったりする。
 で。
 タイトルのとおり。

 自己註。

 ああ、もちろん、わかってます。
 矛盾しているのは。
 テキスト主義であるはずのわたしは、この長ったらしいコラムの前のほーでかがみ・あきら氏の死期を早めるのに一役買ってしまったかもしれない強欲なまでのヲタであり、めるへんめーかーによってベストセラー作家にしてもらった人間でもある。
 表紙イラストレイターに、ちょー、こだわってる、と自分でゆーてたやんか!

 んなのへんじゃん!

 すみません。へんなんです。へんなんですけど、でもね、あくまで「当時のコバルト的には」そういう方向にベクトルを向けなければならなかったんですね。あまりにも逆のベクトルが強かったから。自分から「このひとの絵を表紙に」とたのまないと、どんなとんでもない(失礼)絵をつけられるかわかったもんじゃなかった。

 本はハダカでは出せない。となれば、やっぱり、カッコいい衣装がほしい。
 できるだけきれいでていねいで、内容にふさわしい雰囲気をにじませた装丁がほしい。
 そんな中、シリーズ文庫でおおもとのフォーマットが決まってしまっている以上、作者に手が出せたのは、イラストレイターの指定ぐらいだった。だから、そこんとこでこだわった。そうせざるをえなかった。

 とり・みきさんがいつかポツンとおっしゃってました。
 ほんとはボクは挿絵なんかない本のほうが好きだ。キャラの顔にしろ、場面にしろ、自分で好きなように想像できるほうが好きだ。
 でも、
 ということばがここにはかくれていた。
 とりさんはたくさんの本の挿絵を担当なさった。
 それは、とりさんの絵がとっても必要とされたからでした。

 「ライトノベル」には挿絵のないものがほとんどありませんよね。
 読者は、誰かが描いた絵をみて、主人公の顔を「知る」。
 自分から、ゼロから想像することはほとんどない。

 それでいーのか?

 それでかまわない作品なのか。
 そうでなければ成立しない作品なのか。
 あるいは、そうでなくても十分だけれど、より多くの読者を、つまり、版元および作者がより多くの利益を得るためには、そうしたほうがいいからそうなっているのか。

 「挿絵なんかなくて、自分で好きに想像するほうがずっと楽しい」といえるひとは……テキストそのものを愛するひとは、いまどれぐらいいるんだろうか。

 誰とはいいませんが、とある作家がわたしにおっしゃいました。
「ハタチすぎてライトノベルばっか読んでるやつなんてダメですよ」
 えっ?
 じゃあ、もしかして、あたしたちはティーン向けにしか「書いちゃいけない」の?
 そんなつもりぜんぜんなかった。
 コドモダマシイを持ってるひと全員に向けて、あたしは書きたかったし、書いてきたつもりだったし、これからも書きたい、そう思ってるんだけど……

 じゃあ、わたしが書きたいのは「ライトノベル」じゃない、のか?







吉川良太郎
作家。2001年第二回日本SF新人賞を「ペロー・ザ・キャット全仕事」で受賞、デビュー。
公式:吉川良太郎・全調書



バタイユ
1897年フランス生まれ。著書『眼球譚』『内的体験』『呪われた部分』『エロティシズムの歴史』『至高性』など。

 いつだっか、新人賞の応募項目に「好きな作家」を書く欄があり、そこに「コバルト以降」のいわゆる典型的な「この手」の小説の作家の名前「ばかり」並べてくるひとがほとんどであることにふと気づいたことがあります。正直いってゾッとしました。それっきゃ読んでないのか? それで小説を書こうなんて思うなよ! そう思ったんですけど。
 のち、SF新人賞デビューする吉川良太郎さまが、『獲り方』の3に投稿してきてくれたときの「尊敬する作家・バタイユ、シブサワタツヒコ、夢枕獏にもはまったことがある」には、思わず「若いのう!」と「まだこーゆーのがいたか!」と「おおうけ」してしまいましたが、のち、これはまったくの背伸びでも韜晦でもなんでもなくて、ごく正直で自然な回答だったということが(彼の作品によって)わかってしまったりする。
 吉川くん、すごいすよ。やっぱ。蓄積がモノをいってます。

