総合受付 一般参加 コラム 企画 総合掲示板 リンク集 メール・連絡
掲示板案内  掲示板  サボート掲示板 


ライトノベルファンパーティー付属掲示板

ライトノベルファンパーティー
付属掲示板弐式


こちらは掲示板の過去ログとなります。
新たな書き込みは出来ません。ご了承下さい。


冲方丁『まだ見ぬ地平へ』スレッド2

0 名前 : 草三井 投稿日 : 2004年05月22日(土) 11時22分26秒
冲方丁さんによるコラム『まだ見ぬ地平へ』に関するスレッドです。
お読みになってのご感想などをご自由にお書きくだされば幸いです。
よろしくお願いします。
(運営上の都合で前スレを過去ログ化しました。
閲覧者のみなさまにはお手数かけますがよろしくお願いします)

過去ログ
http://maijar.org/sugoi/cgi-bin/bbs/bbslog/ubukata.html

1 名前 : ウブカタです 投稿日 : 2004年05月31日(月) 05時28分59秒
長かった遠かった間に合った。
ようやく四回目のマリア様であり、
気づけば掲示板も綺麗なことになっており、
というか久美先生の15回目に吃驚。
レスさえ数回目ですよ僕は先生カンベンして下さい。
そんなわけで
次は「銀盤カレイドスコープ」について書きますが、
そろそろさっそく今さらリクエスト募集したりして
良いですか草三井さん。ネタ下さい。

2 名前 : 草三井 投稿日 : 2004年05月31日(月) 08時31分30秒
了解です。
なにか、こう「これだ!」という作品をご紹介いたします。
QJも参考に致しますね(^^

3 名前 : ぎをらむ 投稿日 : 2004年06月01日(火) 02時30分39秒
 初めまして。『マリア様がみてる』論、拝読致しました。

 実は「マリみて」を読んでいないので先入観になってしまうのですが、
極論で言ってしまうと「マリみて」において人間の魂を救っているのって
「マリア様」という人智を超えた存在なんだなぁと感じました。
もちろん人間の努力がなければどうしようもないんですけれども、
その努力の動機付けとして人間とは別の視点、別の存在である
「マリア様がみてるから」というのがどこかにあるんだなんだなぁと。

 一方で、あざの耕平さんの「Dクラッカーズ」や
甲田学人さんの「Missing」を読んでいると、
「人間の魂は人間でないと救えない。人間が救わなければならないんだ」
と訴えているように感じます。
努力しなければならないことは同じでも、
その動機付けとして人間以外のものを使っていないように思えます。
その違いが私には新鮮に見えました。

 恐らく、沖方さんが期待されている話題と異なると思いますが、
個人的に興味深かったので書かせて頂きました。
失礼致します。

4 名前 : フジモリ@三軒茶屋 投稿日 : 2004年06月02日(水) 02時54分45秒
フジモリ@三軒茶屋です。
「マリア様が見てる」論、拝読しました。

「『命名』は明らかに『祝福』と結びつく。祝福すること、
命名することは、宗主の行為である」

という言葉がありますが、「マリみて」における「姉妹(スール)」という
制度はまさしくこの「命名」に当たるのではないかと思います。
それにしても、家族という視点からこの小説を論じられるとは思いもよりませんでした。
次も楽しみにしております。

リクエストですが、フジモリの好きな作家であり、QJにて沖方さんが
紹介されてました、新城十馬(現:新城カズマ)氏の「蓬莱学園の初恋!」論を読んでみたいです。

5 名前 : 冲=カタです 投稿日 : 2004年06月02日(水) 07時15分43秒
読んで下さってありがとうございます。
「魂の救済」はおそらく「マリアさま」のテーマからは
ややずれるかと思いますが、救済の観点から多くの作品を
見ることは有意義だと思います。
救済には三段階あり、一つが直接見聞きできる領域(仲間意識など)、
一つが伝聞でしか知ることの出来ない領域(足長おじさん)、
一つが超越的で立証不可能な領域で(神など)、
いずれからの救済が語られているかによって
その作品の方向性が定まるのでしょう。

また命名(洗礼)の機能も主に三つで、
一つがある役割を任命すること(メシアの語源ですね)、
一つがあるグループの一員としたり同族としたりすること、
一つが葬送ですね(戒名とか)。
「マリアさま」では命名というより定められた呼称を授名して
おりますが、葬送以外の二つの機能を果たしていると思います。

個人的に好きな話題なので色々書いたりしましたが
本論とは特に関係なかったりするわけですが
それにしてもサンズイ率の多さからの救済は
超越的な領域の方向でにゃるら。

6 名前 : 皓月 投稿日 : 2004年06月03日(木) 00時23分41秒
はじめまして、となりますね。
私もライトノベルの技術論・方法論というものに関心を抱く一人。
鋭い視点から迫られるコラムに勉強させられることしきりです。

「マリみて」は未読のため発言を控えつつ。
遅ればせながら「ドクロちゃん」論の感想を少し述べさせていただきます。
実は「ドクロちゃん」も今まで未読であり(正直この作品を侮ってました)、
コラム読後に書店に走ったわけですが。いや、大した作品だと思います。

吹き荒れる皮肉の嵐。
昨今、美少女ゲームにも文学性が強く現れ、
「死の重み」を感じさせる作品も多いらしいですが(パソゲーの知識があまりないので、伝聞形。いやホント)、
ドクロちゃんの死の軽さは、このあたりに由来するのでしょうか?

「ですます」調は童話を連想させます。
乙一さんの『暗黒童話』ではタイトルそのまま、
ブラックな童話が描かれているシーンがあり、奇妙な雰囲気を創りだしていました。
ドクロちゃんにおける三人称シーンも、また違った意味で奇妙な雰囲気を創っています。
これは、童話も意識されているんでしょうね。
なにせ某青猫をパロディにしているくらいですから。

と、最後に。
今後皆さんにダメージが拡大していく前にはっきり明言しておくべきですよね。
(いつまで勘違いが続くか試しているのかもしれませんが)
ウブカタさんの「ウブ」は沖でなく冲、サンズイでなくニスイ。
ちなみに「チュウ」で変換しないと出てこないと思います(それでも出てこないかも)。
私も最初は勘違いしてました。それにしても、やはり皆さん気づかないものですね。

7 名前 : くみにゃ 投稿日 : 2004年06月03日(木) 09時52分46秒
>というか久美先生の15回目に吃驚。レスさえ数回目ですよ僕は先生カンベンして下さい。

えっ? どこがだめだった? もしかしてうぶかたさんに時々メールだしてお返事もらってるのって、ナイショにしとかなきゃいけないことだったの? お気に障ったらゴメンナサイです。
あと、冲方さん、おねがいだから先生はやめてください(泣)。くみにゃと呼べと強要はしませんがせめて「くみさん」にしてください。

『イリヤ』読み出しました。まだ一巻めまでなんですけど……いや驚いたっす! 読み出してすぐに。あまりにもうまくて。
文章は端正で正統派でものすごく読みやすいし、クスグリぐらいの諧謔があって、いまどきの14歳の精神性の高さというか深さというかを感じさせてくれてものすごくビビッドで。独特のリズムがものすごく気持ちよくて。ステキな文章を読む快感中枢を、ものすごく刺激されました。
これが「一般集計」のダントツ一位なら、“ライトノベル”っていったって、ただ文庫のレーベルの問題でしかないんじゃないのか、こりゃ少なくとも直木賞レベルだろう、そこらの中間小説作家より、ダントツだんぜんうまいじゃないかー! ……と思っていたら……水前寺さんが出てきて、保健室の先生が出てきて、「ははぁなるほど……そうだったのか」。
「キャラクター」小説っていわれるものがどういうものなのか、このご本を読ませていだたいて、はじめて実感したというか、わかったような気がしました。

どういったらいいのでしょう……なんつーか、たしかにものすごくうまくて、アザトイまでに達者で、読んでてすっごくおもしろいんだけど、ビミョーな違和感を抱いてしまうな、というのが四十五歳の正直な気持ちです。

思うに、あれがマンガであるか、あるいはアニメだったら、ぜんぜんまったく抵抗なく楽しめちゃっただろうと思うのですね。そう考えると、これは「小説とはこういうものではなければならない」という無意識の偏見によるハラスメント……女は牛馬も同然だぁ! のセクハラと本質的に同等なもの……なのではないかと思うと、いかんいかん、それはココロが狭すぎる! と自己規制したくなるんですが、
読者のかたがたは「単におもしろいもの」として読んでおられるらしいので、あえて、「婆にどう見えたか」を説明させてくださいね。なにしろもう11刷(わたしが買った版で)だそうですから、わたしがちょっとぐらいなんかいったからってお商売のジャマになどならないだろうと思いますし、弱いものイジメにもならない、むしろ、ゴマメのハギシリだと思ってもらってもしょうがないものだと自覚しつつ。

