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作品評  /  イラストへの評を見る。
銀盤カレイドスコープ vol.2 フリー・プログラム:Winner takes all?

著者 : 海原零
絵師 : 鈴平ひろ
ISBN : 4-08-630133-4
page : 286p


とく /
  vol1から一気に読みましたがこっちのがずっと良かったです。
スケート描写のノリの良さに引かれて一票。
( とくさんの紹介ページへ )


イー君 /
  芸術系主人公成長ストーリー。
恋愛あり、スポ根あり、そして、目に浮かぶ芸術シーンあり。

自分も芸術系のコンクールでこの主人公のような体験を経験していたので、なおこの世界に引き込まれた。
芸術系は、点数や結果が一般人にはわかりにくく、しかも文章で表現するのはかなり難易度が高いと思う。
それを新人であれだけの目に浮かぶようなヴィジュアルと心の推移を見せてしまうのだから凄い。

主人公の好き嫌いはあると思うが、それを除いてもフィギア小説としても、恋愛小説としても楽しめる作品なんじゃないだろうか?
( イー君さんの紹介ページへ )


kai /
  昔から鈴平ひろさんのファンであるため、
発売日に平置きされていたのをたまたま見かけて
イラストに惹かれて買っただけの作品……だったはずなのですが。
読み終えた後、「まだ自分は甘いな」と痛感した次第です。

最初こそ、少女の一人称という文体に戸惑いましたが
そんなものはすぐに吹き飛びました。
一歩間違えれば独り善がりになってしまう技術的な知識等を
クドいと感じさせずに文章に織り込む力量もさることながら
"演技がきちんと映像として頭に思い浮かべられる描写"が圧巻です。
作者のフィギュアへの情熱が感じられる作品ですね。

半ば予想できるとはいえ、ラストの切ない終わり方も
それまでの熱い展開との対比として好印象です。
( kaiさんの紹介ページへ )


兵庫もすけ /
  実質的には前後編の後編。1巻からの続きです。
1巻が学園祭の初日とすれば、2巻は学園祭の最終日。
無理にはしゃいでいるけれど、ページが進めば進むほどに……。
終わり方が美しい。文句のない傑作。
( 兵庫もすけさんの紹介ページへ )


熾水 /
  フィギュアスケートという、ある意味「マイナーな」スポーツを扱ってくれた稀有な作品。フィギュアスキーな私として嬉しい限り。

萌え系のイラストや、フィギュアというテーマに反して
内容的にはかなり熱血スポーツ漫画に近い感じです。

アイススケート・プログラムのスピード感が、文章の中でかなり上手く出ていてテンポが良いです。しかしフィギュア専門用語が多めなので
知らない人は演技の情景が想像し辛いかも。(敢えてなのか、たまたまなのか用語の説明は多くありませんし)

個人的には、主人公桜野タズサのタカビー振りが、ステキ(うっとり)
傲岸不遜もここまで来ると芸術かと。
ただ、このヒロインはかなり好き嫌い分かれると思いますが・・・・・・

あー、○o○○○○ナンバーの実物が見たい・・・
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yommy /
  スポ根物です。
フィギュアスケートでオリンピックを目指す少女の成長物語?でいいのかな・・・?

ファンタジー小説のカテゴリーのレーベルから出たにもかかわらずファンタジー分は、はっきり言ってありません。タズサに取り付く幽霊ピート君がいるにはいるんですがそれでもファンタジー分はほぼ0%と言っていいでしょう。逆に作者のフィギュアスケートに対する愛が100%詰ってます。

この作品、多くの人がその表紙が仇となり手を伸ばさなかったと言ういわく付の作品で、自分も実は回避してました。ところが地雷覚悟で読んでみたところスポコン物として普通に面白い。萌え要素があるにはあるんですが、なんか別にいらない感じです。

1人称の作品のため「勝気なタズサの性格についていけるか?」と言う点においては地雷指数は高いですが、その他の点においてはほとんど地雷要素は見当たりません。

話的にはオリンピック予選から本番終了までを描いていて、その過程で敗北→特訓→勝利→敗北・・・の王道パターンを繰り返していくだけなんですが、1人称の効果なのか妙に読んでいるときのシンクロ率が上がって大会で勝つたびに気持ちが異常に盛り上がります。特にオリンピックの時はやばいです。