 だからね。
 挿絵つきの本しか読まねー、あるいは読めねー、読みたがらねー脳みそには、正直、そういう脳みその限界があると思うのね。
 読解力とか、想像力とか、なにか、大切なものを「育てにくくしてしまう」作品群の影響があって、そうなっちゃったんじゃないかといいたいのね。

 てことはだ。

 わたしは、なんだかんだいいながら、自分がいちばん大切だと思うものを「壊す」方向に、知らずしらずのうちにたくさんの働きかけをしてしまったのではないだろうか……?

 これは怖い。すごく怖い。

 ワレながらなんて矛盾してるんだ。
 うーん……どうしよう?
 だいいち、このままじゃ、このコラムを読んだひとたちからメチャクチャつっこまれるに違いない!

 ビビッて縮こまりそうになっていたわたしですが、


玄侑宗久
臨済宗妙心寺派、福聚寺副住職。「水の舳先」で第124回芥川賞候補となり、「中陰の花」で第125回芥川賞受賞。
公式:sokyu

 週刊文春(4月15日号)の阿川佐和子さんの連載で、作家で僧侶であらせられる玄侑宗久さまと対談なさっているのを読んで、いきなりぱぁっと昇天、救われました。全編すごくいいお話が満載で、どこを切り取って引用しても足りなくなってしまうので、ぜひ、どっか、読めるとこいってみつけてよんでください。図書館とか銀行とか歯医者さんの待合室とか……どっかにきっとあるんでは?

 無理やりわたしなりの解釈で、わたしが救われた部分を要約すると、

 日本にはヤオヨロズの神さんがいるんだから、そのときそれぞれでいろいろなのはしゃあない、個人がそのうちにさまざまな矛盾を孕むのはあったりまえのコンコンチキ、色即是空、自分が自分だと思っている自分は演じている幻想の自分にすぎない、すべては豊穣なるエンプティである……

 みたいなことだと思うんですけど、間違ってたらすみません。わたしにはそう読めました。

 だからって、なんでもえーかげんでええ、という話ではないぞよ!

 とかいいながら、自己註って、ジコチューに他ならないなぁ、と、いちおー苦笑ながらに自覚はしているくみさおりです。

 ジコチューな自己註はここで終わり。話もどします。
 ペイパーバックライター、というコトバがある。
 英語圏にはペイパーバックという本の形態があり、「それしか」書かせてもらえない作家を揶揄してこう呼ぶ。よーするに、どーせ読み捨てられる運命のチンピラ作家、ということだ。
 アチャラの「ハードカバー」はほんまに重たくてデカクてハードなカバーで、何冊もまとめて持って歩くなんてことができそーにもないほどすごいものだったりする。
 とうぜん、ネダンはおっそろしく高い。輸入版だから関税がかかって高い送料がかかって高いだけではなくもともと普通の生活人の日常の予算に比してそーとーに高い。

 だから「ずらりと革表紙を並べた本棚」とか、そもそもそれをおくための「書斎」「図書部屋」なんてーものが、ステイタスシンボルになったりする。なんでも、「見栄えのいい書斎にするためのそれらしい本のセット」なんてものも売っているらしい(我が国にもそれに近いもの……漱石だの鴎外だのの代表作の初版復刻版ゴージャスセットなんてものが、通販されてたりするが)。
 それそのようにあまりにもリッパでお高い本は、「ほんとにナカミを読みたいヒト」のために作られるものではなく、「そーゆーのを読んじゃうぐらい知的であるふりをしたいひと」のための、非実用的アクセサリーとして使われることが多い、みたいな皮肉なハナシである。
 医学書、学術研究書など、実際、図版が多くて予算がかかるけど必要なひとの絶対数が少ないから、ウン万円、みたいなものも、そりゃー、ある。