せっかくあれだけ美しく、リズムがあり、とことんこだわりぬけるだけの文章力をおもちで、エピソード設定もシーンの移動も実にたくみに配置なさることがおできになるだけの地力をお持ちなかたなのに、どうして「主人公」と「カノジョ」以外の人物をみんな、極度に様式化され戯画化されたリアリティの皆無なタイプ(なるほどこれが「キャラクター」小説のいう「キャラクター」というものなのね!)ばかりにしてしまわれるのか、わたしにはわからなかったというか、とてもとても気になりました。
そのほうがおもしろいから、わかりやすいから、このレーベルの読者層の大半が抵抗なく受け止められ、より強く望むものだから、なのかしら。
ひょっとするとそこらへんが東さんのいう『動物化したポストモダン』世代の感じる「よさ」あるいは求める「おもしろさ」と、わしら婆世代のそれの違いってやつなのかしら。

たとえば水前寺さん。たしかに面白いんだけど、あまりにも「変人」すぎる。ここまでやらずに、もうちょっと普通でいいのに、って思ってしまうんですね。
あんなによく食べるし、謎のメカもたくさん持っていたりするけど「そのふんだんなおカネはどこから出てくるの?」「オトコのコとはいえ、中学生が夏休みじゅうずっと外泊しているみたいなのを親御さんたちはなんとも思わないの?」といんったさまざまな疑問がうすーく漂ってしまったりして(なにしろ一巻までしかまだ読んでないので、もしかしてあとのほうに回答が……すんごい財閥の跡取りでお小遣いがバクダイだという話とかが……出てきたりするのかもしれないです、そしたらゴメンナサイなんですが)、なんだかものすごくもったいなく感じてしまったのです。

あまりにも完璧なので、「そのうまさをそっち方向に使うのか……ウーン」みたいな。

思えば、戦闘メカと一体化している少女(なんだよね?)、背が高くて美形だけど変人な先輩、ほんとは美人だけどガラッパチな白衣の保健室の先生などの「キャラ配置」や、「少人数のスキモノがやっているへんな新聞部」「基地のある町」「一見軍人さん風じゃなく軽いアンチャンふうに見える軍のおおもの(なんだよね?)」などなど、「ああ、あれね」みたいなものをこれだけ大量にツメこんでおいて、それでもちゃんとどんどん続きが読みたくなるような書き方ができるというのは、実はすごいです。
別の板で新木さんがおっしゃる「職人さん」の芸がこのへんのことだとするなら、まことにみごとなプロの技です。
なにしろ読んでいて「どっかで見たあるなぁコレ」と思わせられつつも、それがむしろ「懐かしさ」や「居心地のよさ」になって、なにかの単なる「二番煎じ」には見えないというのは、確かに、素晴らしい、ほんとうにものすごい才能です。

それゆえに……なんていうんでしょう……あのう、なんだか叶姉妹の美貌みたいだというか。あまりに隙がなさすぎて、なんだかイタイというか。
小説にはもうちょっと「破綻したところが欲しいのだ」などというと、ヤマのように反論食らいそうなんですけど。

秋山さんは、作家として、浅田次郎さんに近いのではないか、と感じました。
長年お洋服販売の世界で戦略的にお商売を成功なさっておいでで、競馬ですら勝つ(儲ける)ことができるほど冷静な「ヨミ」ができ、自己規制ができる浅田次郎さんは、ほんとうにうまくて「ヨシここで泣かそう」と思ったら泣かす話がかけますからねぇ。作者が完全に作品を俯瞰し、掌握し、コントロールし、支配してる。だからこそ、その完璧さゆえに「作者のオモワク」とか「しかけをつくる手つき」が透けて見えてしまって、作品内容に没頭する自分をも、ともするとメタ視線で振り返らせてしまう。
「こんな策略で泣かされちまって、トホホ」みたいな。

あんまりしっかり磨きこまれてしまったものって、ツルツルで、すべっちゃう。ザラザラしてたり、ぶっちゃけてて均等じゃなかったりするもののほうが、その摩擦係数ゆえに「掴みやすい」。
いわゆる雑貨の類でも、「手作り」をウリにしているものって、なんかボコボコしてたり、どこかしら歪んでたりして、「この世にひとつもおなじものがありません」だったりしますよね。
ぬいぐるみとかでも、同じ工場でつくった同じ製品でも、目の位置とかツメモノのはいりかたとかで「びみょー」な差があって、なぜか自分にとって「よい」と思えるものを(どこがどう違うのか説明できなくても)つい「このコ」って選んだりしませんか? 
海洋堂製品ですら、「塗りのムラ」とか、色のビミョーな狂いのあるものの「ほう」をむしろ珍重したりしませんか?

水前寺先輩などの「キャラクター」は、「キャラクター」として完璧であるがゆえに、そういう「破綻」や「暴走」「偶然性」の魅力を放棄(あるいはできるだけ軽減、消去のほうこうに努力)されてしまっているように、わたしには見えました。

一章めのプールのところではほとんどそういうことを感じなかったのは……あのおはなしの中ではアサバくんだけが「キャラ」ではなかったから、なのかなぁ。
アサバくんには、とても「ナチュラル」にはいりこめたんですよね。計算してつくってできたキャラっぽくなくて。
わたしはその一章は、すごくすごくすごく好きでした。

“ライトノベル”読まずギライをしていたら、なんと意外にもすごいホンモノを読ませてもらえて、……知らないよその町でふと入った食堂でたまたま注文したらおおあたりの美味しいものに出会えた時のような、ものすごく嬉しい、トクした気持ちになりました。

ずっとあのテンション・雰囲気で続いて欲しかった、というのが正直な感想ですが、これは婆の勝手なナイモノネダリなのかな……。
でも、とにかく、すばらしい作品であることは間違いないです。
あと三冊もあるので、残りも大事に楽しみに読みますです。

あと、すみません、これはまったく我ながら古いタイプの感想だと思うんですが、イラストについて。
ちょっと辛かった(だから表紙と口絵と扉しかなくてほんとうにホッとした)。
かわいいんですけど……だからこそ。
着衣の上からおっぱいやヒップのかたちがあそこまでクッキリハッキリわかっちゃうのって、なんだかとってもヤだったです。ふつーのハダカ以上に、エロく感じました。婆とはいえ女のわたしからすると、自分が盗撮されたり視姦されたたりしたかのような怖さをオボエました。
服があんなふうになるには個人個人ごとにぴったりあわせた立体裁断で、しかも、特殊な繊維で静電気かなんかが大量発生してないとありえない。しかも彼女たちはパンツはいてないんですか、あんなにピッタリなのに、ぜんぜんその線が見えないというのは? まさか中学生女子が日常的にタンガ(うしろ部分がヒップの割れ目にくいこむかたちの小さいパンツ)はいてるんでしょうか? 
マンガっぽい絵にリアリティなんて求めるなよ! というあたりは、わかります、それをいうたらほとんどのマンガの目はデカすぎるし、鼻の穴はめだたなさすぎるし、首やウエストは細すぎる。しかしですね、
たとえば、男性のみなさま、バレエの男性ダンサーの股間のモッコリがことさら特別強調されてるのを、あなたさまは直視できますか? ゲイ傾向のおありのかたなら「もちろん♪ それが楽しみで!」っておっしゃるかもしれないですが……
日本の伝統エロスは隠喩的チラリズムであり、和服の単純平面にキリリと帯を締めてやわらかな肉体をムリやりおしこめたあたりにある(それはそれで一種の緊縛で、もしかしたらそっちのほうがよっぽどヘンタイなのかもしれないですが)……なんてーことを言い出すには、昨今の「ふつうの」女子高生のみなさんがあんなに短いスカートをおはきになったり、おヘソまるだしだったり、しゃがむとお尻の割れ目が見えるローライズのパンツなんてはいてたりなさるのからすると「……ふるい!」のひとことなんでしょうけども。

この婆の感想が、若い読者のかたがたに「そうか、だからおまえらの世代の書くものはオレたちには読めないんだなぁ」と逆の自覚をうながすことができるのなら、それでもいいな、と思いつつ。

8 名前 : イエロー 投稿日 : 2004年06月03日(木) 19時16分06秒
二度目の投稿です。

「マリア様が見てる」論、楽しく読ませていただきました。
それにしても、屈指の萌え系ノベルから、社会制度や組織のあり方のテーマを
取り出して言及しているあたり、世界観構築に巧みな冲方さんらしいと感じました。

いつか、対談か何かでネパールにおけるカースト制度を見聞きした体験について
触れてらっしゃいましたが、やはりそういったことも、冲方さんの着眼点に関係してらっ
しゃるのでしょうか?