ここまで書ききる力はあるんで、この作家さんのスケート以外の作品も読んでみたいです。

普通にお勧めできる小説なのでぜひご一読を。
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ELL /
  この小説の凄いところは文章で全てを表現しているところです。
何を当たり前のことをと思われるでしょうが、これがなかなか難しい。
小説は文章だけですから「場」に表現される事柄は文章から読み取るしかありません。ですから文章の練り込みが足りなかったりすると、何が起こっているのか分からなくなってしまうことがよくあります。
ところが、この作品を読むとはっきりと情景が浮かび上がってきます。
特にフィギュアスケートのシーン。
これほどはっきりと映像として「場」を捉えることの出来る作品はそうありません。
是非一読を。

<注意>
この小説は萌え小説ではありません。
イラストにだまされないでください。
( ELLさんの紹介ページへ )


永山祐介 /
   爽快感があって面白かったです。ラスト、ピートとの物語としてもマル。
( 永山祐介さんの紹介ページへ )


Doc /
  題材のとり方といい、主人公の性格設定といい、実に野心作であり、それが成功していますね。

圧巻はやはりスケートシーン。文章だけであのスピード感とビジュアルイメージを読者に与えられたというのはすごかったと思います。

キャラクターもうまく立っており内面的なものも含めた主人公の成長ストーリーとしても逸品でした。
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海燕 /
  たとえばの話だ。たとえばあなたがスポーツ選手、それもオリンピックメダリスト級の技術を身に付けた天才的なアスリートだったとする。あなたはその生まれ持った才能を活かして五輪や世界選手権で次々と優秀な成績を残す。はじめは周囲もあなたの活躍を賞賛するだろう。ありとあらゆる美辞麗句を尽くしてその業績を褒め倒すにちがいない。天才、努力家、革命児、エトセトラエトセトラ。だが、それはあくまでも最初のうちだけのことだ。あなたがあまりにも可愛げのない成功を続ければ、いつしかプラスの評価はそのままマイナスへと転じる。

かれらは周囲はあなたのささいな欠点をあぶり出し、取るに足りぬスキャンダルを見つけ出し、あなたを非難するようになるだろう。それがこの国の国民性なのだ。まして、もしもあなたがだれに何と非難されようが気にも留めない気の強さと、言われたことは倍にして返す減らず口の持ち主だったとすればなおさら。そしてそんな徹底的にかわいげのない性格と天才的な才能をそなえた少女こそが、この物語の主人公、ひと呼んで「氷上の悪夢」、あるいは「減らず口プリンセス」桜野タズサ(16歳)である。フィギュアスケーターとしてオリンピックや世界選手権での活躍をめざす彼女の敵はふたつ。自分自身と、周囲の声――すなわち、マスメディアの声だ。

海原零という聞きなれない作家のデビュー作「銀盤カレイドスコープ」は、人気は高いもののまだ一般的な認知度が高いとはいえないフィギュアスケートの世界を正面から描き切った正統派スポーツ小説である。フィギュアをあつかった作品といえば、川原泉の傑作「銀のロマンティック…わはは」(しかしまあ何度見てもすごいタイトルだ)がすぐに思い浮かぶところだが、小説という表現手段の特性を考えれば、これは前代未聞の挑戦といえるだろう。なにしろ、小説の表現ではどんな流麗なスケーティングも、華麗なジャンプも、絵として見せることはできないのだから。

小説家が扱うことができるのは、ただ言葉のみ。ヴィジュアル面はイラストレーターが多少は補ってくれるにしろ、それに頼るようでは作家として一人前とはいえない。言葉、言葉、言葉。あえてスポーツを題材として取り上げるとき、作家は文字だけを武器にスポーツが持つあの興奮と躍動感を再現させてみせなければならないのだ。スポーツをめぐる人間像ではなくスポーツそのものを題材とした小説の傑作など、ほんの二三が思い浮かぶだけだ。それではこの作家はただ奇を衒って新規な素材をもてあそんでいるだけのだろうか。