 でもって、もちろん我が国でも昔から「ペイパーバック」はあった。なにしろ『源氏物語』という世界最古の小説を有している国であるから、少なくともそのへんからずーっとなんかの「よみもの」はあった。庶民のためのそれがパァッと花開いたのはご存知、江戸時代である。

 黄表紙の誕生  (江戸ネット

 おもしろおかしく読んで読み捨ててサヨウナラなものたち。







岩波文庫の装丁
クリックで拡大。























『戦国自衛隊』
久美さんの原稿の中で、角川春樹さんが監督したのは、「戦国自衛隊」ではありません。角川映画もかなり集めているんですが、春樹さんが監督したのは、えーと、「汚れた英雄」、「愛情物語」、「キャバレー」、「天と地と」、「REX」、それぐらいかな? とりあえず、「戦国自衛隊」は、西田敏行の「悪魔が来りて笛を吹く」を撮った斎藤光正監督です。
(早見裕司さまより頂戴)



都筑道夫
推理小説家。「E・Q・M・M」日本語版の編集長をも経る。本格推理、時代、SF、パロディ、評論、風俗など活躍は多岐に渡る。



山田風太郎
忍法帖物、明治物、室町物などを綴る巨匠。代表作に「甲賀忍法帖」「くノ一忍法帖」「魔界転生」がある。



天藤真
ミステリ作家。ユーモアと本格物を融合させた作品が多い。「大誘拐」が文藝春秋の20世紀ベストミステリの1位に選出された。



立原えりか
児童文学の第一人者。幻想性的で詩情あふれるファンタジー作品を数多く発表。「木馬がのった白い船」など。



大藪春彦
ハードボイルド史上に残る作家。没後の1997年に業績を記念しミステリーやハードボイルド分野の優秀な作品に贈られる文学賞として大藪春彦賞が創設された。



西村寿行
作家。「咆哮は消えた」「滅びの笛」「魔笛が聴こえる」で第75〜77回直木賞候補となる。兄は小説家の西村望。

 しかし、である。
 文庫ちゅーのは最初、実はそーではなかったんですね。
 お若いひとたちはご存知なかろーが。
 岩波文庫がいまだにその頃の風情をとどめている。最近はすこし小奇麗になったが、最初のころは、破れやすいハトロン紙をちょっとかけただけ、肌色の(おおハダカ色!)本体が透けて見えちゃうシンプルの極みみたいなカッコだった。一切の虚飾をこばみ徹底的に予算を削減したあの体裁は「古典的名作を読みたい、いつも手本に置いておりにふれ読み返したいものだが、貧しくてなかなかそーもいかない」若き知性のために、わざと、あーしたのであった。安くて軽くて持ち運びにも便利だから、忙しくても、カバンの中などにひそませておいて通勤通学の車中、食事を頼んで待つ間などに、いつでも読める。それは、プロレタリア革命後、自我に目覚めた労働者階級(日本人口の9割をしめるという中流)の持つべき向上心にさしだされた美酒であった。
 大学に行くなんて夢のまた夢、中卒で集団就職で上京して、工場で朝から晩まで働きながらも、若者はそうやって『神曲』だの『クオ・ヴァディス』だの『風土』だの『純粋理性批判』だの『ソクラテスの弁明』だのを読んだんである。一時、中公文庫もほとんどこーだったし、その名も教養文庫なんつーものもあったりした。新潮文庫も、シェイクスピアの戯曲を全部網羅してたりとか、日本文学史に出てくるようなひとたちのいろんな作品をセッセと出しておられた。
 わたしがちっちゃなコドモの頃、文庫てのは、すんごくおとなっぽい、しかも「いんてりげんちあ」っぽい、賢くてマジメでキチンとしたひとが読むもの……よーするに、とってもシキイの高いものってぇイメージだったのだ。
 これに対して、いわゆる英語圏のペイパーバックに質・形ともにすなおに対応していたのが、いわゆる「ノベルス」である。すでに定評ある古典的名作ではなく、アップトゥーデートに生産されたものを、お手軽形態で量販した。わしが小学生ぐらいの頃には、光文社カッパブックスがかの分野のチャンピオンであった。
 文庫が、いまのように「エンターテインメント量販」さらには「書き下ろし」分野に進んでいったのは、たぶん角川さんのせいだと思う。
 前にもいったけど。
 天才・角川春樹さま(←編集者としてもさることながら、監督あそばした『戦国自衛隊』はほんまにすごい)が映画と連動させつつ、横溝正史先生や、森村誠一先生をどんどこ出した。赤川次郎先生は、新しいものをすごいスピードでお書きになった。偉大なる都筑道夫さまの『なめくじ長屋シリーズ』『猫の舌に釘を打て』あたりを、わたしはコレで読んだ。山田風太郎先生も、天藤真先生も、立原えりか童話集も。たまに大藪春彦先生のや西村寿行先生のを、オジの書棚からこっそりひっぱりだして読んだ。翻訳系もそーとーあったと思う。
 でもって、
 ハードカバーは滅多に買わなくなった。
 だって重いし。高いし。新作の大半は、そのうち文庫になるんだもの。

