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いちせさんの選。-「恋愛」と「萌え」から選ぶライトノベル- ▼プロフィール いちせ yagiyamapublishing、通称やぎぱぶ、管理人。 好きなら、言っちゃえ!! 告白しちゃえ!! という題で小説やゲームについての日記を連載中。 url : http://www2e.biglobe.ne.jp/~ichise/ 推薦図書 ・なばかり少年探偵団/雑破業/富士見ミステリー文庫 ・Room no.1301/新井輝/富士見ミステリー文庫 ・護くんに女神の祝福を!/岩田洋季/電撃文庫 最近のライトノベルの大きな流れとして、「恋愛」と「萌え」の強化が挙げられるのではないだろうか。昨年末に、富士見ミステリー文庫が、「恋する心は不思議」という強引な論法で、「love」をメインテーマとして方向転換をしたことは記憶に新しく、また、「萌え」を謳った作品もよく目に付くようになってきた。この「恋愛」と「萌え」の台頭は、『to heart』以降の美少女ゲームのブームが、大きく影響を与えていることは間違いない。ここでは、美少女ゲームの影響を踏まえつつ、「恋愛」と「萌え」という観点において、優れた作品を紹介していく。 注1) ライトノベルの「恋愛」と言えば、元来、x文庫ティーンズハート、パレット文庫、コバルト文庫ピンキー等の恋愛系少女小説が主流であった。これらの文庫で見られた「恋愛」の文化は、ボーイズ系文庫に引き継がれることとなったが、一般のライトノベルでは、衰退が著しい。 注2) 「萌え」の起源には諸説あるが、初期に大きな位置を占めたのは『美少女戦士セーラームーン』だろう。それは、「タイプの異なるヒロインを複数揃える」「ストーリーに少女漫画的な恋愛を絡める」という 2点において、後のオタク系文化に影響を与えることとなる。アニメ界では、この 2つの要素を大きく逸脱することはなく「複数のヒロインを用意すれば1人ぐらいヒットするキャラがいる」という消極的で低レベルのアプローチが多くを占めることになったが、ゲーム界、特に、美少女ゲームでは、大きく進化を遂げる。元来の「可愛ければ許される」「恋愛と親和性が高い」という文化を基礎に、特に、『to heart』の登場した1997年から2000年までの 約4年間の間に、ストーリー構成や演出方法において、さまざまなアプローチが試みられ、文化的にも技術的にも発達することとなる。 富士見ミステリー文庫は、「love」をメインテーマとする以前から、「良い作品も少なからずあるが、ミステリーとしては低レベルの作品が多い」という評価が大半ではなかっただろうか。その「良い作品」の中で、特に、恋愛ストーリーとして、優れた作品の一つが『なばかり少年探偵団』であり、もうひとつが『roomno.1301』である。この 2作品は、富士見ミステリー文庫に止まらず、ライトノベル全体の中でも、非常に優れた傑作である。また、『なばかり少年探偵団』の雑破業は、もともとオタク向け18禁小説を出身とする作家であり、また、『roomno.1301』の新井輝は、ファミ通文庫の『ルーンウルフは逃がさない!』で一定のオタク知識を披露している。この二人の作家が、ライトノベル作家の中でも、美少女ゲームの文化に近い位置にいたことにも、着目する価値があるだろう。 『なばかり少年探偵団』は、中学生の桃太と真花を中心としたノスタルジックな淡い初恋ストーリーである。最近の演出過剰なラブコメと違い、1980年代の少女漫画を彷彿とさせる雰囲気は、一見すると物足りなさを感じさせる部分もあるが、中学生の頃に抱いたような淡い気持ちが、丁寧に、そして、きちんと押さえるべき部分を押さえて描かれた良作である。この丁寧で古めかしい恋愛描写は、ライトノベルにおけるメインターゲットとなる中高校生よりも、むしろ、目利きの利いた20代後半以上の高年齢層にこそ、お勧めできる作品に仕上がっている。 『room no.1301』を書く新井輝は、もともと、富士見ミステリー文庫の『dear』シリーズで、その純粋な恋愛を描くセンスには、一定の評価を得ていたものの、ミステリー要素を含めた全体の評価は、必ずしも高いとは言えなかった。しかし、『room no.1301』で、いきなり評価が一変することとなる。『room no.1301』は、富士見ミステリー文庫にもかかわらず、まるで、開き直ったかのように、ミステリー要素を廃し、新井輝としてもともと評価の高かった恋愛における心情描写を作品の中心に沿えた作品である。きちんと「萌え」を意識し、良質な恋愛描写を示し、それでいて、一般的な恋愛モノの範疇には収まらないそれは、恋愛作品として、非常に高いクオリティに仕上がっている。また、『room no.1301』に続き、同じく富士見ミステリー文庫の『dear diary1』も、恋愛ストーリーに徹した、非常に良くできた作品であると記しておく。 