個人的には、「マリア様が見てる」の異性の影がうすい世界観は、コミック「あずま
んが大王」などに通じるものがあると思います。これは異説かもしれないのですが、
「あずまんが大王」の特徴はスタンドバイミー風の友情劇を、女性キャラクターに
置換した構造ではないかと思います。それゆえに男性の支持と共感を得られやすかった
のでは、という読みです。

そういった流れを考えたとき、純粋な敬慕で成り立つ「マリ見て」の人間関係は、いわゆ
る体育会系部活での先輩・後輩関係の変形であり、それゆえに男性読者にもなじみやすい
のでは、と勝手に思っております。

>リクエスト
もし私的にここに挙げてよいのなら、思い切って石田衣良さんの「池袋ウエストゲートパーク」論
が読んでみたいです。いわゆるライトノベルの範疇ではないのかもしれませんが。
ともすれば尖がった面が印象付けられている作品ですが、エンターテイメント性の重視、
読みやすさと読後感、暴力と優しさ、人間関係が軸になったストーリーなどが、
ライトノベルに通じるものがあると思います。

9 名前 : Surreal 投稿日 : 2004年06月03日(木) 19時38分32秒

 本屋に行ったら目に入ってしまったのでカオスレギオンまとめ買い……マルドゥックが面白すぎたから、こりゃもーしょがないやぁってな感じで(爆)。

 こちらの方のスレッドに書かせていただくのは初めてになります……と言っても、全体でも2度目なワケですが。
 Surrealと申します。

 で、ですが。

> なんだかとってもヤだったです。ふつーのハダカ以上に、エロく感じました。

 ええと……ある意味、全く正しい種類の感想だとは、思います。
 ですがまあ、敢えて言いますと……

 ……お察し下さい(爆)。

 いやまあ、もともと絵師さんである駒都えーじ先生は“ぱんつはいてない”ことで有名だったりもするわけですが。
 同時にそれが……えと、一般枠のイリヤの空、UFOの夏 その4/イラスト枠/高空 昴 氏の評を参照していただくと、ちょうどこう言い表せてしまうわけでして(超爆)。

 まあ、なんといいますか。

「ふうーん……そういうの好きなんだ。男ってバカね……」くらいの冷たい目で見守っていただきたい。「うわ。なんか、最っ低……」などと、嫌悪もあらわな目で見られるのはとても辛い

 とまあ、そういう感じでひとつ(爆)。
 ……ダメ?


> 新城十馬(現:新城カズマ)氏の「蓬莱学園の初恋!」論を読んでみたいです。

 あ、これ私もリクエスト(笑)。
 冲方先生よろしくお願いしますって感じです。
 ……さすがに90年には乗り遅れたものの、91年以降未だこの学校に在校しているつもりの人間の私情っていうのもありますが、それでも“ライトノベルとされているもので、ただ一冊”と言われると、やっぱりコレ選んじゃいますんで(笑)。


10 名前 : くぼひでき 投稿日 : 2004年06月04日(金) 03時42分03秒
他スレッドからやってきました。
こちらでははじめまして、です。

わたしも
新城十馬さんの『蓬莱学園の初恋!』に関しての論を読んでみたいです。
ほんと、大好きなんです、これ。

ぜひぜひ!

11 名前 : くみにゃ 投稿日 : 2004年06月04日(金) 10時56分06秒
>……お察し下さい(爆)。

> いやまあ、もともと絵師さんである駒都えーじ先生は“ぱんつはいてない”ことで有名だったりもする

そ、そうだったんだぁ!(あわててイラスト評を読む)ほんとだ。
じゃあ、そこをツッコムのはバカみたいだったですねぇ。
すみません。

あと、ごめんなさい、用語かよくわからないのですが、「絵師」というのはどういう意味に捉えたらよろしいですか? マンガ家さんなどではなく、イラスト専業でいらっしゃった、ということ? あるいは、アニメの「キャラクター設定」担当でおられた、みたいなこと? ああもう知らないことばかり。

12 名前 : 海燕 投稿日 : 2004年06月04日(金) 15時11分11秒
>「イリヤ」

うまいですよね。それはもう文章技術そのものに感嘆してお話の内容なんてどうでもよくなってしまうくらい。大森望さんはなにかの書評でこの小説に満点の五つ星をつけています(ちなみに冲方さんの「マルドゥック・スクランブル」も五つ星)。ほんとにほんとにみごとなほどにうまいんですけど──でも、僕も久美さんと同じでなんとも言いがたい違和感を感じます。僕はまだ25歳ですが、僕の感じたことと久美さんの感じたことはたぶんほとんど同じことだと思う。

正直なところ、久美さんの書いたことを読んで「僕だけじゃなかったんだ」とホッとしているところもあります。まあ、でも、なんなんでしょうね、この「違和感」の正体は。「完璧だからダメ」なんて、ちょっとひどい言い草です。小説なんてうまければうまいほうが良いに決まっているんだし、作者の意図がすみずみまでいきとどいていることは当然責められることではない。でも、それでもやっぱりなにか違和感を感じる。欠点というほどではない。むしろ褒め称えるべきことなのかもしれない。しかしそれでも消せない「なにかが違う」という感触。

どういえばいいんだろう、これもひどい言い草であることはわかっているんだけれど、あざとさを感じさせるくらいならまだ救いがあると思うのです。あざといことをやってあざといと感じさせないような書き方をしているところにかえって違和感を感じてしまう。ディーン・クーンツあたりはよくこれみよがしのあざとさを非難されますが、でも僕はクーンツにはそういう違和感は感じないんです。あれほどあからさまに「愛と正義」を賛美してしまうのは、あれはやっぱりただ端に読者の反応を考えてのことというよりは、クーンツ個人の個性だろうと思うから。

ここらへん、非常に危険な話ではありまして、「ほんとにおまえに作者の考えていることがわかるのかよ」といわれれば、すいませんただ想像をたくましくしているだけですと謝るしかないんだけれど、でもやっぱりそういう印象を受ける。秋山さんの場合は、久美さんが指摘しておられる戯画的なキャラクターにしても、あきらかに「わざとやっている」んですよね。「それしか書けない」わけではない。そこらへんの、細部まで読者にあわせて緻密に計算しつくされた印象が、かえって「あー、凄いんだけど、凄いんだけどね」と背中をかきむしりたくなるような奇妙な違和感を生んでいるような気がする。

もちろんひょっとしたら秋山さんはただ筆の赴くままにこれを書いたのかもしれないし、執筆に際してはなんらかの内的な動機もあったんだろうけれど(それこそ綾波系の女の子の話を書きたいとか)、しかしあまりにも抑制が効いていて、紙面からそれが感じ取れない。僕の書き方じたいがいかにも非論理的で、隔靴掻痒の印象ですが、しかしそうとしかいいようがない。ほんとうにどういえばいいんだろう──おそらくは凡庸の小説がおよびもつかないような非常に高いレベルでの問題であるにはちがいないのですが。

かれの小説を読んでいると、いまはコメディやっているけれどこれもあとで悲劇に落とすための布石なんだろうなとか、ここでこのキャラを殺したのはラストを感動的に盛り上げるための伏線なんだろうなとか、いちいち作者の計算を邪推してしまうんですよね。久美さんはまだ最終巻まで読んでおられないそうなのでネタバレはしませんが、その技法が高度に洗練されているからこそ、細かいところまで手をぬかずに緻密に繊細に組み立てられているからこそ、期待はずれのものをつかまされる失望がないかわり、想像を乗り越えられるショックも少ないのではないか。これもたくさん読みすぎて感性がすれきった読者の意見にはちがいないんですけどね。

小説というものは壁に向かってバイクを走らせるチキン・レースにたとえられると思います。ほんとうに壁にぶちあたって破綻してしまえばその作品は失敗する。しかし、ぶつからないように勢いを抑えれば魅力がなくなる。秋山瑞人はつねに高速で駆け抜けてぴたりと壁の前に止まってみせる作家です。ただそれだけに「これじゃぶつかるかも」と思わせて、時々ほんとうにぶつかってしまうような作家の作品に存在するある種のスリルはないかもしれない。読者の側にどこかに「どうせ今回もうまく止まってみせるんだろ」という気持ちがあるから。

もちろん「当たって砕ける」ことは、ほんらいなら誉められたものではないんだろうけれど、しかしそうしたものはしばしば端正にうまくまとめられた作品より強い印象を残したりするものです。「絶対にぶつかったりしない」とわかっている作家の作品には、一種の予定調和的な印象が伴う。予想されたせつなさ、予想された哀しさ、予想されたさわやかさ、といった印象が。これがきわめてわがままな、身勝手な言い草であることは承知しています。しかし読者とは本来どこまでもわがままで自分勝手なものなので、僕はどうしてもそういうふうに考えることをやめることができません。

13 名前 : フジモリ@三軒茶屋 投稿日 : 2004年06月04日(金) 21時49分08秒
フジモリ@三軒茶屋です。

サンズイ、失礼いたしました>冲方様

さて、このままこのスレッドが「イリア」論になってよいのか、
ちと迷いましたが、くみにゃさま、海燕様の感じた「違和感」について、
フジモリなりの見解を書かせていただきます。

この物語は、三人称の視点を取りながらも、主人公である浅羽の「視点」
から描かれています。
その浅羽の視点から「世界」を見ているため、「世界」、そして登場人物が
「デフォルメ」されているのではないでしょうか。

水前寺センパイは浅羽の憧れの人、スーパーマンです。
スーパーマンは夏休みに外泊し続けて怒られることはないし、
あやしげな機器を買うために親に甘えてお小遣いをもらったり
陰で汗水たらしてアルバイトしたりすることはないわけです。
(少なくとも、浅羽からの「視点」では)

また、ヒロインでありアイドルであるイリアは、鼻血はたらすものの、
オナラをしたりウンコをしたりすることはないわけです。
(そのかわり、ある意味主人公にとって近い存在である幼なじみの方は
「かっこ悪い」描写があったりするわけで)