 ここで話題がいったんビミョーにズレる。あとで戻ってきて繋がるつもりだから、ついてきてほしい。
 児童書と、ライトノベルはどこがどう違うのか?
(スレッドおよびコラム参照のこと……ちなみに久美のこの章の文章は、大半、くぼひでき様・時海結以様の闊達な会話などを見る前に書かれたものであるということは一応念を押しておきたい)
 前々から、気にはなっていたのだ。
 だって、重ならないでしょ。作家が。

 世の中には児童文学というものがあり、児童書というものがあり、なんでもそっちサイドの作家さまの団体とかもあるらしい。
 わたしは相手にしてもらったことがないのでよー知らんのだが。
 実は、そもそも、読んだことのほうがあんまりないのである。

佐々木たづ
童話作家。在学中に緑内障で失明。『白い帽子の丘で』で厚生大臣児童福祉文化賞、『ロバータ さあ歩きましょう』で日本エッセイストクラブ賞を受賞。

 『ドリトル先生』や『ナルニア国物語』や『ゲド戦記』は、大好きだった。『くまのプーさん』も『メアリーポピンズ』も、ほんとにほんとに好きだった。リンドグレーン全集にはハマりまくった。ファージョン童話集あたりになると、ちょっと熱が冷めてて、あんまりちゃんと読んでない。
 あっ、そうだ。
 幼稚園ぐらいの頃には「世界の名作文学全集」みたいなのを母が定期的に買ってくれていた。ないよりはマシだったが、なにかがビミョーに不満だった。いま思うと、それらはみな、こども向けのリライト版であり、テキトーな要約版でしかなかったのだ。そーゆーものは、あんまり好きではなかった。だいたい、おもしろいのとおもしろくないのの差が激しすぎた。こども向けにかっさばいて料理しなおしてリライトしてもなお面白かったのは『小公女』とか『赤毛のアン』とか、『ジェイン・エア』とかの、極め付き世界的名作(でもって、おとめゴコロのツボをついてるもの)だけだったと思う。
 その頃、一ヶ月300円ぐらいだったわたしのお小遣いからすると、それらの「すんごく面白い本」はあまりにも高額であったから、クリスマスとか、お誕生日とかに「何がほしい?」と言われると「あれ買って」と頼んでよーやく手にいれたものだ。なにかで図書券をゲットできると、すかさず買ってもらった。(親に隠れて買わなければならないものができるまでは)
 『あしながおじさん』も好きだったなぁ。
 これらの本の大半を、わたしは、買う前に、たいがいの場合、すでに、一度読んでいた。
 ともだちの家で。(←ひとんちに遊びにいくと、ひとの本棚の前にすわりこんで何かを読み始めてそれきり動かない、そこんちのコとちっとも遊ばない悪い子だった)
 学校の図書館で。(←古臭くて説教臭くつまらない本が多かったから、中で、読み応えのあるものを探し出すのは一種の探検クエストであった)
 一度読んで、「これはすごい! おもしろい! 何度も読みかえしたい!」と思った本をけっして忘れず、やがて、年に何度か、チャンスを得るたびに、一冊ずつ「自分の」を手にいれていったのだ。
 ウチの弟(四歳下)はポプラ社のルパンのシリーズとか『岩窟王』とかにはまっていた時期もあったよーだが、そこらへんは上に書いたような理由で(こども向けリライトだから)あんまり好きではなかった。
 でもって、ですね。
 国内の児童文学のことなんですけど。
 ほとんどまったくぜんぜんといっていいほど、読んでないんですね。
 うんとうんと小さい時に、ささきたづさんの『白い帽子の丘』が好きだった。
 母が持っていた『ロバータ さあ歩きましょう』を、漢字が多くてところどころ意味不明だったんじゃないかと思うが、無理やり読んでしまうぐらい、好きだった。