ライトノベルにおける「萌え」とは、かつては、「萌え」を理解してる一部の作家が、その著作の一部に「萌え」の効果を取り入れる、というものであった。しかし、ここ最近では、いくつかのレーベルで、「萌え」を中心に据えた作品を売り出そうとする様が見て取れる。しかし、この「萌え」を作品の中心に沿えた「萌え小説」と呼ばれる作品の中で、美少女ゲームほどに優れた作品は、未だ皆無といっていいだろう。 注3) ただし、伊達将範の『daddy face』や新木新の『星くず英雄伝』のように、「萌え」をメインテーマに置いていないながらも、萌え的なエッセンスを巧く生かした作品は、少なからず存在する。逆に、萌え的にも優れた要素を含んでいても、「萌え」が作品の中心に位置付けられていなければ、ここでは「萌え小説」としては定義しない。 注4) 美少女ゲームのライトノベルへの影響と言う点では、『one』や『kanon』、『月姫』等が俎上に上ることが多いが、これらの美少女ゲームが「萌えゲー」ではないことにも、注意を払う必要がある。これらの作品は、『雫』にはじまるシナリオを重視した美少女ゲームの系譜に連なるモノであり、キャラクター描写に特化した「萌えゲー」とは指向を異にする。また、これらの美少女ゲームの影響は、一部シーンや設定の模倣と言う範囲に止まることが多く、ストーリー構成やキャラクター描写、演出といった技術的なレベルでの適用という部分までには達していないことが多いことにも留意すべきである。 現状において、萌え的に優れた作品が生み出されない原因は、小説では、「萌え」において重要な絵と音声が使えないため、「萌え」を表現することが制限的であり非常に困難であること、さらに、「萌え」の表現は、シーン描写や演出に特化し、かつ、特殊化しているため、「萌え」の本質理解が難しく、また、従来の技法では「萌え」を表現しきれない点にある。典型的な「萌え小説」の失敗例としては、「萌え」について不十分な理解のまま、眼鏡っ娘や妹キャラといった記号化されたキャラを配置しただけ、というケースが挙げられる。萌えキャラの記号化やデータベース化は「萌え」の特徴として挙げられがちだが、それは、あくまで、記号化することでキャラの背景説明を省略し、より「萌え」のためのキャラクター描写に注力&純化するための手段であって、記号化されたキャラそのものが萌えキャラというわけではない。綿密で優れたキャラクター描写を伴っていない「萌え小説」は、駄作以外のなにものでもない。 注5) 「萌え」に対する絵の効果は言うまでもないだろう。絵そのものの可愛さだけでなく、例えば、眼鏡っ娘を表現する場合、「眼鏡」という単語を多発すれば、ただのコメディであり、「眼鏡」をいう単語を使わず、その文章表現だけでその少女が眼鏡をかけていることを常に読者に意識させ続けることは、かなりの表現力を要求するだろう。ライトノベルが挿絵を使えると言っても、常に絵を表示することができる美少女ゲームとの表現力の差は圧倒的である。また、音声に関しても、キャラクターに対するプレイヤーの印象形成に、絶大な影響を持つことを否定する人はいないだろう。加えて、声萌え、声優萌えというように、その音声だけでも、「萌え」の対象足りうる魅力を持つ。効果的に使えれば、キャラクター描写や演出に対して、音声ほど強力な武器はない。 では、現時点で、最も優れた萌え小説とは、なんだろうか? 『天国に涙はいらない』や『撲殺天使ドクロちゃん』を挙げる人も多いだろう。しかし、これらの作品は、「萌え」をネタに使ったギャグ小説、バカ小説であり、決して萌え的に優れている訳ではない、ということに注意すべきだ。ただし、『天国に涙はいらない』の佐藤ケイが、ライトノベル界における「萌え」の第一人者であり、また、『last kiss』によって、美少女ゲーム特有のシナリオ構築技法を熟知していることも証明されている。佐藤ケイが優れた「萌え小説」を描く技術を有していることは、疑いようのない事実だろう。 ここで、私的に優れた「萌え小説」として挙げるとすれば、『護くんに女神の祝福を!』である。作者の岩田洋季のストーリーの構成力や筆力については、残念ながら、まだまだ低いと言わざるをえないが、この『護くんに女神の祝福を!』では、ヒロインの鷹栖絢子を可愛く描くことのみに注力し、見事にそれに成功している。いくつかの欠点を指摘することは出来るが、キャラクター描写に特化しヒロインを可愛く描こうとし描ききること、それこそが、「萌え小説」のすべてであり、この意味において、『護くんに女神の祝福を!』は、非常に優れた「萌え小説」と言えるだろう。『護くんに女神の祝福を!』のような作品が増えてくれば、今後、かつての美少女ゲームに匹敵する「萌え小説」が登場する日も遠くはない。 |
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