否。驚くべし。スーパーダッシュ新人賞というお世辞にも知名度が高いとはいえない賞を受賞して斯界に登場したこの新人は、みごと読者をして氷上を舞うスケーターたちを幻視させてみせる。正直なところ、ここまで正面からスケートを描いているとは思っていなかった。物語は主人公のタズサがあろうことかひとりの幽霊に憑りつかれるところからはじまる。幽霊の名前はピート。話を聞くところによると、カナダで暮らす平凡な少年だったかれは落雷で死亡し、なんの因果かタズサのからだに100日間仮住まいすることになってしまったらしい(余談だが、カナダと日本では時差があるのだからこの100日間というリミットの時間があまりにぴったりしすぎているのはおかしいと思う)。

プライバシーのかけらもない生活にはじめは苛立つタズサだが、やがてかれの飄々としたアドバイスを頼りにするようになっていく。そんな彼女の最大の弱点は「笑えないこと」。その弱点を克服してオリンピックをめざすタズサとピートの二人三脚の活躍がこの小説の眼目だ。前述したように、タズサはこのうえなく可愛げのないキャラクターである。フィギュアの女子選手に期待されるものが可憐さや可愛らしさや女らしさであることを知り尽くしているタズサは、しかし、ことごとくそれに逆らっていく。

それが自分にとって利益にならないことを知っていてもなお、曖昧な微笑を浮かべてただ黙っていることは彼女にはできない。 タズサは媚びず、へつらわず、ごまかさない。どこまでも自分の信じるやりかただけを貫く。その負けん気の強すぎるトラブルメーカー的性格はまさに減らず口プリンセス。ヤングアダルト小説の登場人物として、異端のキャラクターとしかいいようがないだろう。この種の小説のヒロインに要求されるものも、可憐さやかわいらしさや女らしさだったりするからである。

なにが彼女にそうまでさせるのか。あるいはそれはイエロージャーナリズムの存在に象徴される日本の社会システムそのものに対する反感なのかもしれない。いつのころからか、この国では「平等」という理念が重んじられるようになった。人間は「平等」なのだから、だれかひとりが集団から飛び抜けるようなことがあってはならない。みんなが同じようでなくてはならない。このばかばかしくも格調高い理念に従って、この国の教育では運動会の徒競走ですら順位をつけることを避けるような傾向が見られるようになる。むろんこのような社会にあっては、当然ながら群集から突出する人間はねたまれることになるだろう。

かくして登場するのが大衆の剣としてのマスコミである。かれらは「有名税」という意味不明の概念を持ち出して他人の醜聞をあばきたて、プライバシーを盗み見し、火のないところに煙をたててまわる。人権侵害としかいいようのないこれらの蛮行が、この日本では有名人に対してはなぜか赦されることになっているのだ。なんという汚猥に充ちた職種だろうか。しかし、この醜行の背景にあるものが大衆の支持であることを忘れてはならない。内心で有名人の失敗を望んでやまない個々人こそが、マスコミのこの構造を支えている。

かれらはマスコミのあぎとにかかった有名人を目にして、心の奥底ではこう思っているのかもしれない。いい気味だ。たまたまちょっと成功したくらいで調子に乗っているからそうなるんだ……。大衆は、すくなくとも日本の大衆は、浪花節と苦労話を愛するようには天才を愛さない。平等を重んじるわれらが社会は簡単に成功を手にするような(何もしない者の目からはしばしばそう見えるものだ)「例外」を歓迎しないのである。世間がそのような天才を無条件で認めるのは、たぶん海外での評価が定着した場合のみだろう。どういうわけか、多くの日本人は自分の目よりも外国人の目のほうを信用する。