よいみみのこうま  (ささきたづ 文)

 あとは……すまん。好きだといま思い出せるような相手がいないんである。
 宮沢賢治以外には。
 賢治を児童文学と言っていいのかどうかははなはだアヤシイと思う。でも、こどもにも読めた(読めるやつは)。銀河鉄道とか、あんまり幼いうちに読んでも、ほんとーのところ、なにをいっているかの意味なんてほとんどわかんないんではないかと思うんだが、銀河で鉄道であるという美しさ、貧しいジョバンニとなんだか哲学的(というコトバは当時は知らなかったが)なカムパネルラの、男の子同士にしてはミョーな雰囲気(ショタコンだなんていったら叱られるかもしれないですけど、当時の日本で『かくあるべし』とされていた男子のイメージとはふたりとも思い切りかけ離れてましたからねぇ)、「アンタレスの赤い火が!」など「知らない」ことばの美しさ、全編に漂っているせつなく悲しい雰囲気に惹かれて、読むっていうよりうっとりと浸った。『風の又三郎』や『水仙月の四日』が好きだった。『セロ弾きのゴーシュ』は最初はダメだった。なんだかあまりにも残酷な気がして。『グスコーブドリ』はふつーこどもが読めるところにはなかった。



















坪田譲治
童話作家。「びわのみ学校」を創刊・主宰し、新人の育成につくした。新潮文芸賞、芸術院賞受賞。芸術院会員。

 賢治のことを知ったのは、フツーとはちょっと違う経緯だった。
 なにしろ最初に読んだのが、(だいきらいなはずの)こども向けの本「偉人伝」シリーズの一冊だったから。
 小学校三年生の夏、オヤジが転勤になって、わたしは生まれてはじめて転校を体験することになる。ほんとうはこの時点までに何度もヒッコシをしているのだが、モノゴコロついてからのヒッコシははじめてで、不安で不安で悲しくて悲しかった。なにしろわたしの知ってる世界は赤羽の団地がほとんどで、あと、たまに母親がつれていってくれる池袋のデパートとか、オヤジの会社のある銀座のデパートぐらいだったから。
 なにせ引越し先は盛岡市なのである。
 岩手県である。
 おじいちゃんが住んでるとこだ。とってもイナカだ。冬はすごく寒いらしい。
 地の果てだ……! 
 と、小学三年生は思う。そりゃ思う。
 一学期の終業式の日に、朝礼で、「すがわらさん(←当時の本名)とは今日でおわかれです。挨拶しなさい」「みなさん、さようなら」というのをやった。
 なにしろ「さようなら」である。二度とみんなとはあえないに違いない。ほとんど戦地に赴く兵士の気分であった。はらはらと涙もこぼれたかもしれない。
 すると、……クラスの担任だったおばあさん(←そう見えていたが、いま思うと、いまのワシぐらいのトシだったかもしれん)先生が、一冊の本と手紙をくれたのである。
 手紙には、こんなことがかいてあった。
「あなたがこれから行く先は、とてもとてもすてきなところです。わたしのだいすきなひとが生まれてそだったところなので、そのひとの本をプレゼントします。むこうでも、きっと、いいおともだちがたくさんできて、たのしいことがたくさんありますように」
 特急やまびこで、当時、上野から盛岡まで、6時間ぐらいかかったと思う。
 わたしは本を開いた。
 賢治の生涯が(こども向けだったが)書いてあった。
 なにしろ6時間ものヒマがあったので、何度も何度も読んだ。
 なんてすごい、とんでもないひとだろうと思った。こりゃほとんど聖人だなと(そういう単語ではなかったと思うが)思った。