この物語は浅羽が見てる世界。
思春期の少年が見ている脚色された世界。

巻が進むにつれ、浅羽とイリア以外の人物描写が少なくなっていくことも、
いわゆる「恋は盲目、二人だけの世界」という浅羽の視点から物語を解釈すると
納得がいきます。

かつて浅羽みたいな意気地がない中学生時代を送ってきたフジモリは
浅羽に非常にシンクロしてしまうのですが(余談)、このデフォルメされた
キャラクターたちの中で、浅羽だけがリアルすぎるほどリアルです。
読者は浅羽の視点からこの脚色された「世界」を見て、浅羽に感情移入して、
そして、浅羽とイリアを待ち受ける運命を「共有」していくわけです。

登場人物にリアリティを持たせるために、水前寺が陰でバイトしてたり
イリアがオナラをして浅羽と苦笑いしあったりとかいった描写を入れることも
できたのでしょうが(それはそれで見たいかも)、
秋山さんはあえて浅羽以外のキャラクタを完璧に、くみにゃ様のお言葉をお借りすれば
「様式化」することで、読者がより浅羽に感情移入できるように誘導しているのではないでしょうか。

とはいうもののこれはフジモリが贔屓の引き倒しをもとに妄想で書いたものですので
的外れなものかもしれませんが、このような解釈があるのだな、と思っていただければ
幸いです。

長文、乱筆、失礼しました。

14 名前 : インプラ 投稿日 : 2004年06月04日(金) 22時05分22秒
割り込みで失礼しますが、
「イリヤ」について久美先生や海燕さんが仰っている事は、多かれ少なかれ大多数の読者が感じているもので、むしろそのムズムズ感がありながらも読むのをやめられないあたりがこの作品最大の魔力だという事に尽きるのではないでしょうか。
これはたぶん小説そのもので「作者本位の製作過程」を開示(表現)していることで、読者は読み手でしかなく、製作には手出し無用という明確な印象を与えていることによるものだと思います。
物語を全て見せられても、それが作者の所有物であるという頸木が外れず、読んだ者がみな訳知り顔で「ああ、イリヤね」とどこか屈折した喜びを分かちあう、そういう作品かと。


15 名前 : 玲朧月@似非絵師っぽい人 投稿日 : 2004年06月05日(土) 00時23分21秒
 まいじゃー推進委員会およびこのラノでイラスト描きの真似事をしている玲朧月と申します。
批評や感想などを文章にまとめられるほどの教養がありませんので、いままでROMオンリーでしたがちょいとお応えできそうな話題が出てきましたので…

>絵師
 ネット上では一種の敬称/尊称としてつけられているようです。
 いわゆる”萌え”絵を描くイラストレーターであること、
美少女ゲームやライトノベルなどの何らかのメディアにおいてキャラクターデザインをしたことがあり、かつそれが好評だったことが最低ラインのようです。
 ちなみに駒都えーじ氏は、もともとはガンダムなどのメカ系イラストレーターとして有名でした。そのあたりは氏のハイライトの使い方にいまだ名残があります。
初期の氏のキャラクター絵は、どちらかといえば綺麗な美人系でしたんですけどね。
そういえばいつから「はいてない」で有名になったんだろうか?

横レスで大変申し訳ないです。感想などはいずれまた…

16 名前 : ぎをらむ 投稿日 : 2004年06月05日(土) 02時24分23秒
「沖方さん」ではなく「冲方さん」だったのですね。
申し訳ありません。大変失礼いたしました。m(__)m

17 名前 : さかなや 投稿日 : 2004年06月05日(土) 11時17分20秒
 ごきげんよう。コラム楽しく読ませていただいてます。

 実は、あまりに深い考察に、少々圧倒されておりまして。……中途半端な感想を書くと、自分のバカさ加減がバレてしまうんじゃないかと(←もう手遅れ)

>イリヤ論
 個人的な意見ですが。
 外貌描写が少ないのは、単なる作者のシュミではなかろーか、と思います。
 いや、おっしゃる通りの効果が生まれてるのは確かだと思いますが、それはあくまで結果ではないかと。

>新城十馬(現:新城カズマ)氏の「蓬莱学園の初恋!」
 私も一票。
 あの時、あの学園は確かに実在したと思う一人として、ぜひ読んでみたいです。

>絵師
 いやだから、ライトノベルの文章書きも「戯作者」と呼びましょうと言ってるのに!

>「はいてない」で有名
 あ、そーいう意味だったんですか。ラインが出てない……なるほど。
 てっきり、角度的に見えるはずなのに見えないからだと思ってました(爆)

>日本の伝統エロスは隠喩的チラリズムであり、和服の単純平面にキリリと帯を締めてやわらかな肉体をムリやりおしこめたあたりにある
 激しく同意いたします。
 だからですね、ワタクシが常々主張しているように、和服エプロンをもっと広めるべきなんですっ!(←バカ)

18 名前 : くみにゃ 投稿日 : 2004年06月05日(土) 11時53分16秒
うにゃー、みなさまいろいろありがとうございますっ! 
熱く語らずにいられないものを持っておられるのですね、イリヤ。まだ二巻目の途中なんですけど(『残虐記』とか『ハチクロ6巻』とか『柳沢教授』とかにちょっとウワキもしてたりして)一巻めに比べると水前寺さんちょびっとだけ「ふつー」のひとになってたりするような気がしました。そんなはずないのに、なんだか自分がブツブツいったのに水前寺さんがパッと対応してしまったかのように見えてしまって、どーにもこれは何かの術にハマっているなと思いましたです。
それにしても海燕さま……に、にじゅご? な、な、なんてオトナなんだ。わたしにじゅごのころなんかきっぱりケツにタマゴのカラがついてましたです。絵師さまの独特ぴったりスカートでそれを描写された場合を(ありえないありえない)想像すると、とてもマヌケです。

えっと、みなさますみません、婆は明日からでかけて9日の夜になんないとかえりません。で、いま出かける前にやらなきゃならないことを大急ぎでやって、なんとか送ったとこ。他の板とかにもいろいろ書きたいこととかあるのですが、これは撤退あるいは敵前逃亡ではない、たんなる休暇だ! ご理解たまわらんことを。

19 名前 : くみにゃ 投稿日 : 2004年06月05日(土) 19時55分43秒
すみません、イリヤ、いま三巻の途中までなんですけど……フードファイトにやられました……! 爆笑しながら泣きました。どっちもなんていいこなんだ。カッコイイ。そしてあのお店のマスターも。

というわけで、なんだか一冊読んだだけの感想から思い切りズレてきそうです。さっき、猫の地球儀二冊を注文しました。とりあえず。わたしはあんまり軍事系がわからないほうなので、イリヤを読ませてみて、旦那さんが気にいったら、それより前からあったほうのなんかそれっぽい感じのほうも読んでみる、かもしれません。ちなみにうちの旦那さんは、きのう『スペースカウボーイ』を観て、笹本さんの、オンナのコのパイロットのやつなんだっけ、あれを読み返さなければー! と叫んだ、宇宙あんど軍事ヲタです。鷹匠なんですけど。

明日でかけるので、まだまだいろいろやってたりしたんですけど、そうこうする間にも遠足前のこども状態になってきてしまって、おちつかないです。みなさんのカキコミにちゃんとお返事かけなくてごめんなさい。ガキなんですわたし。婆なのに。
イリヤはおうちにおいていきたいので、朝までによみきれたとこまでで中断か……ううう、徹夜で読んじゃうか。あさっては朝早くおきなきゃならないのに!

20 名前 : 玲朧月 投稿日 : 2004年06月05日(土) 22時07分53秒
 なんとか感想を書こうとがんばってはいるのですが、自分の感じたことを文章にするのは大変です。
こういうときに感想文とかの修練を積めとと小学生の自分に小言を言いたい気分…。

>蓬莱学園の初恋
 そういえば、発売されて何年たつんだろう…
 これの論も読みたいですが、川上さんの都市シリーズについての論も読みたいですね。
これこそライトノベルの表現の裾野を広げた作品だと個人的に思っているんで。

>イリヤ論
 このスレッドの趣旨からは外れてしまうのであまり長くは書きませんが、
 わたし的には、あの小説の何が怖い/凄いと思うのかというと
秋山作品全般に感じますが、全ての物語の筋が最終局面に向けた伏線、いや読者が抱くであろう感情を誘導するように作られていることです。
 おそらく最終場面が最初に決まっていてそれを引き立てるためだけに日常が描かれていたのではないかと推測してしまうくらいに。
これを連載で、しかも予定通りに終わらせているのだとしたら背筋が寒くなります…

>はいてないで有名
 もともとはパンチラするはずの角度で描かれた絵において、下着の色を塗り忘れたまま掲載されたのが発端のようですが<調べた
ギャルゲーや美少女系ゲームの絵では下着のラインが描かれていることはもともと少ないです。
 この系統の絵は、もともと男の子の理想(妄想ともいう)で描かれているようなものですから、現実の法則はあえて適用していないのではないでしょうかね?
…男性にとって女性用下着の資料って探すの大変デスよ? 特に着用法なんてチョモランマよりも遠い存在デス。

>>日本の伝統エロスは隠喩的チラリズム
 同意。しかも実践中。具体的には木乃葉子ちゃん。
彼女は絶対にパンチラしません。しないったらしないの! 彼女はパンチラするくらいなら、はきま…<バキャ