タズサは敢然とこういった大衆の性癖を敵にまわす。オリンピックでのメダルは彼女にとって競技人生の目標であると同時にこれら衆愚への武器でもある。だが、真に崇高で公平な戦いのなかで、やがてはそういった想いすらも消えていく。現在、現実の女子フィギュアスケート業界では競技選手の着実なレベルアップが進む一方、不況の影響による相次ぐアイスリンクの閉鎖によって(僕が棲んでいるN市でも、先日ひとつ閉鎖した)、選手の練習環境はむしろ悪化しているともいう。

オリンピックでメダルが取れる可能性があるとなると急にその競技への興味にめざめて当たり前のようにメダルを要求する人々は、はたしてこういった状況を改善する意欲があるのだろうか。ただ要求し、ただ責める。日本人がその姿勢を変えていかない限り、これ以上日本のスポーツが進歩していくことはむずかしいだろう。話が逸れた。処女作ということもあり、小説のしてのこの作品の出来は完璧とはいえない。なにより、タズサを囲むライバルたちの造形的魅力が致命的に欠けている。

フィギュアスケート史上に残る天才少女リア、清廉な美少女ガブリーなど深く描きこんでいけば魅力的になりえるキャラクターが揃ってはいるのだが、英語が話せないタズサの一人称で物語が語られるせいで、彼女たちの個性が際立ってこない。ライバルの個性が弱いことは、タズサ本人の魅力、そしてフィギュアスケートそのものの魅力にも関わってくる。せっかく多彩な人物を揃えたのだから、もっと彼女たちの人物像を描きこんでほしかった。もっともそんな描写をはじめてしまった途端、例によって何千枚もの大長編になってしまうのかもしれないが。

しかしともかく小説という媒体を使ってフィギュアスケートを描くことに挑むという斬新な挑戦は評価したい。オリンピックのロングプログラムでのタズサの演技はすばらしい。彼女の世界が氷上を覆っていくさまが目に見えるようだ。そこにはもうマスコミに対する抵抗も残っていない。ただ音楽と物語と演技だけが世界に残り、あらたなアーティストの誕生を告げる。この似非平等の社会にあって、それでも全体の流れに適合することをよしとせず、どこまでもみずからの「個」を貫く人々を、ひとは敬意と羨望をこめてアーティストと呼ぶ。かれらの世界には、決して「平等」はない。努力がかならず実るという保障もない。

生まれつきの才能に恵まれたものが、わずかな時間で先駆者を追い抜いていくことなどめずらしくもない。そこにはただ美と洗練と、そしてその末の選別があるだけだ。この物語の設定では、一億を超す人間のなかで、フィギュアスケートのオリンピック代表に選ばれるのはただひとり。決してふたりに分けられることのないその一枚きりの切符をめざして、タズサは踊り、タズサは滑る。めざすものは銀色に輝くリンクを万華鏡に変えて広がる夢幻の世界。「銀盤カレイドスコープ」。この作品は、世間の流れに迎合せず、周囲の声にも惑わされず、ただ自分の信じる道を歩んでいく果敢なる氷上の反逆者の賛歌である。
( 海燕さんの紹介ページへ )


びっと /
  もう散々皆様が感想を書かれていますが、やはりこの作品の一番の魅力は
読んでいるとフィギュアスケートをしている主人公・タズサの姿が
目に浮かんでくることですね。
タズサの演技をアニメで見たい!と思ったのは私だけじゃないですよね?(笑)
( びっとさんの紹介ページへ )


hokuto /
  フィギュアスケート!

時期的にも盛り上がってますし、
(最近の日本女子のレベルはすごいですねー)
入門編としてもちょうど良いのでは。

最近ライトノベルではあまり見かけないスポ根ものであるし、
題材としてなかなか見られないフィギュアスケートを
扱ってる時点でポイントは高かったり(フィギュア好きなので)

もちろん内容も○です。マスコミの扱いや、練習風景も
キチンと描いているのが良いですね。
主人公の性格にも説得力持たせてあるし。

ただ、3巻については評価を落とさざるを得ない内容だったので
(展開・受ける印象が1〜2巻とほとんど同じ)
その意味でも今後が非常に気になる作家さんです。

1〜2巻は文句なく面白いです。フィギュアの演目に酔え!
( hokutoさんの紹介ページへ )