 『聖母の騎士幼稚園』に通って「ちちとことせいれいのみなによって」ぐらいのことは暗誦できるようになっており、「こども聖書」(幸いにも坪田譲治さまの訳・あんど・リライトだったため、こども向けとはいえ、素晴らしい内容だった)を枕元にいつもおいていたわたし(悪い夢から守ってもらえるように。……ただし洗礼は受けていない)は、宗教的なまでに自己犠牲的で献身的で、みんなのために十字架にかかったイエスさまみたいなひとだなぁ、ってな感じにうけとめてしまったのではないかと思う。
 そんなひとの生まれた土地が、悪いところなはずはない。
 心配や不安や別離の悲しみが、すこしずつすこしずつ、興味や好奇心やわくわくどきどきにかわっていった。賢治の生涯に比べたら、ヒッコシごとき、転校ごとき、なにほどの災厄でもないではないか、と、心強く思うこともできた。
 あのせんせいはほんとうにありがたかった、えらかったと思う。お名前も忘れてしまってまったく申し訳ないのだが。
 ちなみに賢治のふるさとは実は花巻であって、盛岡ではない。ただ、花巻は、実はわたしのオヤジのふるさとでもあるのだった。賢治の通った盛岡中学は、のちに岩手県立盛岡第一高等学校になり、わたしもそこにいくことになる。まぁ岩手は岩手だし、盛岡と花巻はすぐ隣だ。
 そして、イーハトーブは……賢治の幻視した「ふるさと」は、美しいものといとおしいものとせつなく悲しいものに満ちたファンタジーランドにほかならなかった。そこに、行けること、住めること、そこでこども時代を過ごせたことを、あとになってわたしは「よかった」と思うようになる。
 転校先では案の定、いろいろとスッタモンダがあり(大半はわたしに原因があるのだが、わたしはそーは思っていなかった)文化ジョウシキが、そして「日常言語」が違う場所にいきなりつっこまれるとはどういうことなのか、否応ナシに学ばされるのであるが、それすらのちに「おかみき」その他に結実していくことを思えば、よい経験だったのであろう。

 賢治は特別だ。
 それは、うなづいていただけるかたが多いと思う。
 賢治と、ささきたづさん以外の日本の作家が「こども向け」に書いた本で、心底おもしろいと思ったものが、わたしにはほとんどなかった。
 まして毎年の「推薦図書」になるような本ときたら……よくもまぁ、こんなダサいつまんない説教くさいもんを読ませるよなぁ、と、苦笑いせずにいられないようなものばかりだった。推薦図書でなきゃ、読みたくなんかならないよ、ってなモノばっかりだった。それはわたしの偏見だったかもしれん。もともとひとから何かを押し付けられるのがキライな反抗的な性格だから。推薦図書でも、良書もあったかもしれん。
だが。

 なんでこんなん読まなあかんねん?
 もっと読みたいもの他にあるのに。
 ていうか、マンガのほうがもっとずっとおもしろいやんか。
 なんでおとなはマンガはマンガだっていうだけでナカミもみないで「だめ」ってきめつけて、「これをよめ」って、へんなのをおしつけるんだろう? きまって、すごくリッパなカッコしてて、展覧会の絵みたな絵のついてるやつ。
 ったく、いい迷惑だよ。

 あたしの中には、いつの間にか、そーゆースリコミができてしまったような気がする。

 でもって……コバルト・ノベル大賞について調べてくれるように頼んだ相手に、「児童書とライトノベルってどこがどう違うと思う?」となにげなく聞いてみたら、こんな答えがかえってきた。
 
 うーん…児童書とライトノベルの違いですか〜。
 ムズカシイですけど、私の感覚だと、児童書は大人が子供に読ませたい本(大人が子供に買い与えることが多い)で、ライトノベルは、子供が自分で発売日を楽しみに待つ(子供がおこづかいを握りしめて買いに行く)本なのでは……。
 児童書とかはあまり発売日を気にして書店に行くようなイメージがないのですよね……。
 書店で売ってるものを、買う! ってかんじがします♪


 そうなのだ!