21 名前 : くみにゃ 投稿日 : 2004年06月06日(日) 10時28分43秒
いよいよ遠足いってきまーす! なのに……ああやっぱり、全部読んじゃいました。イリヤ。でもって……

すごい! 傑作だ!!!
すごすぎる。
全部読んでからウブカタさんのコラムを読むと(最初にいちおー読んだんだけど、ザル頭の猫記憶なのでほぼ忘れていた)なるほどー、とすごくよくわかった。

玲朧月さまの、
>全ての物語の筋が最終局面に向けた伏線、いや読者が抱くであろう感情を誘導するように作られている
というご指摘も、
>連載で、しかも予定通りに終わらせているのだとしたら
も、まことにほんとにそのとおりです。

実作者として一番鳥肌がたったのは、ふりかえってみると、連載の一回分、前後篇のは二回分になりますが、ともあれ章のいっこいっこが「独立した作品としてちゃんと読める」ようになっていて、しかも通してみると合計が単なる足し算ではなく「起伏を含めて全体」になっているところでした。まるで、何楽章もある交響曲とか、オペラとかを通しでみせられたみたいだ。その全体に「夏休み」いう、ほぼ誰ものツボにはまるだろうキーワードが実に鋭く効いている。

なんでもっと有名じゃないんだろう?
何とはいいませんが、何百万部だか売れているというものより、アレのほうがおもしろいし、せつないし、こわだかに主張しないながらヒリヒリする痛みをともなって納得させられることが、ものすごく深くて普遍的だったりするのではないだろうか。

正直言って、すごくクヤシイ。ハギシリしてしまう。
わたしはイリヤを読む前に『最終兵器彼女』や『鋼鉄の少女たち』を読んでいたしエヴァもそれなりにわかってたつもりだったし『ビューティフルドリーマー』も好きだし、ロードムービーとかロードノベルの類も好きでいろいろ見てたし、フードファイトでは小林尊さまのファンだったし、『料理の鉄人』小説版を書いたのは昔からよーく知っている人間であったりもした(だからウラバナシを聞いている)し、タヒチにもオキナワにもいってことがあるし、猫も飼ってるし、拾ったし。なにより、わたしだって中学生だったことがある。ヒガミの目線でながめると、イリヤに出てくる個々の人物や、エピソードは「前から知ってた」ものにすごく近いし、「わかってた」と思う。だが、あんなすごいものはわたしにはかけなかった。

何を隠そう、3年以上前に第一稿をかきあげて、いま某社の編集さんにあずかってもらっている自分としてはすごく好きでなんとかしてこの世にだしたいと思っている原稿がまさに「夏休みもの」だったりするのだ(もちろんイリヤは一行たりとも読んでないで書いている)。主人公が女子で小学校四年生で、舞台はどいなかの海だ。
だが、その未発表原稿は、とうていイリヤにかなわない。あそこまでキッチリ感動的にできてなどいないし、あんなに多くのひとにむけて間口を開いていない。なんであちこちの編集さんの間をタライマワシになってきたか、納得できてしまう。

完敗である。

でも、ほんとすごい。
なにがすごいって、たったひと夏(根がトーホグの人間にとって、純粋に夏といえる夏は短いものだが、とりあえず、あれはぜんぶ広義の夏でしょう)のことを、四冊もかけて、じっくりゆっくりかきながら、ぜんぜん退屈させないのがすごい。
執筆にかかった年月に比して、抽出された時間が短い。構想のほうはおしかはるしかないが……
だからあそこまで濃密なのではないかと思う。
最初あー思ったイラストすら、四冊も読むころにはすっかり慣れて、違和感なく眺めることができるようになってしまった。映画のポスターを模したあの口絵はどなたのアイディアなんですかね? すごいです。夏休みはまた東映まんが祭りの夏でも(ふるくてすみません)あるんですね。

連載を支援しつづけた読者のかたがたも偉いと思うし、編集部もえらいと思う。
とりあえず、これから、こーゆーの好きそうなともだちにススメマクリます。
イリヤに完敗。
で、乾杯!

ああ、いいものが読めてよかった。












22 名前 : 海燕 投稿日 : 2004年06月06日(日) 14時01分42秒
>笹本さんの、オンナのコのパイロットのやつなんだっけ

「星のパイロット」でしょうか。なんか僕、「知っているのに思い出せない作者や作品の名前を出すひと」みたいになっていますけど(笑)。「ブルー・プラネット」の続きはもうないのかな。僕はマリオとスーの天才カップルが好きだったんだけれど。

>その浅羽の視点から「世界」を見ているため、「世界」、そして登場人物が「デフォルメ」されているのではないでしょうか。

うん、それもわかるんですよ。しかも秋山さんはところどころでさりげなく「この浅羽の視点とは違う過酷な現実が裏にはあるんだよ」と示唆している。まったく可愛げがないくら巧みなストーリーテラーぶりです。この話は端的にいえば浅羽の抱えているそういう幻想がぶち壊される話なんですよね。浅羽は基本的に未熟で幼稚でなにもわかっていなくて、大人たちが抱える苦しみや哀しみを知りもしないで身勝手にかれらを責める。でも最終的にはかれはなにも救えない。

少年の未熟な正義感は大人の非情な現実に敗れ、そしてひとりの少女の切なくも哀しい思い出だけを残して「夏休み」は終わり、少年は自分の力ではどうしようもない大人の社会の現実を知ってすこし大人になりました、という──まあ、ありがちといえばありがちな話を、秋山瑞人は超絶的な技巧で描き出している。ほんと、話の骨格そのものは実にありふれた「難病もの」なんですよね。「Kanon」あたりと大差ない。ただそれにあわせて世界を創り、人物を描き出し、何万枚ものドミノを並べるように真摯に誠実に物語を綴っていって、最後にはそれを突き崩す、そのプロセスが圧倒的に巧妙なだけ。

秋山瑞人とはありふれたボーイ・ミーツ・ガールの物語を描くために世界をひとつ作り上げてしまうおそるべき作家なのです。久美さんがひかえめに仰っておられるように、お話の基本構造は300万部売れたというあの「世界の中心で、愛を叫ぶ」とほとんど同じなんだけれど、技巧的には秋山さんのほうがずっとうまい。これ自体が「純文学」が「ライトノベル」に優るとはかぎらないというひとつのみごとな証明です。いいぞ、秋山瑞人、もっとやれ。しかしまた、ご存知のとおり難病ものの結末はひとつしかありません。

作者の名前と題名と目次を見ただけで夏休みで初恋でノスタルジーな話なんだろうということは想像がつきますから、なおさらひとつしか結末は考えられない。そのうえで浅羽の未熟な行動や言動を逐一描写されると「ほらほら、浅羽はこんなに世の中のことわかっていないよ」「ただの未熟なガキで自分だけ苦しんでいるように思っているよ」と言われているようで、なんとなくやりきれない気分になる。冲方さんは「だが『UFOの夏』では主人公が何をしてくれるのかおよそ予想がつかない。」と描いておられますが、これは逆にいえば「何もしてくれなそうなことが予想がつく」ということなのではないか。

それが冲方さんが言う「無力の予感」にとどまっているなら良いんだけれど、僕には「無力の確信」に思えて仕方がなかった。だから少年の牙が大人たちの咽喉もとを食い破ることは決してないだろう、と思いながら読みすすめていくことはすこし辛かった。だって未熟なガキの論理が最後には通ってそれでおしまいなんて話、秋山瑞人ともあろう者が書くわけがない。冲方さんは「むろん、読者も、期待する。」と書いておられますが、僕はほとんど期待しなかった。期待したところで裏切られることがあまりにもあからさまにわかりきっているように思えたから。

オタクのあいだで熱狂的な支持者をもつ「Kanon」というゲームは、わけのわからない「奇跡」で「難病」を救ってしまいます。しかし秋山瑞人はこんなご都合主義の陳腐な結末を決して選ばないでしょう。だからこそ、僕は浅羽にはなにも期待できなかった。また玲朧月さんが述べておられるように秋山さんの小説は、「全ての物語の筋が最終局面に向けた伏線、いや読者が抱くであろう感情を誘導」するようにつくられている。かれの作品には、大オーケストラを指さきの動きだけで自在に操る天才指揮者のような怜悧で透徹した計算を感じる。

決してその場の感情や勢いで書かれていない、なにげないあたりまえの日常のひとコマと見える風景まで全体に奉仕するべく綿密に位置付けられているにちがいないと確信をもてるほどに。ただ、そうだからこそ僕はどうしても久美さんが言う「メタレベルの読み」で先の展開を予想してしまう誘惑にあらがえなかった。きわめて優れたエンターテイナーであり、ただ文字の羅列だけで読者の心理を自在に操る言葉の魔術師であるがゆえに、秋山瑞人は「やってはいけないこと」を決してやらない。

それをすれば読後感をひどく悪くするようなこと、全体の印象を濁らせるようなこと、構成を崩し読者に退屈を感じさせるようなこと、それをしない。だからこそ読者はそれらのタブーをあらかじめ排除して物語の過程を予想することができてしまう。そこには、やはり一種の「馴れ合い」があるのではないか、と思う。つまり「メタレベルの読み」さえも外す工夫が欲しいということなのですが。もっとも、そういった「読み」をするのは、やはり擦れきった読者にちがいないわけで、そういった純真さを失った人間の裏をかくことばかり考えていると、物語の慣性は鈍ってしまうのかもしれない。

でも、秋山さんにはそこまでのものを望みたい。贅沢な注文ですね。ほんとうにわがままな、あまりに巨大な注文だとおもいます。「完璧」では足りない、「完璧以上」を、と望んでいるのですから。しかし、熟練した万能のサーヴィスマンに対してこそ、客は遠慮なくわがままになり、さまざまな要求をつきつけるもの。「イリヤ」ですらさらなる進化の過程における産物に過ぎなかったのだ、と思い知らされるようなあたらしい傑作を望みたいものです。ほんとうのお楽しみはまだまだこれから。ねえ、そうでしょう?