シス /
  だまされたつもりでbk1でさくっと購入・・・
騙されましたよ・・・ここまで面白いとは!
絵がかなり趣味に合わないので購入を見合わせていただけに大感謝です
<某推進委員のかた

( シスさんの紹介ページへ )


こくぼ /
  いろんな意味で運命的な作品。
( こくぼさんの紹介ページへ )


丹織 /
  ぶっちゃけ自分は、スポーツはあまり見ない性質です。
当然、フィギュアスケートなんて知識はあるはずも無く。
しかし、面白かった。完敗です。

何よりも特出しているのは、臨場感溢れるスケートシーン。
スケート用語については作中の説明でもいまいちピンと来なかったのですが、いざ読んでみると、何故か動きが想像出来てしまう。文章で表してこその魅力がそこにありました。
加えて、スケートならではのスピード感。テンポ良く流れるシーンには、読者それぞれに曲が異なりながらも雰囲気のあったBGMが流れるはずです。

ファンタジーやSFが氾濫する中でのスポ根ノベルというのは、正直にみて敬遠されがちだと思います。読まずには理解できない領域なのかもしれませんが、読者を選ばずに間違いなく薦められる一冊です。
( 丹織さんの紹介ページへ )


森山雅文 /
  銀盤カレイドスコープvol.2

 この小説はフィギュアスケートを題材とした小説である。ライトノベルにおいて実在のスポーツを題材と

すること自体、無謀とは言わないまでも現状では非常に珍しく、リスキーな試みであろう。
 ところで、フィギュアスケートの女子選手といえば、一体どのような人物像を思い浮かべるだろうか。一

般的には、一瞬の輝きのために人知れず努力を重ね、オリンピックに全てを賭ける、上品かつ生真面目な氷

上の淑女といったようなイメージではないだろうか。かつて日本中に顔を知られた伊藤みどり選手も、この

ような印象を持たれる選手だったと記憶している。ロシアのように年端もいかない少女が五輪に出ることは

ほぼありえない国でもあるし、まあ大体ここいら辺りが最大公約数だろう。
 さてさて。では、この作品の主人公たる桜野タズサ嬢が一体どういう女の子であるかというと、容姿端麗

スタイル抜群100億ドルの美貌の16歳にして、本番に弱くて高飛車で短気で負けず嫌いで喧嘩っ早く口が減ら

ないコであるわけだ。
 さあ困った。こんな性悪を主人公にしてフィギュア小説を書けという。およそスポーツモノの常道からか

け離れた試みだ。過去数十年、スポーツというものが日本の物語に登場してから、スポーツモノの主人公の

大多数は真面目な努力家だった。やっぱりそのほうが形として分かりやすいのだ。女の子なら尚の事。そう

いえば、フィギュアスケートを文章のみで表現するというライトノベルとしては未踏の領域に挑戦しなけれ

ばならないんだった。そもそもフィギュア小説なんか誰が読むんだよ。はてさて、どうしたものか。

 しかし、この作品が先天的に抱えるこれらの問題を、その存在のみで解決しているキャラクターがいる。

そう。物語冒頭でタズサに取り憑く幽霊、ピートである。彼こそが、まだ勝手がわかっていない読者を引き

込み、タズサの欠点と同時に長所をも表出させ、子供じみている彼女を成長させ、そして、共にあの衝撃的

なスケートシーンを生み出したのだ。そう。この作品を執筆する上で、スケートシーンの扱いが大きな障害

となっていたであろうことは想像に難くない。しかし、ピートの存在がそれを救っている。彼の絶妙の茶々

と合いの手が素晴らしいリズムとテンポを生み、結果として、目の前にスケートリンクが立ち上がる錯覚さ

え覚える壮絶な数分間を演出せしめた。この作品における最大の功労者は誰かと聞かれたら、僕は間違いな

くピートの名を挙げるだろう。
 そして、最初から予定されていた、その瞬間まで。桜野タズサは桜野タズサであり、ピート・パンプスは

ピート・パンプスであり続けた。その事が、一番嬉しかった事かもしれない。
( 森山雅文さんの紹介ページへ )