 そこでハードカバーと文庫の問題に戻る。
 おとながこどもに買い与えようとする本は、たいがい、ハードカバーである。
 しっかりがっちりできていて、初版からかなりの年月がたっていたりする。
 そこには「消費」の速度の圧倒的な違いがある。
 児童書にはかなりの長さの「執行猶予」期間がある……ように見える。少なくとも傍目からは。

 われわれペイパーバックライター……若向け文庫書き下ろしばっかりやっているドチンピラ作家……にはその、執行猶予ってもんがない。ほとんどない。なんか失敗をしでかせば、現行犯逮捕即時罰金、みたいな日々。

 ズルイやんか!
 にくらしいやんか!
 そんなんフェアやない!

 というわけでわたしは児童書とか児童書作家のかたがたとかに、勝手にネタミソネミ敵愾心を、ともすると抱いてしまったりするんである。



萩原規子
児童文学作家。代表作「勾玉3部作」は原稿用紙3000枚近くの及び、児童文学の常識をうち破る超作。
公式 : 時の娘

 ただでさえそんだけ「ハンディ」を負ってるわれわれに、突然海の向こうから『ハリーポッター』なんつー怪物が襲い掛かってきたりする。萩原規子さんとか、あとすみませんあんまりよー知らんのですが、あきらかにわしらと「内容かぶる」のに、なぜかとっても立派なハードカバーをしっかり出さしてもらえてるかたもあったりするみたいだ。

 わたしの25年間のキャリアの中に、ハードカバーは数えるほどしかない。
 ドラクエもんを別にすると、片手で軽く足りてしまう。
 これはヤバい。
 書き下ろしをしたら、とうぜんのこととしてすんなりハードカバーを出してもらえる、さういふひとにわたしはなりたひ。そう思っているのになんでかそーならん。あいかわらず、文庫かノベルスのしごとばっりしてる。
 いいの。なかみが一緒なら、安いほうが、読んでくださるかたのためになるし。
 わたしだってほとんどの場合文庫ばっか買ってるんだし。

 でも……

 たまにはわたしだって、ハードカバーをだしたいぞおおおお!
 すんげぇ立派な装丁で、ものすごいコストがかかってて、定価が高くって、そんでもちゃんと部数の出るようなもんを、書きたいぞおおおお!
 そー思って渾身ちからをこめてしあげた原稿は、あっちこっちの編集部に半年ほどいって、「検討してみましたけど、やっぱウチではいりません」って戻ってきたりしちゃうのだ。
 わたしって、ペイパーバックライターの器なんでしょうか。
 一生このままなんでしょうか。

 なんの賞を獲ったこともなければ、
 うんとこ評論してもらったこともなければ、
 映像化も演劇化もただの一度たりともしてもらったことがない(マンガ化だけはしていただいたことあるけど)。
 25年もやってんのに、
 作品の数だけはやたら多いのに……

 わたしって、もしかして……そーとーにバカ?
 ブキヨウ?
 まぬけ?
 商売ベタ?
 あるいは……もともと、ものすごくものすごくマイナーな、特異なシュミのひとにしかウケないようなものしか書けない資質な、やつなんでしょうか。

 ここではじめの「ノベル大賞受賞者リスト」に戻ってくださいませ。
 わたくしの目にこのかたがたのお名前がどのように映るか。

 あとからデビューした大勢のかたがたにどんどんどんどん次々に追い越されながら、周回遅れを何度も何度もやりながら、それでもイジで走り続けてるんかなぁ……

 そんな気持ちになってしまうのも、無理ないよね。


原稿受取日 2004.4.22
公開日 2004.5.23

目次にもどる    妹尾ゆふ子 「ライトノベル」という名称の誕生について
『ライトノベルファンパーティー』にもどる