23 名前 : さかなや 投稿日 : 2004年06月06日(日) 18時08分38秒
 ごきげんよう。

>なんでもっと有名じゃないんだろう
 秋山瑞人さんは充分有名だと思っていたのですが…… もしEGファイナルが出るなんていったら祭必至ですし。
 そっかー,世間一般的にはあの程度はまだまだ有名じゃないのか。

>星のパイロット
 彗星狩りが一番好き。というか,あれ以降はあんまし宇宙開発のお話っぽくなくて寂しいです。

 という訳で,笹本祐一先生の「エリアル」などをリクエストしてみます。
 完結記念ってことで,ひとつよろしくお願いしたいです。

>女性用下着の資料
 うーん,知り合いの絵師さんは通販のカタログ使ってるって言ってましたが,着用法となると,ねえ……
 女性に訊くか,実際にやってもらうかしかないんでしょうね,やっぱ。
 とはいえ,あんまり特殊なのだとそれもできないし。……エマ4巻でコルセット着けてるシーンがあって,足蹴にして紐締めてるのにはぶったまげました(笑) 大雑把な構造くらいは知ってたのですが,まさかああやって着けるとは。

 あと,ネット上で公開されてる日記なんかにも結構生々しいこと書いてあって色々と参考になるっす。

>しかも実践中。具体的には木乃葉子ちゃん。
 ええと……バレンタインのアレは……?

 以上,スレ違いの話題&乱文にて失礼しました。

24 名前 : Surreal 投稿日 : 2004年06月06日(日) 22時07分27秒
> オタクのあいだで熱狂的な支持者をもつ「Kanon」というゲームは、わけのわからない「奇跡」で「難病」を救ってしまいます

 完全な話題違いですがアレはアレで好きなので、一応勝手に私見を。

 私はKanonの方法論とメインモチーフは御伽話だと思ってます。
 ざっとみて“3つの願い”“自分二人”“動物恩報譚”といった辺り。
 御伽話の「昔々あるところ」を「今の、冬の街」に翻案してエロゲー化した、という話なのではないかと。

 それらに関連する奇跡の存在は説明を排しており、現実感がない、ご都合主義、不条理という意見はいちいちもっとも。
 が、要するにそれらは一寸法師が一寸の小人であり、打ち出の小槌を振って大きくなってめでたしめでたし……と、それとある意味同質な出来事であり物語なわけです。
 それに対して「一寸法師なんているわけない、打ち出の小槌なんて有り得ない」と切って捨ててしまうのはどうなのかな、と。

 そして同時に、御伽話に語られる以上に都合がいい存在として奇跡が語られることも、また無い辺りがKanonが守ったルールなのではないかな、とも。この辺り上手いこと言えないんですが、別のルールで動いているモノではないかと思えるので、他と比較してだからダメ的に読み取れかねない引き合いの出し方は微妙じゃないかなって思います。

 ……まあ、熱狂的と言えるまでに支持しているかはともかく、自分が一介のオタクであることは、敢えて否定しませんが。


 ちなみに、同チームがTactics在籍当時に制作した事実上の前作であるONE〜輝く季節へ〜も、同様に御伽話……妖精の国にさらわれていつまでも子どものままで過ごす、とかそういう系統の話をモチーフにしてるのでは、とも。


25 名前 : poti 投稿日 : 2004年06月07日(月) 00時13分03秒
いわゆる瑞っ子の私から書き込みをば。
秋山氏は職人だと思う。
むか〜し、むか〜し、作家になれたらいいなあと思ったときに神林氏の作品を読んで挫折したことがある。
「絶対俺にはかけない。かつ、俺はこの作品が好きだ。そしてこの文章しかこの続きにはくっつかない」
そして、神林氏の作品はどんどんしんぽしていく。いちげんさんお断りの世界に。

だから、いわゆる「SFの大御所」的存在にはなっているが(いわゆるSFと厳密にはちがうし、神林は
神林いがいではないとおもうが)実際の売上や収入、知名度は知るひとぞしる、また近作になればなるほど
他の人にお勧めできないというかたちになっている。いわゆる芸術肌だといえるとおもう。


しかし、秋山氏は絶妙な位置にいると瑞っ子の私は思うし、まただからこそ応援する。
ありきたりのガシェットと抑制された文章で安定した話をつむぎだす。
お約束の萌えなど世間的に現在求められている材料でスレタ読者をも打ち負かす

連載中も読んでた私は落とされるのはわかっていた。でどうやって落とすのか
毎回どきどきもんだった。

初心者からスレタもんまで楽しめさせる間口の広さに「ああ、職人だな
このひとは」とかんじるのです。

26 名前 : 海燕 投稿日 : 2004年06月07日(月) 05時52分14秒
>「Kanon」

いや、僕も「Kanon」大好きなオタクなんですけどね。でもまあ贔屓目抜きで見るとやっぱりあれは破綻していると認めざるをえない。あれも「イリヤ」と同傾向のユーザーの感情をコントロールしようとする作品(「感動系」)だと思うのですが、そしてそれは一部ユーザーに激烈な効果をあげているのですが、しかし物語だけを取り出せば、すでに各所で指摘されているとおり、やっぱりめちゃくちゃでしょう。冬なのに外でアイスクリームなんて食べていないで病院でおとなしくしていれば手術の成功率はもっと高くなったと思うな。

それでも僕はこの作品は名作だと思う。初めてプレイしたときは茫然としましたから。これはなんだ? 僕はいったいなにを体験しているのだ? 息を呑むようなセンス・オブ・ワンダー。「Kanon」にはたしかに「穴」がたくさんある。「AIR」にはもっとある。しかしそれは製作者サイドがそれに気付かなかったというよりは、物語的整合性よりも「イメージ」や「雰囲気」を優先したということなのだと思う。結果的に「Kanon」にはたしかにわけがわからないくらい静謐なアトモスフィアが生まれている。

熱心なファンは作中にあふれる抽象的なイメージや意味ありげな言葉を「解釈」することによって、あたかもシャーロック・ホームズものの矛盾点を解決しようとするシャーロッキアンのように、その「穴」を埋めようとする。しかし、僕はそれはあまり意味がないと思う。「Kanon」は穴だらけである。そしてよくできたおもしろい作品である。それでいいじゃないですか。「穴」はないけれど平凡で退屈な作品よりよほどいい。「Kanon」や「AIR」などは僕の定義では「壁にぶちあたって砕けた作品」なんです。「新世紀エヴァンゲリオン」なんかもそう。

決してシナリオワークの教科書には載せられない、穴だらけの、ユーザーによっては激怒しかねないような、しかしだからこそ野蛮な魅力にあふれている傑作。でも秋山瑞人は「夏休み」という「雰囲気」を最大限に演出するのと同時にそういった「穴」まできちんと塞いでいます。同職のプロの作家でさえ手放しで絶賛するほどの芸術的な「職人芸」です。「100点満点」の作品といっていいかもしれない。でも小説には(漫画やゲームや絵画や音楽もそうですけど)「120点」があるんですね。言葉では捉えきれない理屈を超えたおもしろさ。ただしそれはほんとに奇跡のようなもので、天才の直感によって到達するよりほかなく、「方法論」ではとどかない領域なのかもしれません。

27 名前 : poti 投稿日 : 2004年06月07日(月) 20時26分03秒
>kanon
まあ、AIRをやったあとにやったので期待より下に感じたものですが、あれの一番の痛いところというのは
3人のうち一人を選ぶと選ばれなかったものが奇跡によって救われないというところですね。物語の外にいるものだけが知りうる救われなかった者がいるという物語。分岐と多数えんどを逆手にとったてんがすくですね。
120点>これは思考の放棄もしくは採点法がおかしいとおもうわけですよ。
人の好みがあるのでそのひとの採点は良いと思いますがそれなら、100点ではなかっただけの話だと思うのです。

エヴァ、カノン、エアの海燕さんの誉めている点は「物語の隙間」であり、それと構造上の矛盾であるところ
の「穴」を同一にして未完成ならではの荒削りでしかない魅力があるという結論が出るのは無茶でしょう。

イリヤの完成度が高く感じられるのは逆をいえばこの手の話がどれもきれいにまと待っていなかったことの逆
説にしか思えないというのは暴論でしょうか。

イリヤはなんだかんだいって矛盾はあります。
「ただ一度で終わる最後の決戦」なんてありえないものでしょ?

