学校を出よう!
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この小説は恐ろしい。 面白いのだ。ただのエンターテイメント小説に見える。ギャグがあり、キャラクターがあり、そこまでしていながら、作者の限りない悪意がじわりと感じられる。 ギャグの展開が上手く、ストーリー展開も上手い。悪意を感じないまま読み進めることが十分に可能だ。話の展開自体が面白いと思えるエンターテインメント。それにつきる。 なのに、そこに作者の意図的が悪意が加わる。その悪意は、主人公の精神を揺さぶる明確な悪役めいたキャラクターに存在していない。そこではない。全体にふらふらと揺らめいているのだ。 この水と油ともいえるべき二つの要素を石けん水を入れたかのように混ぜ合わせる技量は、評価されるべきである。 だからこそ、この作品のラストシーンが頷ける。最後の最後で、今まで積み上げてさりげなく滲ませてきた悪意全てを崩壊させなくて良かったと安堵するくらい。
というわけで、十分に堪能してみたりしました。 |
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THE DOLL HUNTER 人形はひとりぼっち
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講談社のメフィスト賞からデビューした中島望が富士見ミステリー文庫に進出した作品。内容はSF的なもので、題材としてはクローンを扱っている。富士見ミステリー文庫というレーベルは純然たるミステリーをそもそも取り扱わなうためのレーベルではないので、レーベルの中で浮いたりはしていないだろう。 設定としては、クローンが法規制されている社会で、法規制直前からあったクローン技術によって出来たクローン、蔑称で「人形」と呼ばれているものが抹殺される、という形。主人公が通う高校の一つとなりで「人形」が発見されることから始まる。 この作品で押し出されているテーマのひとつに、アイデンティティがある。自分が自分であるというよりどころがどこにあるのか。ふと、自分が幼稚園の時に死んでいて、それをクローンとして甦ったものだと気付いたら。自分は自分であって自分でない。自分とは何かを、中高生に考えるように促している表現が見受けられる。 同時に、中高生に向けて、人間とは何か、を問いかけている節もある。見た目も構成も人間であることは間違いない。それでも「人形」というレッテルを付けられただけで、安易に人格から生存権まで完膚無きまでに否定される社会。クローンだけでなく、先入観でもった意識や、差別の対象になるようなものを抱えていたら、それだけで全否定していいのかどうか。それを訴えかける作品としても存在している。
先に述べたが、この作品は富士見ミステリー文庫というライトノベルに属するものだ。中高生向けというジャンルの特性を活かしている良作といえるだろう。ただ、SF的といってもクローンがモチーフとして使われているだけであり、SFでもミステリーでもない。 中高生むけのエンターテイメント小説として、良作だった。 |
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神様家族 4 シャボン玉ホリデー
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もっとも注目すべきなのは、勢いだけだった1巻の世界観を3巻で怒濤の増補しているところ。あんだけ軽薄な世界にすごく奥行きが出ました。3巻はリセットの巻と名付けよう。勝手に。(ちなみに、3巻のストーリーは、それこそパターンの連続。それでも『神様家族』シリーズにおいて重要なのはやはり設定の増補。増補のための形骸化されたストーリー。いや、多分本気で執筆はしてるんだろうけど、設定増補を優先してるから) その3巻でいい味を出し始めた世界での、(世界観の増補とかを抜きにしてっていう意味で)初めての話が4巻。ものすごく手探りで話が進んでいく。1、2巻とは全く印象が違う。この作者の力量の成長を見るのは、絶対に損でないはずだ。 |
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涼宮ハルヒの憂鬱
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認めざるを得ない、というのがこの小説の本懐だろう。 この作品で、涼宮ハルヒという存在が、世界を壊してやりたいと思う気持ちは、そのまま作者の思考の一形態であるのではないだろうか。 でも、世界が壊れては困る。楽しいことだってあるし、あるに違いないし、きっとまだまだ価値あるものがあるに違いないという葛藤。それが作中に色々なキャラクターという形を取って、客観性をある程度備えた思考としてあふれかえっている。 このシリーズは3冊出ているが、シリーズ後半に行くにつれ、作者の中の思考がどんどん客観性を帯びていく。主観に基づいたもっとも力強い思考が背景に溢れているのが、一作目である「涼宮ハルヒの憂鬱」だろう。 だからこそ、谷川流の「涼宮ハルヒ」を用いて伝えたかったことをくみ取るにのに欠かせないものとして、この作品を推薦する。 |
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