私には海燕さんが秋山氏の「冷めた諦観」が気になるのと、他の秋山氏の作品を読んで「またこのパターンだ」と思い点が辛くなったというようにみえます。

ですがイリヤ以前は秋山氏の作品は初版で全ておわっており、知るひとぞ知る作家に過ぎなかったことを忘れています。
私はイリヤの窓口をひろくしたにもかかわらず、以前の読者も楽しみうる作品に仕上げた点に安心したものなのです。

なにより、気に入った作家がどんどん消えていくマイナー好みとしては

乱文、個人攻撃に取られかねないひどい文章はお許しください









28 名前 : 海燕 投稿日 : 2004年06月08日(火) 05時46分36秒
>Keyとか

僕はかならずしもそういうふうには考えないんだけれど、Keyについては永遠に話し終わらないし、どうせ既にネットで何百回何千回と繰り返された話のリピートになるので、この件についての僕の意見はここらへんでやめておこうと思います。いくらなんでもライトノベルとなんの関係もないし、そもそもKeyとエヴァについての議論は終わりを知らないのです。たぶんこれからもずっと賛否取り混ぜて語られつづけるでしょうし、そういう作品を生み出しえたということだけでもスタッフは賞賛されていい。すくなくとも話題にのぼるあいだは、その作品は「消費」されきらずひとの心のなかに残っているということなのですから。ま、こういうふうに考えるひともいますよ、ってことで。

29 名前 : poti 投稿日 : 2004年06月08日(火) 19時41分00秒
追記。痛いところというのは「心に痛くて」良い描写として誉めるつもりの意図で書いたつもりだったのですが、読み直すとぜんぜんそう読めないので書いときます。申し訳ない


30 名前 : 斑猫 投稿日 : 2004年06月08日(火) 20時59分44秒
スレッドの流れとは少し外れた書き込みで、失礼します…。

■冲方丁「『第六大陸』論」を受けて

冲方丁「『第六大陸』論」を読み、考えるところがあり、水野良『ロードス島戦記』に関するコラムを投稿させて頂きました、斑猫と申します。
「『第六大陸』論」への感想、あるいはおこがましいことを言えば、補足としてでも読んで頂けると、幸いです。
ただ、掲載して頂いたものが投稿したファイルのミスで、改行ズレなどがあることと、致命的な誤字一つの修正等があったので、宜しければ、下のURLにアップしたものをみてやって下さい…
(この修正版も管理者の方に再投稿させて頂いています)。
http://idaten.net/jn/madaraneko.html
(ただ、これは最初と最後以外はほぼ、大体4年くらい前に書いて自分のサイトに掲載していた「ロードス島戦記」論をそのまま引っ張ってきたものだったりします。すいません。)


あと、もしリクエストしていいなら、冲方先生には『十二国記』について書いて頂けたら、と思います。
「「これからのライトノベル」を「今の作品」から」ということなら、是非、やって頂きたいと思うのですが、どうでしょうか…?

それと、「ライトノベル」という括りを離れて言えば、いつか---ホームページででも雑誌ででも---本格的に宮沢賢治について書いてもらえたら凄く面白いだろうなぁ、と思うのですが…ここで書くようなことでもないですね、はい。


■『イリヤの空、UFOの夏』

それと、スレの流れに沿って、『イリヤの空、UFOの夏』について、少し。

(1)《十八時四十七分三十二秒》

この作品の白眉は二巻「十八時四十七分三十二秒」ラストのマイム・マイムの場面であり、これについてはもう、何も言うべきことなどなく、ただ読めばいいというものだと思います。

ただ、あえていうならば「全てはラストのために」という意見が出ていますが、「それは違う」と思います。
この物語のラストは「ああなるべきだからなった」ものだと思います。そして、なぜ「ああなるべき」だったのかと言えば、それは、そうした形で終わらなけば、《十八時四十七分三十二秒》が永遠の一瞬にならないから。
「全てはラストのため」ではなく、この物語の全ては、《十八時四十七分三十二秒》という瞬間のために存在しているではないでしょうか。


(2)『イリヤの空、UFOの夏』と天藤真『遠きに目ありて』
   「無銭飲食列伝」と坂口安吾『火』

そして、『イリヤ』の名場面の次点に挙げられるのは、やはり三巻、「無銭飲食列伝」の大食い勝負でしょう。これも普通では説明などつけようのないところで、この場面についてあえてくだらない解説だの考察だのをつけようという勇気を持つのは実に難しいことです。
…そういうわけで、ずるいやり方ですが、それを読んで連想した作品を挙げることで、感想に代えさせて頂こうと思います。

当たり前の話ですみませんが、これを読んで改めて、「「極めてシリアスな主題にしっかりとユーモアを交え読者を笑わせることができる作家」「モノを《食べる》ことをうまく描ける作家」というのは、ほぼ例外なく、優れた作家といえるのだろうな」と思わされました。

まず、シリアスとユーモアについて。
これが出来る作家が優れているという理由は単純です。文章で《泣かせる》ことの数倍も《笑わせる》ことは難しく、《笑わせ、かつ、泣かせる》ことは、更にその幾層倍も難しいからです。

ここで、「『イリヤ』は難病ものの変形」という作者の言葉も交えて連想するならば、天藤真『遠きに目ありて』などは、シリアスとユーモアを併せ持つ作品の頂点に位置するものだと思えます。
そして、もし、『イリヤの空、UFOの夏』に足りないもの、あるいは足りすぎているものがあるとするならば、それは『遠きに目ありて』の中に見い出せるように思います。

…ここでそれを言うのは本当に蛇足なのですが、あえて言うならば、それはまず何より、「もう動かしようの無い《過去》に向かう《ノスタルジー》と、《今》と対峙する《意志》との違い」であり、そして、「浅羽がまだ自らの《役割》を認識できない年齢の少年であることと、真名部警部が果たすべき《役割》(そして、果たしてはいけない《役割》)を自覚できる大人であるという違い」です。

---もっとも、大人なら誰しも《余儀ないこと》を経験するというのならば、少年少女は誰しもいずれ《どうにもならないこと》にぶつかる筈であり、『イリヤ』を少年少女が読む時、彼らは彼らがいずれ未来に抱えるノスタルジーの影を知らず知らずに観ることになるのだとすると、それはやはり、「足りない」「足りすぎている」というのではなくて、「違う」というべきなのかもしれません。


次に、《食べる》ことの描写について。
「無銭飲食列伝」を読んで真っ先に思い浮かんだのは、坂口安吾の未完の長編『火』第一部第一章その一「スキヤキから一つの歴史がはじまる」でした(『坂口安吾全集〈6)』ちくま文庫に収録)。
それは"主人公がいかに規格ハズレの器を持った人間であるか"の描写から始まる物語なんですが、その大きさと魅力を"スキヤキを食べる"様子を描くことで描き出すという、凄まじい作品です。
当然ながら、その異様な文章の圧力は、びっくりするくらい説明不能なもの。
もしも、「『イリヤの空、UFOの夏』論」を書いた冲方先生に読み比べて頂いて、感想を聞けたなら、凄く面白いだろうと思います。
(…あとは、阿刀田高「わたし食べる人」とか、アミルスタン羊な話も幾つか思い浮かびましたが、そっちは単なる脱線なんで、関係ないですね、、、)

ちなみに、ここに関しては、個人的にはどっちもそれぞれ大好きな話で、"どちらが上"なんて話は頭に浮かびませんでした。
『イリヤ』ならば、自衛官と在日米軍の応援・罵倒合戦のところなんて、たまらなく好きです。
「いい"間"の入れ方だなぁ」などとくだらない分析をするよりなにより、ただもう、楽しく読める場面でした。
なお、例によって蛇足ですが、「違い」としては『火』ではその《食事》は、これから歴史を揺るがす大地震の震源が発する《予兆》なのに対して、『イリヤ』では《ほんの一時だけ訪れた、日常という夢》であるわけです。


…さて、何だか中途半端ですが、あんまりにも長くなり過ぎてしまったので、こんなところで。
長文、失礼しました。

31 名前 : Surreal 投稿日 : 2004年06月08日(火) 21時50分36秒
>海燕さん
 ええと、これならまあだいたい言いたいことは実は大差なかったかな〜、という気はします。
 まあ、なんにせよ私はアレを「ああ、ヘンに現代っぽいからここがおかしいあそこがおかしいって気になるけど、要は御伽話の翻案なんだ。そう考えると結構あっちこっちの表現はまるし、そう思って読めばあんましヘンだヘンだって気にするもんでもないなー」と思って読んだわけです。
 それで充分面白かったし。
 取りあえず28に同意して、私からもこれで切り上げときます。

> 「解釈」することによって、その「穴」を埋めようとする。

 で、Kanon、AIR、あるいはエヴァに限らず。

 作品解釈ってーのはこれはこれで楽しい遊びです。あら探しもね(苦笑)。
 ただ、自己解釈の絶対視と解釈の押しつけが横行しがちだという苦さがあるので、あんま強硬な人とは全力で距離置きたいかなって部分はあります(苦笑)。
 それこそAIR辺りは「ヒロインには生きて幸せになって欲しい」的な理解は的外れ、とか言い切る論調も結構あって、個人レベルの感想で「こんな悲しい結末は可哀想だ」言ってる人相手にまでいちいち出張って、自分が書いたわけでもなかろうに「シナリオライター氏のメッセージは伝わってなかったのだな」とか言っちゃう人までいたりもしましたし。
 ……私から見たら、そんな試験問題の“作者の心情を答えよ”みたいな読み方してる人よりも、悲劇の登場人物に対して可哀想だって感じる人の方がよっぽどまともな感性してる気がするけど。

 その逆方向、考えもせずに全面肯定してしまう“信者”(結構いたんだ、これが……信者の存在ウザさに否定してった人も結構いた気もする)には、絶対になりたくなかったし。

 まーなんにせよ、良い作品っていうのは、批判されない作品でなくて、批判を受けてもなお捨てきれない部分、拾い上げる価値ある部分がある作品のことだと思うんですけどねぇ。
 あや? そうすると、完璧すぎる作品はやっぱだめ?(爆)


 それと、いくつか忘れ物を。

>絵師

 玲朧月さんからはお話があったようですが、私はそれほど深く考えず、イラストレータの言い換えとして使っておりました。
 それほど悪い印象を与える言葉でもないですし、使いやすいので使ってますってことで。
 「私は“絵師”なんて呼ばれ方、我慢ならない」って人もやっぱり居るのかもしれないけど。

> 駒都えーじ氏は、もともとはガンダムなどのメカ系イラストレーターとして有名

 アナハイム・ジャーナルとかガンダムエースの小説挿絵なんかもやってましたね。
 イリヤの挿絵とかから想像すると、いやもう全然違う絵で面白かったり。

>蓬莱学園の初恋

 91年の9月に出てますね。
 そしておよそ13年を経て、〜初恋!で提示された課題には少しずつ石を積み重ねたものの、未だに朝比奈彼女の名前は不明……(超爆)。


> 「前から知ってた」ものにすごく近いし、「わかってた」と思う

 本当に「ああ!」と思わせられることほど、言われてみればその通りな事だったりするんじゃないかなって気もします。
 何か自分の脳内でモヤモヤしてたもんが、言葉として言い表された瞬間の感覚っていうか。目から鱗が落ちると同時に「何で私ゃそのことをそう言えなかったんだー!?」ってのたうち回るというか。
 だから、やっぱりそれを言葉にしてしまった人は凄いわけで。

 まいじゃー推進委員会の名台詞集とかでも思ったことですが、読んであっと思った名台詞って「当たり前のことを一言でズバっと言い表した言葉」がやっぱり多いと思います。

 って、派生の話をするのは楽しいわけですが、感想スレッドのはずの場所でこう長々やってていいのか、というのは確かに微妙ですね……。


> スレッドの流れとは少し外れた書き込みで、

 いえ、その、そっちの方が本道……(そそくさ)


32 名前 : poti 投稿日 : 2004年06月09日(水) 00時04分53秒
すいません、本道外して。

で、少々問題発言をば。
ウブカタ先生のマルドゥックはライトノベルではないと。

早川レーベルだから出せた作品だし、他作品に比べ完成度は高いけれども
電撃とか富士見などの大賞が取れる作品ではない。
でもSF大賞はとれる。で、その差は何かというなら敷居の高さではないかと

個人的な趣味で言えば電撃大賞とかの作品よりぜんぜん好きだがある程度の趣味と諧謔とを
備えた人でなければ星雲賞や、日本SF大賞の作品を薦めることができない。

いわゆる「濃い」ってやつです。(どちらが上って言う意味ではないですよ)


で、当然レーベルにあわせて作品を作家さんは書くわけです。

だから採点するならまず自分の立ち位置を示してからしか採点はできないし、
また、作家の妥協していることも考慮にいれなければ作家の能力なども推し量れないわけです

そしてどちらを書いた方が作家が儲かるかという事実も踏まえ、かつ、書きつづけられる環境を整え、妥協と、欲望の狭間に立ちつつ書いてるものだと私は邪知しています

で、私の趣味はマイナーなので気に入った作家が妥協できずにそのまま消えていく事がままあるわけで

で、ウブカタ先生は早川、富士見、ファミ通と書き分けているので一安心。もう、消えずにすみそうだと安心しています。


で、ライトノベルはガシェットがありふれたものであり、かつ読みやすい
文章であるならばかなり自由が許された50年代のアメリカSFペーパーブックのような
存在であると私はとらえています。
だから、第2のデックやヴォガネットを期待しつつ(デイプトリーやアシモフ、ハインラインは私の好みでないのでw)
ライトノベルを今日も私は漁るのです

33 名前 : くみにゃ 投稿日 : 2004年06月22日(火) 12時38分03秒
こどもの発見、とか。

http://www.tabiken.com/history/doc/S/S294C100.HTM

他にもいろいろあるかもしれないけどとりあえず検索してみたらここにはわりとマトメてかいてあったので。


34 名前 : くみにゃ 投稿日 : 2004年06月22日(火) 12時38分40秒
うわ、ごめんなさいー! スレ違いですー! 検索して戻ってくる先をまちがいました。

35 名前 : 東雲長閑 投稿日 : 2004年06月24日(木) 13時02分12秒
久美様

遅ればせながら『イリヤ』の感想拝見しました。
久美様の熱い思いがビシバシ伝わってきて、自分が読んだ時の興奮が呼び起こされ感動しました。
創世記第16回の酒井様との熱い交歓を読んだ時も思ったのですが、
やはり思いの齟齬があった相手と分かり合うということは心を打つものですね。

36 名前 : みつ 投稿日 : 2005年01月08日(土) 03時38分13秒
なんだか時期遅れのような気もしないでもないですが、
作家先生がたのコラムを読ませていただいて、
やはりプロは心意気が違うなととても感心しました。
特に冲方先生のコラムは分析的というか、
視点のさきがユニークで素敵でした。
ところで、論中にあったトリックスターという言葉から邪推して、
なんとなく山口昌男あたりの影響を思い浮かべたのですが、
先生の小説の文体から考えると、
やはりああいう方向に手を出す必要もあるのですよね。
HPの小説論を見させていただいた限り、
若いうちから巨視的な目論見で小説を書いていたのだな、
というような印象をうけたのですが、
先生の小説にある異様な歯ごたえは、
そこらへんのところから来ているのかもしれませんね。
ファンとしてとても興味深いです。
自分の文体の構造を公にするのにおおらかなのも、
冲方先生が小説に対して前向きだからなのでしょう。
冲方先生は小説の可能性についていろいろとたくらんでいるのですね。
とはいえ若いうちから頑張りすぎて、
自分が沈んでしまわないようにお体にいろいろと気をつけて、
がんばってください。応援しています。

37 名前 : はや 投稿日 : 2005年02月19日(土) 02時02分12秒
この掲示板で今更、という気がしなくもないのですが、つい最近
イリヤの空を読み、つい先程冲方氏のイリヤ論を読んで思ったことを
書き込ませていただきます。

一言で言うと、冲方氏のイリヤ論は綺麗事ではないか、と思います。
果たして伊里野の戦いをノスタルジーで済ませていいものでしょうか。
言い換えれば、戦争の問題をあまりに軽視しすぎてはいないか、ということです。

この作品では、園原が属する勢力と「北」という謎の人間勢力、そして恐らくは
宇宙から襲来する謎の生物との戦いが描かれています。
ですがこれらに関して詳しい説明はありません。わずかに人間同士の争いに
ついては榎本の口から概略が述べられましたが、それとて人類の協調に対する
彼のなげやりな諦念と共にあっさり語られているにすぎません。
突如異質なものが闖入してきたときや、突如危機的な災難が襲ってきた時に
いかなる対処をするのか、その際人と人がいかに関わろうとするのか、そういった
試みは最初から放棄されているのです。
この作品の中ではその解決策は、伊里野たち少年少女を人身御供として差し出す
ことに他なりません。ですがそれは榎本の言うように、他の道は
「あったのかもしれん。だが、それを模索している時間はなかった」のでしょう。
この作品の中の世界にとって、それはもう揺るがせない事実です。ですから
主人公や作戦関係者が無力であるのはやむをえないことでしょう。
ですが、すべてが終わった後、浅羽がすべきことは、一夏の経験を「終わらせ」
ノスタルジーに化することでしょうか。私はそうではないと思います。
そうではなく、浅羽が抱いた思い「伊里野ひとりがすべてを背負わなければ
ならない理不尽が、どこからどのようにもたらされたのかを知りたかった」
この「知りたい」思いをさらに突き詰めることでしょう。どうすれば伊里野が
救われたか、どうすれば人類は共同できたか、どうすれば「敵」とコミュニケート
できたか……とにかく、終わらせてはならないはずです。終わらせてしまえば、
浅羽は伊里野の理不尽な死をそのまま肯定してしまうことになるのですから。
この夏を過ぎ去ったものにしてしまえば、浅羽は伊里野を供儀に捧げて存続する
世界に積極的に荷担することになります。誰かをどうしても犠牲にしなければ
維持できない「世界」。浅羽が自らの無力を噛みしめながら、それでもなお、
伊里野を死に赴かせなければならなかった世界について問うことをしないのならば、
彼の伊里野に対する思いは嘘になってしまうのではないでしょうか。

長文で申し訳ありませんでした。


Black Goat BBS3 Ver2.01